9:何とかは犬も食わない

『 そ れ は 私 も 、 ヤ マ ト さ ん が 悪 い と 思 い ま す 』

『でしょ!?赤兎もそう思うよね!?』


 その日、「私」はギルドホームで柔軟体操を繰り返しながら、ガーネットと赤兎の二人の会話に耳を傾けていた。ガーネットは床に座り込み、憤懣ふんまんやるかたない様子でヤマトに対する不満をまくし立て、赤兎が隣に座って頷きを繰り返しながら、宥めている。


『私だって別に、贈り物を受け取るなって言うつもりはないわよ!?そんな狭量な女になりたくないし!でもさ、それを私に黙ってるってのは、ないんじゃない!?そりゃ、ちょっとはヘソ曲げるかも知れないけどさ、ちゃんと頭下げて”ゴメンよ、お前が一番だよ”って言ってくれれば、それで済むのにさ!』


 ガーネットのマスターは一通り息巻いた後、床に座り込んだまま、ガスの抜けた人形のように意気消沈する。


『はぁ…私、いつからこんな小さな女になったんだろう…。アイツの事ならどんな事でも受け入れ、優しく抱き締められると思ってたのにさ…。ねぇ、イリス。貴方、同じ男として、どう思う?』

『どうって…パンツ見せれば、戻って来るんじゃね?』

『…私、最近貴方が大物に見えてきたわ。パンツさえ見せれば、何でも叶えてくれそうだもの』


 ガーネットの問いに、「私」マスターは片足立ちしたままもう一方の足を上げて脛を額に当て、二人に向かって垂直180度の開脚を披露しながら答える。自分の足の向こう側から注がれる、二人の視線が痛い。


 お願い、マスター。もういっその事、ひと思いに殺して。


 マスターのパンツに対する飽くなき探求心と弛まぬ努力の結果、私はかつてないほど柔らかな体を手に入れ、初めて垂直開脚を披露した時には、ガーネットのマスターから「ばれりーな」みたいだと評された。どうやら「りある」にはパンツを見せて敵を攻撃する職業クラスがあるらしく、すでに悟りの境地へと至った私はどうやったらパンツで敵を倒せるのか、マスター達の会話からそれとなく探っておいて欲しいとガーネットに頼んである。やがて足を下ろした「私」マスターは両足を揃え、埃を払うような自然体でミニスカートの裾を摘まんで上げ下げを繰り返しながら、赤兎へと声を掛けた。


『今日はタンカーヤマトが居ねぇし、狩りは無理だな。先生も遅くなりそうだし、赤兎、何処か行くか?』

『 う ん 』


「私」の誘いに、赤兎が笑みを浮かべ、右手を伸ばしてくる。「私」マスターは赤兎の手を掴んで引き揚げながら、ガーネットにも声を掛けた。


『ガーネット、あんたはどうする?』

『私は遠慮しとく。人の恋路を邪魔するつもりはないし、ケーキ自棄やけ食いして寝るわ。お二人とも、ごゆっくりぃ』

『違ぇよ、そんなんじゃねぇって』


 やっかみにも似たガーネットの冷やかしに「私」マスターは仏頂面で答え、赤兎の手を引っ張って外へと出て行く。ホームの外に出た「私」マスターは、赤兎と手を繋いで街中を歩きながら、行先を宣言した。


『今日は、オークの集落にでも行くか。もう、レベル的にも大丈夫だろ』

『 イ リ ス に 任 せ る よ 』


 マスターは「りある」で「こうりつちゅう」と呼ばれているが、この人達は狩りにおける経験値やドロップの取得効率を非常に重視し、狩りを阻害されると怒り狂う事さえあると聞いている。けれど、赤兎と知り合ってからのマスターは狩り一辺倒だった生活を止め、ここ数日、レベルの低い赤兎と行動を共にし、街の周辺の散策を繰り返していた。


 きっとマスターは、赤兎のマスターに妹さんを重ね合わせているんだろうな…。


 ガーネットに何と冷やかされようと、悪態をつきながらも目的地に着くまで決して手を離そうとしない「私」マスターの姿に、私は掌から伝わる赤兎の温もりを感じながら、歓びを覚えていた。




