8:ギルドマスターの講習会

「…」

「…」


 その日、私は街の中心にある噴水の前で立ち尽くし、俯いていた。


 下を向いたまま硬直している私の視界の端を多くの人の靴が通り抜けて行くが、正面に立つ男性の靴だけが私の方を向いたまま微動だにしない。私は視界の前方に映り込む靴の持ち主の顔を思い浮かべて顔から火を噴き上げ、出会い頭に開始された無制限一本勝負の我慢比べにひたすら耐え続ける。


 …は、恥ずかしい!穴があったら入りたい!


 き、昨日の今日だよ!?確かにその前に「見なかった事にして」って言ったけどさ、その舌の根も乾かないうちにアレだよ!?しかも、その「ろぐあうと」後にいきなり鉢合わせして、どんな顔すればいいのよぉぉぉっ!?


「…あの…」


 やがて、根負けした様な彼の声を聞いて私が恐る恐る顔を上げると、赤兎が私に負けないほど顔を真っ赤にしながら、俯いていた。彼は私から目を逸らしたまま二度三度口を開き、慎重に言葉を選んでいく。


「…み、見てないですから…」

「…え、ええ」

「…変な事は、何も起きなかったですから」

「そ、そうですよね!?」


 赤兎の、私の顔色を窺うような言い回しに私は飛びつき、愛想笑いを浮かべて同意する。彼は心のわだかまりを振り切るように目を瞑ると、大声で言い放った。




「――― 其処そこにイリスさんの下着なんて、存在していませんでしたからっ!」

「待って!その言い方、語弊があるからっ!私、昨日もちゃんとパンツ履いてたから!」




「…イリス、貴方、往来の真ん中で何を暴露しているのよ?恥ずかしくって、声掛けられないんだけど」

「あぁぁぁぁぁ…」


 道行く人々から一斉に注目を浴び、その視線に耐え切れずその場にしゃがみ込んだ私の許へ、ガーネットが歩み寄って来た。彼女は、私の正面で顔を真っ赤にして立ち竦んでいる赤兎へと目を向け、旧友に再会した様な気安さで語り掛ける。


「…貴方は赤兎ね?改めて、アタシはガーネットよ。これからもよろしくね?」

「…よく、瞬時に僕だとわかりましたね…」

「すぐに気付くわよ。昨日、男の人でイリスのパンツ見たの、貴方しか居ないもの」

「人のパンツをアリバイに使わないで」


 感嘆の声を上げる赤兎にガーネットが種明かしをして、私に追い打ちをかける。ていうか、その一言でさっきの赤兎の気遣いが全て無駄になったんだけど。諦めて立ち上がろうとする私の手をガーネットが取り、腕を組みながら赤兎を食事に誘った。


「アタシ達、これからお昼ご飯行くんだけど、貴方も一緒にどう?」

「好いですか?僕もついて行って」

「勿論よ、ギルメンなんだから。…イリス、今日何処に行く?」

「そうだね…赤兎に私達の行きつけのお店、紹介しようか?」

「そうしようか」


 昨日の今日だし、赤兎に教えて貰ったお店はまた今度にしよう。


 そう思いながら私は二人と会話を交えつつ、行きつけのお店へと向かった。




 ***


「…あれ?先生じゃない。久しぶりね、『ろぐあうと』中に会うのって」

「おや、ガーネットさんとイリスさん。こんにちは」

「こんにちは、先生」


 先頭を切ってお店に入ったガーネットが、店内で本を読んでいるエルフの男性に目を止め、テーブルへと駆け寄った。エルフの男性は顔を上げて私達の姿を認めると穏やかに微笑み、テーブルを指し示す。


「私も来たばかりですし、一緒に如何です?」

「ありがと、先生。お邪魔するわ」


 先生のお誘いにガーネットが闊達に礼を述べ、先生の隣の席に腰を下ろす。私は先生の正面に腰を下ろし、赤兎は私の隣に座った。先生がはす向かいに腰を下ろした赤兎に目を向け、小首を傾げる。


「…その方は、どちら様?」

「先生、紹介するわね。彼の名は赤兎。ほら、例の赤毛のノッポさんよ。一昨日縁があって、ギルドに誘ったの。…赤兎、この人がギルドマスターの姜尚さん。アタシ達は、先生と呼んでるわ」

「初めまして、姜尚さん。新しく入りました、赤兎です。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、初めまして。姜尚です」


 椅子に座ったまま膝に手を置き、勢い良く頭を下げる赤兎に、先生が穏やかな表情で頷き返す。先生の隣に座るガーネットが、口を挟んだ。


「アタシのマスターがサブマス権限で入れちゃったけど、大丈夫よね?」

「大丈夫ですよ、きっと。私のマスターは、あなたのマスターを信頼していますから」


 一言断りを入れるガーネットに対し、先生が鷹揚に答える。メニューを見ながら三人の会話を聞いていた私は顔を上げ、先生に尋ねた。


「先生、3日ほど見てなかったけど、また何処かの応援かしら?まだ暫くかかりそう?」

「ええ、深淵のダンジョン攻略の応援に行ってまして。でも、さっき戻って来ましたから、今日は顔を出すと思いますよ」


 先生のマスターは交友関係が広く、レベル80のカンストヒーラーという事もあって、最難関のダンジョン攻略に駆り出される事が良くある。私のマスターは「こうりつちゅう」ではあるものの「ろぐいん」時間が短く、ガーネット達も「りあじゅう」のせいで、みんなカンストには至っていない。それに比べると、カンスト済みで「ろぐいん」時間の長い先生は、どちらかと言うと「まったり」が多い私達のギルドの中では、突出した「はいじん」だった。




