第11話 歌川桔花の目線Part9

 文化祭当日。待ちに待った私達の公演が始まった。私が見ただけでも、校舎の敷地からはみ出す行列、並び立った様々な屋台など、いつもと違う賑わいを見せた学園の雰囲気は私達も含めて生徒全員を高揚させてくれる。


 私達は、大部屋サイズの視聴覚室に設備を整え、公演を開始した。ホームぺージを経由して紫と巴が広報してくれたおかげもあって、父兄だけでなく外部から興味を持ってくれた人々も集まっていた。


大勢の観客を前に久々の公演を行うのだ。普通なら、もっと緊張していてもおかしくないはずなのに、私の心は堂々としていた。

 私達が培ってきた練習の成果の積み上げと、何よりも雛見がいてくれる。


「それでは皆さま、心ゆくまでご覧ください!きっと今夜はいい夢が見れますよ!なんなら今からでも!あ、でも寝るのは厳禁ですよ!舞台の上の夢を見てくださいね!それでは、開幕!『椿姫』!」


 会長が初めの挨拶を締めくくり、事前に準備していたブザーが同時に鳴った。


 馬車道でアルマンとマルグリットが出会い、時間は流れていく。公演はスムーズに進んでいく。


 物語がやがて最終局面に差し掛かる。

 そう、雫の作ったオリジナル展開へ。


『じゃあ、あなたはどうして私と会ってくれているんです?どうして私を突き放さないのです?』


 アルマンである私は、マルグリットである雛見に懸命に訴えかける。

 原作だと、アルマンはマルグリットがアルマンの父の介入によって別れることになった後、生きて二人が再会することはない。

 が、オリジナル展開は違った。雫の脚本だと、アルマンはマルグリットが出て行ってしまった後、その裏になにか理由があるに違いないと真相を探り、やがて父に詰め寄って、マルグリットへの介入を認めさせる。おためごかしを口にする父親を尻目に、アルマンは全てを捨ててでもマルグリットと復縁しようとする。


 アルマンである私は今、原作であればマルグリットが病死した後でしか訪れることの無い、マルグリットの住居を訪ねていた。そして、もう一度自分の気持ちをマルグリットに告げる。


『引導を渡すためよ。あなたのような人ははっきりと言わないと……』


 邪険に扱おうとするが、うまくいかない、どこか弱々しい雰囲気を見事に雛見は表現しきっていた。


『顔も青ざめているし、そんな状態でなぜ?興味が無いのなら口を聞く必要もないはずです。そんな状態でも会ってくれるのは何故です?どうしてそんなに悲しそうなのです?』


『……調べました。父に尋ねたのです』


 父親が介入したことを知ったこと、そしてたとえ何があろうとも寄り添う事を誓う。

 雛見の演技力と桔花の表現力があればいける、と雫が保証してくれた。


『わたしは……』


 マルグリットはここで言い淀み、やがて自分の気持ちを少しずつ吐露し始める。自分の過去に遡り、いかにアルマンの存在がありがたかったのか。いかに新鮮だったのかを語る。


 そのはずだった。


「あ……」


 マルグリットが、雛見が突然その場でよろめくと、そのままバランスを崩して後ろ向きに倒れそうになった。

 台本にない、という言葉が心に浮かぶ前に、私はとっさに前に飛び出して、雛見の身体を支えた。

 軽い感触が、腕の中に生まれる。客席が誰かがはっと息を飲む気配がした。


『……こんなに無理をしていたんだね。そんな状態で会いたくもない相手と会う?』


 そう言って私は額をそっと当てる。熱を測る代わりに 。必死でアドリブをした。アルマンが、私の演じるアルマンの純粋さは、どこまでも相手を信じる純粋さだ。

 雛見が首を横に振った。


『いいえ。あなたの勝ちよ。私をここまで追いかけてきてくれたあなたの勝ち。本当はあなたが私といるせいで、他の何か、いいえ、未来に負けてしまうのが怖かったの』


 この台詞もアドリブだ。

 私達はそのまま、後は台本通りに物語を続けた。


『それじゃあ、アルマン。私達を縛るものはもう何もないの?』

『ああ。無いのと同じだよ』




 二人のやりとりが締めくくられる。

 物語が終わりに近づいていく。

 マルグリットとアルマンは再び二人でアルマンの別荘に戻り、暮らし始める。身体を悪くし、すっかり病弱になりながらも、マルグリットは数十年を生き、亡くなった。マルグリットは亡くなる時、原作と違い、遺言を残さなかった。なぜなら、アルマンと生きていくうちに、彼に伝えたいことは全て伝えてしまっていたからだった。



