プロローグ

1

 陽炎が土煙のグラウンドを照らしていた。

 野球部のかけ声とボールを打つ金属音が木霊する。

 ハーモニーとはほど遠い、金管楽器の高低入り乱れた音が飛び出して消えていく。

 不規則なBGMを聴きながら、ネット裏を走る複数の人影を目で追った。

 ときおり揺れるスカートが膝をかすめた。

 後悔がないといえば嘘になる。

 でも、妥協とか大人が勝手に作ったルールとか、何かに当てはめて生きていかなきゃいけないなら、死んだ方がマシだった。

 辞めるって大人になるってことなのかな?

 それとも子供のすることかな。

 少しずつばらけていく黒い人影たちを眺めては、私は宙ぶらりんになった自分の行方を探した。

「なんでこんなところに来たんだろう……」

 私より速い人を求めて、実家を離れて東京の学校に来た。ここならもっと速い人がいると思っていた。

 入学した伝翔でんしょう高校は、世界に羽ばたく生徒を募集していた。中でも特別技能コースは優秀な成績の生徒を優遇し、学費や寮の生活費を免除した。中体連インターミドルの長距離で優勝した私は、その恩恵で入学したのだけど、誰も競争相手にならず、記録ばかりを追う日々に嫌気が差した。



 風の影響でドアが激しく閉じた。誰かが入ってきた。

私のいる場所は渡り廊下のベランダで、校長室で一時間居座った後に来た。部員以外で校舎にいるのは私くらいなんだけど……。

 先生が引き止めに来たのかな。はぁ、面倒くさいなぁ。

「たそがれるな……」

 左耳からくさい台詞が聴こえてきた。男の子の声。

 横目でみた。

 前髪を左目まで隠したアシンメトリーの男子生徒。

 同じクラスにいる、逆風さかかぜ 大知たいちくんだ。

 入学して二か月近く経つけど、ちゃんと話したのは初めて。

 クラスのもっぱらの噂は、顔がいいけど変人。音楽に精通している、だけだ。

 本人は嫌って自分のことを話さない。授業も部活もしていないのに、いつもギターを持ち歩いていて、それがトレードマークになっていた。

 周囲から嫌われないような振る舞いをするけど、かなりの一匹狼。教室で一人浮いても、まったく毅然としてて、どこか虚空をみたり、ノートに暗号じみたものを書いていた。


「まだ帰らないんだ?」

 なんとなく尋ねると、

「どこにいても同じだ。頭の片隅にある夢から逃げられない」

 変人……。

 でも口にだせなかった。なんとなく心臓を打つような言葉だった。

「……私はさっき夢を捨てた。なんかさー、つまらなくなったんだ」

月下つきしたは女子長距離の推薦だっけか。辞めて大丈夫なのか?」

「奨学金を全部払うだけだから別にいいって。そこは親と話し合ってる。校長は文句たらたらだったけど」

「あいつらはほんと身勝手だな」

 ――いや、身勝手なのは私なんだろうけど。

 ちらりと彼を覗いたら、辟易したように顔を歪めている。慰めているのかとおもったけど、個人的に恨みがあるだけか。

「そっちも何かあったの?」

「反吐がでる。軽音部の申請を何度もしているが、随分昔の部活の先輩が覚醒剤で捕まったせいで永久に廃部。代わりにギター部でも入れだと。やってられるか!」

 文句をたれながら柔らかそうなギターケースを開けた。瓢箪みたいな形に、茶色の光沢があるギターが出てくる。ギターにも種類があるらしいんだけど、私にはよくわからない。

 バッグも風呂敷も新聞紙も敷いてないのに、地べたに座り込む。冷たくないのかな。

「なんで部活できないのにもってきているの?」

「なくても練習できるからな。あと、メンバーを探してる」

「そう……」

 私には関係ない話だ。

 音楽なんてカラオケ番組をちょろっと見るくらい。

 逆風くんはおかまいなしにトロトロコッコと音を鳴らした。全然響かないけど、黄昏のグラウンドによく似合っていた。

 感傷が胸を包む。

 なんだろう……。今頃になって泣けてきた。

 そのまま泣きそうだから唇を開いた。

「ねぇ何か弾いてよ」

「……」

 逆風くんは演奏をやめて私を見上げた。

 視線に気になってスカートを自然におさえる。

 どこか冷たい目だ。

 達観しているのか。

 軽蔑しているのか。

「いいけど、なんか歌え」

「え?」

「電源のないエレキ聴いてもつまらないだろ。合わせるから歌え」

「私、曲、ほとんどしらないよ?」

「さくら、とか」

「えぇっと……○○□□のフレーズのやつ?」

「それでいい。ボディをコッコッコッて三回鳴らすから、一緒に歌え」

「わかった」

 ちょっと緊張するけど、お腹を膨らませて息をする。

 気恥ずかしさより、辛くて泣き出す方がいやだった。歌って発散したほうがマシだった。


 木材の優しい音が三回なった。

 私は頭に浮かぶ言葉を、お腹から息を吐いた。

 これまで長い距離を走るための気道が、最後の仕事みたいに透明で冷たい風を体に入れて、生暖かい風を吐き出した。

 思いの外、声が響いた。

 グラウンドの夕日がぎらついた。

 ボールが高くあがった。

 目に涙が浮かんだ。

 ――演奏が、止まった。

 なんで?

 見下ろすと、固まったまま目を見開いた逆風がいた。

「どうしたの?」

「……バンドするぞ」

「え?」

「月下。俺と一緒にバンドやれ。世界を、変えるぞ」

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