 ***


「…だからアタシは、アタシのマスターが文句を言うのも当然だって言ったわけよ。そしたらアイツ、何て言ったと思う?『俺は、ウチのマスターの言い分も理解できる。男は、好きな女に余計な心配をかけさせたくねえからな』だって!信じられないでしょ!?」

「うん、そうだよね」


 翌日。


 私は、マスターの怒りが伝播したガーネットと共に、大通りへと繰り出していた。どうもマスター同士のいざこざが波及し、ガーネットとヤマトの二人も、自分のマスターを擁護してやり合っているらしい。私はガーネットの不満に相槌を繰り返しながら、この尽きる事のない不満を「パンツ」の一言で封じたマスターの偉大さに、今更ながら感嘆していた。


「だから、私はアイツの言い分を認めるわけには…あれ?…ヤマト?」

「え?」


 相手の言い分を振り払うようにそっぽを向いたガーネットが声を上げ、私も彼女の視線を追う。すると、大通りの反対側を逆方向に向かって歩くヤマトの姿が見えた。彼は両手に大きな木箱を抱え、向こう側に居ると思しき女性と談笑している。彼の巨体と木箱の隙間から、長い髪が見え隠れした。


「…イリス、後を追うわよ。悪いけど、つき合って」

「…え?ガーネット、ちょ、ちょっと…」


 突然私はガーネットに手を引かれ、元来た道へと引き返した。私は今日の予定を諦め、親友の追跡に付き合う事にする。大通りを渡り、ヤマト達の背後へと回る。


 ヤマトと並んで歩いている女性は、ダークエルフだった。流石にドラゴノイドの巨体には及ばないものの、赤兎と並んでも見劣りしないほど背が高く、すらりとした姿態は起伏に富んでいる。茶色の肌と種族特有の長い銀髪がつややかさを放ち、歩く姿にさえなまめかしさを覚える。その彼女がヤマトへと目を向け、その肢体に相応しい色艶に富んだ横顔を私達に見せた。…あ、あれって、もしかして…。


「…アレが、ヤマトご執心の『お姉ちゃん』ね。癪に障るけど、アイツの言った通りね…」


 相手の女性を見ながら、ガーネットが親指の爪を噛んで悔しがっている。私はガーネットが見せる嫉心に内心で驚きながら再びダークエルフの女性へと目を向け、その体を構成するしなやかな曲線を目で追う。


 ばいーん。きゅっ。ぼーん。


 一通り一筆書きを終えた私は下を向き、自分の胸元へと視線を落とした。


「…」


 …何故マスターは、同じ部位だと言うのに、これほどまでの落差を設けたのか。解せぬ。


「…あ、どうやらあのお店に入るみたいね。イリス、私達も入るわよ」


 私が自分の胸元に向かって差別に対する不満を述べていると、ガーネットが私の手を引いた。顔を上げると、ダークエルフの女性が大通り沿いの店舗の扉を開け、ヤマトが木箱を抱えて入って行くところだった。私はガーネットに引き摺られるがままに、それでも彼女に注意喚起した。


「ちょ、ちょっと、ガーネット、大丈夫?あのお店、結構値が張るよ?」

「大丈夫!今日はそれなりに持ち合わせがあるから!…でも、もし足らなかったら、ちょっと融通してくれる?」

「しょうがないわね…。割り勘で好いわよ、私も付き合ってあげる」

「ありがと、イリス」


 私の申し出に、ガーネットが申し訳なさげに笑顔を見せる。私は彼女を安心させるために笑みを返し、そして静かに店の扉を開け、中へと入った。




 店内は白い漆喰の壁と、濃茶のアカシアの木床に囲まれ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。テーブルや椅子も木床と同じ色で統一され、テーブルクロスの白が映える。店内には幾組かの客がテーブルに着き、お酒と食事と会話を楽しんでいる。お酒を扱うお店でありながら決して下品な雰囲気はなく、客層も男性一辺倒ではなく、女性客もちらほらと見えた。