『ありがとう。僕と生きてくれて。本当に……』



 老いたアルマンは、別荘の庭に出て、二人の思い出を回想しながら、涙を流した。最後に私が流した涙はきっと演技ではなかったのだろう。私は本当に、大切な人と別れた気持ちになっていた。だって雛見が演じていたマルグリットは確かにもう死んでしまったのだから。

 公演が終わる。赤い幕が下りていく。

 客席の歓声が遥か遠くから響いてきた……ような、気がした。






 講演が終わった後、私は雛見と文化祭を回った後、一息つくために校庭のベンチに座っていた。校庭にも、お化け屋敷やらいろんな出し物が散らばっていた。

 後で回ろうかとも思ったが、心地よい疲労にもう少し浸っていたかった。

 もう夕方だ。それでも、客足は衰えていない。


「……気が気じゃありませんでしたよ。熱がぶり返したかと思いました」


 買ってきたジュースを渡しながら、私は雛見に軽く抗議した。もちろん笑いながら。


「いや、だいぶ治ってはいたんだよ。ただ、病み上がりのせいか関節が少し痛くてね。それで急に痛んだものだから」


 バランスを崩したんだ、と軽く舌を出して雛見がジュースの口を開けた。


「でもいい迫真だったよ。キスされるかと思った。あの時、急に顔近くするものだからびっくりしたよ」


 一瞬、たしかに彼女の顔は熱くなっていた。


「あ、あれは」



「あの方が親密さが出るかと思ったんです。手を当てても少しわざとらしいかなと。ほら、両手塞がってましたし」



 強いて言うならば手が、いや、身体が勝手に動いたのだ。

 あのアドリブは咄嗟の思いつきだった。

 ただ、もし倒れたならアルマンは何を心配するだろうか、と考えたからだ。熱は片手があれば測れる。

けれども、片手で身体を支えるのは難しかったから両手で支えた。


…………それに。

両手でしっかり支えておかないと彼女の演じるマルグリッドがどこかに行ってしまう気がした。

 だから抱きしめたまま、熱を測れる方法を探した。

 アルマンもきっと手を離したくなかっただろうから。片手で支えるには、彼女の存在はあまりにも儚すぎた。


「キスしてくれても良かったんだけどね」


 顔が熱くなる。な、なにか言わなければ。


「……あ、」

「?」

「アルマンは、アルマンはとても純朴なので!」

「うん」


 雛見が目を細める。


「弱っている乙女につけこんだりしないのです!」

「………………………………」


 雛見はしばらく黙っていたが、やがて大きく噴き出してしまった。


「あ、笑いましたね、ひどい」

「ごめんごめん。そうかそうか純朴か。そういえば君はそういう人なんだったね」


 そうかそうか、と雛見は目尻に涙を溜めてまだ笑っていた。


「いやあ、笑った笑った。元気になったよ」


 心配ない、もう大丈夫、といいつつ足取り軽やかに前に進んでいき、くるっとターンしてみせる。


「ま、安心してくれたまえよ。元祖マルグリッドのようにはならないさ。また、困ったら看病してくれたまえよ。ひょっとしたら私もそれで元気になったのかもしれない」



 私に向かって、雛見が綺麗にはにかむ。

 その笑顔があまりにも美しく夕闇に映えたので私は自然と笑顔になった。


「当然です」

「もう風邪なんかひかないくらい、元気にしてあげますからね!」




 客席と舞台を遮るのは期待の赤、予兆の赤、好奇の赤。

 私達は心を繋ぎ合わせ、赤い幕の向こう側を作る。

 これからも、ずっと。








作中、次の作品を引用、または参考にさせていただきました。


『椿姫』デュマ・フィス著 西永良成訳(角川文庫)

『新訳 から騒ぎ』シェイクスピア著 河合祥一郎訳 (角川文庫)

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Joint of velvet スミハリ @saab

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