Day 9 団扇

 銀行だったようにも見える重厚な造りの建物に足を踏み入れた。

 トキワは躊躇なく進むユーイェンには続かずに、周りに目を配る。

 かけたアクリル版は埃でくもり、黴の匂いに混じり、錆びたものも混じっていた。

 ユーイェンは唯一、真新しい呼び出しボタンを押す。出入口、窓の全てのシャッターが落ち、点滅灯が無邪気な横顔を赤く照らした。蝉のような機械音が響く中、艶をおびた唇が動く。


老師ラオシー、ユーちゃんだよー」

「いい歳して、やけに子供じみた言い方だな」


 天井から音声が降ってきた。

 拳銃を背後で構えていたトキワは半眼で天井を見やる。情報屋に呆れたわけではない、諜報班の仕事を信用できなくなったからだ。今だかつてないほどずさんな情報に嫌気がさした。無法地帯キョクトウの底知れない恐ろしさが記憶通りで唾を吐きかけたくなる。

 ストロベリーブロンドをかき上げた手が団扇のようにあおぐ。


「余計な お せ わ。それより、シャッター開けてくれないのー? あっつーい」

「R3―107のパスコード」

「はいはーい。情報よこしてからってことね。せっかちさんなんだからぁ。えーと、大文字のM、小文字のfauスラッシュ279、大文字のNP」


 情報屋の求めるものをあっさりと言ってのけたユーイェンは次々に来る問いに止まらずに答えていった。

 問いかける声が収まり、静寂が訪れる。

 トキワが唖然としていると、紅い瞳が得意気に細められた。赤い灯りに照らされて、きらめきが増す。


「すごいでしょ」

「確かな情報かわからないけどな」


 嘘を見透かすような深緑の瞳は疑いを拭いきれていなかった。

 すげなく返されても、かっわいくなぁーいと笑う姿は全く堪えた様子がない。

 非常灯が消え、思い出したように点滅する電灯が二つの影を作る。埃のせいか、明るさは十分ではなく、闇に慣れた目であるからこそ、見渡せる程度のものだ。

 顔の影の濃淡が移り変わる中、好戦的な紅い瞳が獲物を捕らえる。


「瞬間記憶能力って、聞いたことない?」


 それ、ワタシの特技のひとつ、と続けた唇は完璧な美術品のように口端を上げた。



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月燕 #文披31題2022 かこ @kac0

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