「いらっしゃいませ!ようこそお越し下さいました!」

「し、しぃー!」

「…あ、ハイ。しぃー、ですね?…何処に座ります?」

「あそこでも好い?」

「はい、ご案内しますね」


 私達が入店すると、猫獣人ワーキャットの女性店員が近づき、元気な声で挨拶して来た。ガーネットが慌てて人差し指を口先に立てて店員を制すると、店員は喜んでガーネットの調子に合わせて声を低め、人差し指を立てる。私達は店員と共に猫背になりながら、ガーネットが指し示したボックス席へと移動した。


 席に腰を下ろしたガーネットはボックスから顔を覗かせ、カウンターの様子を窺う。私も振り返って観葉植物の隙間から様子を窺うと、木箱を置いて来たのだろう、厨房から出て来たヤマトがカウンター席に腰を下ろすところだった。カウンターの向こう側に立つダークエルフの女性が、ヤマトに笑顔を向けている。


「ヤマトさん、今日はお手伝いいただいて、ありがとうございました。駅馬車が運休になってしまって、どうしようか悩んでいたんです」

「いいえ、いいえ、気にしないで下さい、エレナさん。困った時にはお互い様です」

「本当に、助かりました…。それで、今日は何になさいます?いつものでよろしいですか?」

「あ!お願いします!」


 ダークエルフの女性の言葉にヤマトが機嫌良く応じ、やがて二人はカウンター越しにグラスを重ねる。その様子を見ていたガーネットの眉間に皴が寄り、店員がメニューを持ってきた。


「お料理とお酒、何を召し上がりますか?」


 メニューを広げたガーネットが目を見開き、やがて口を窄めながら幾つかのメニューを指し示していく。私もお酒とお摘まみを注文し、店員は一度オーダーを厨房へと伝えに行った後、やがてグラスとボトルを持ち、私達の許へと戻って来た。グラスにお酒を注ぐ店員に、ガーネットが尋ねた。


「あのカウンターのドラゴノイド、良く来るの?」

「ええ、週に二度ほどお見えになりますね。いつもカウンターに座って、オーナーとの会話を楽しんでいらっしゃいます」

「あのダークエルフの女性が、オーナーなのね?」

「はい。あの人、凄いですよね。あんな美人で、しかもあの若さでこんなお店を切り盛りするなんて。私、この店に入ってまだ3ヶ月くらいしか経っていないんですけど、私も早くこういうお店を持ちたいです」


 そう答えた店員はにっこりと笑みを浮かべ、自前のグラスを掲げると、ガーネットのグラスと重ね合わせる。


「お客さん、訳アリですか?良かったら、私も話を聞きますよ?」

「…イリス、悪いけど今日、財布に穴が空くかもしれないわ」

「はいはい」


 ガーネットが不機嫌そうにグラスを掲げ、私は親友の宣言に諦観の笑みを浮かべ、店員と三人でグラスを重ねた。




 酒の入ったガーネットはヤマトの愚痴を店員に向けてつらつらと重ね、私はガーネットの愚痴を聞き流しながらカウンターに聞き耳を立てた。カウンターでは相変わらずヤマトが威勢の良い話題を振り撒き、ダークエルフの女性が笑顔で相槌を打っている。


「えっ!?ついにレッドドラゴンまで討伐したんですか!?ヤマトさん、凄いじゃないですか」

「そんな事ないですよ。俺はタンカーですから、耐える事しか能がないんで。…エレナさんは、今どの辺りまで行かれているんですか?」

「それが…実は私のマスター、私の事を全然構ってくれなくて。未だ、この街から出た事がありませんの…。外の世界を旅できる皆さんが羨ましいですわ…」

「あ、すみません、変な事聞いてしまって」

「いえいえ、この世界では良くある事ですわ」

「…何か、アタシ、馬鹿みたい…」


 振り返ってカウンターに聞き耳を立てていた私の許に、ガーネットの呟きが聞こえて来た。目を戻すと、酩酊したガーネットがテーブルに片肘をつき、手に顎を乗せてカウンターを眺めている。


「…別にアタシ、アイツとどうこうなりたいって言うつもりは、ないわよ?でも、マスター達が同じ日にアタシ達を作ってからこっち、アイツとはギャーギャー言いつつも、ずっと二人でやって来たんだよね…。そのせいか、何となく、あの図体が隣にないと身の置き場所にも困るしさ…腐れ縁ってヤツかね…そう思ってたんだけどさ、アタシは…」

「…ガーネット…」

「…お客さん、大丈夫ですか?」


 顔を赤らめ、ぼんやりとカウンターを眺めているガーネットの「らしくない」姿に私は驚き、店員と顔を見合わせる。すると背後から椅子を引く音が聞こえ、振り返るとヤマトが席を立ち、ダークエルフの女性と挨拶を交わしていた。


「それじゃ、エレナさん。今日もご馳走様でした」

「こちらこそお越しいただき、ありがとうございました。気を付けてお帰り下さい」

「ガーネット、ヤマトこっち来るよ?どうするの?」


 慌ててガーネットへと目を戻すが、彼女はテーブルに肘をつき手の上に顎を乗せたまま、カウンターを眺めている。離脱を諦めた私達の許に、二人分の足音が聞こえて来た。


「…ん?ガーネット、何でお前、此処に居るんだ?」

「ヤマトぉ、アタシが此処に居ちゃ悪いコトでもあるのぉ?」

「んなモン、あるわけないだろうが」


 グダを撒くガーネットにヤマトが反論しながら、私へと目を向ける。


「イリス、悪いな、コイツの相手してくれて。どうせコイツの事だから、マスター達のコトでギャンギャン言ってたんだろう?」

「ギャンギャンなんて言ってないわよぉ…ヤマト…アンタとアンタのマスターが悪い…」

「はいはい」


 私が口を開こうとする前に、ガーネットが口を挟んだ。ヤマトは適当な返事をすると、へべれけのガーネットに手を伸ばし、その大柄な体で軽々と抱え上げる。


「ヤマトぉ、何やっているのよぉ…『ろぐあうと』中なんだから、私に触らないで…」

「ああ、分かった分かった。…イリス、悪いけど一旦立て替えておいてくれないか?後でコイツに清算させるから」

「ええ、好いわよ」


 子供をあやすようにガーネットの背を叩きながらヤマトが頼み、私は快く応じる。代金を女性店員に渡しながらお互い笑いを噛み殺すように頷き合っていると、店のオーナーでもあるダークエルフの女性がボックス席のこちら側に顔を覗かせた。彼女は私を認めると呆れ顔を浮かべ、張りのある腰に手を当てて溜息をついた。




「…全くもう。来ているなら、一声掛けてくれれば好いのに。黙って隠れているだなんて、人が悪いわよ ―――




「「…え?」」


 ヤマトと女性店員が目を丸くする中、私はエレナの追及に手を振って答える。


「今日は友達のお忍びに付き合っていただけだもん。それにオーナーの姉だからって特別扱いされたら、たまらないわ」

「この店の権利の三分の一は、姉さんなんですからね?」

「ガラじゃないわよ、接客だなんて。私は資金援助しただけだし、エレナの好きにしなさい」

「あ、あの…オーナーとは、どの様なご関係で?」


 私とエレナのやり取りを聞き、女性店員がおずおずと尋ねてきた。私はエレナを指差し、雑作もなく答える。


「この、ウチの『せかんど』なのよ。マスターが私にばっかり『ろぐいん』して来るから、半ば倉庫と化しているけどね。…エレナ、マスターは相変わらずかしら?」

「ええ、変わりません。毎日、数分だけ『ろぐいん』しては、私の体ばかり眺めています…本当にあの人ったら、しょうもない…」

「あの人、ホント、ブレないよね」


 そう答えた後、同じ悩みを抱える姉妹同士、私達は揃って溜息をついた。




 ***


『もう!ヤマトってば意地悪なんだから!わざわざ指輪なんか買わなくったって、”愛している”の一言さえあれば即座に許してあげたのに!』

『別に指輪渡した後だって言ってあげるよ…愛しているよ』

『私も愛している!んーっ!』

『わざわざホームまで来ていちゃついてるんじゃねぇよ!この、リア充どもがっ!』


 結局、ガーネット達のマスターの仲違なかたがいは僅か2日で終息し、マスターと同じように面白くなかった私は、「ろぐあうと」した後にいつも通りヤマトと口喧嘩を始めたガーネットから、立て替え分を遠慮なく巻き上げた。

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