 ***


「…そうですか。それでずっと、体が動かなかったんですね」

「ええ。でも、イリスさんのマスターのお陰で動けるようになりましたから。これで街の外に行けるようになると、喜んでいました」


 料理が運ばれ、私達は食事を楽しみながら会話を交える。話題はいつしか、赤兎と先生のマスター談議に移っていた。先生は食事の手を止め、赤兎に答えた。


「『ろぐいん』中にお逢いしたら、多分私のマスターがレベル上げを手伝うと言い出すと思いますから。その時は、遠慮なく私を頼って下さい」

「え?でも、僕はまだレベル9ですよ?正直、カンストされた方の手を煩わせるほどでは…」

「それでも私のマスターは、そう申し出ると思います」


 先生は赤兎から視線を外し、手元の料理を見つめながら微笑む。


「…私のマスターは、人に何かを教えたり、誰かを助けたりするのが好きなのです。ですが、多分それが、『りある』では叶わないのでしょう。いつも長い時間『ろぐいん』して、他の『ぷれいやー』の手伝いに勤しんでいます」

「…姜尚さん?」

「…『りある』に生きる人々にとって、この世界は幻だと言われています。ですが、例えこれが幻であっても、私はマスターがこの世界に縋り続ける限り、マスターの誰かを救いたい、誰かを導きたいという想いを、叶えてあげたいのです」

「「…」」


 先生の、此処に居ない誰かを慈しむ様子を見て、赤兎が気遣わし気に尋ね、私とガーネットは顔を見合わせる。私やガーネット達と違い、この二人は自分達のマスターに心酔し、深い想いを寄せている。その想いを抱けることは、はたして幸せなのか、不幸なのか、私には答えを見い出す事ができなかった。




 ***


『先生、この人が新しく入った赤兎。赤兎、この人がギルドマスターの姜尚さん。みんなは先生と呼んでるわ』

『 初 め ま し て 。 赤 兎 で す 。 よ ろ し く お 願 い し ま す 』

『初めまして、姜尚です。姜尚でも先生でも、好きな方で呼んで下さい』


 その晩、予言通り先生がギルドホームへと顔を出し、ガーネットの紹介を経て赤兎と顔を合わせた。「私」はホームの中央に立ち、二人の顔合わせを余所に、次々にキレのある蹴り技を繰り出している。


 右ハイ、左ハイ、一拍置いて右後ろ回し蹴り。右脚が目の高さまで上がり、左脚を基点に大きな弧を描く。遠心力でミニスカートが捲れ上がり、下着が露になる。


 おかしい。確か私はソードマスターだったはずなのに、何故格闘職顔負けのハイキックを放てるのだろう。私の疑問を余所に「私」マスターは大きく右脚を振り上げ、華麗な踵落としを皆に披露しながら、先生へと尋ねた。


『先生、確かセカンドで弓職使ってたよな?赤兎に良いビルド教えてやってくんない?』

『ええ、好いですよ』

『頼むわ、先生。…あ、それとコイツ、訳あって右手一本で操作しているから、右だけでよろしく』

『右コントローラだけですか?ちょっと考えてみますね…』


 そう答えた先生はその場で顎に指を当てて考えに沈み、その間「私」は手を床について両脚を大きく振り回し、続けざまに見事な「かぽえいら」を披露する。やがて足技限定の演武が終わり、立ち上がって足を揃えた「私」が淑女の嗜みと謂わんばかりに優雅な手つきでスカートをたくし上げ一礼したところで、先生が顔を上げた。


『レベル9だとまだ取得してないスキルもありますけど、何となくイメージできました。赤兎さんのレベル上げついでに、実戦でやりましょうか。ちょっと、セカンドに代えてきますね』




 ***


『右手一本だとスキル枠がギリギリですが、こんな感じでしょうか』


 ゴブリンの森に到着した私達の前で、先生の「せかんど」の姜子牙が、ゴブリンに向けて弓を構える。


『≪バーストショット≫』

『ギャッ!?』


 橙色の光を帯びた矢が放たれ、ゴブリンに突き刺さった途端に爆発四散した。三次職のスキルを受けて跡形もなく吹き飛び、扇形に広がった血糊を前に、先生が赤兎に講義する。


『1枠目は、ダメージ系のスキルでしょうね。単純な火力の底上げと、トドメに使います。火力だけで選んでも良いですが、ノックバック効果のあるスキルを選んだ方が、汎用性があります』

『 は い 、 わ か り ま し た 』


 赤兎が神妙に頷くと、先生は再び矢をつがえる。


『≪デッドリーポイズン≫』

『ガッ!?』


 緑色の光を帯びた2本目の矢が標的の胸に吸い込まれ、ゴブリンは背中から飛び出たやじりによって背後の木へと縫い付けられる。木の幹に磔となり、三次職の直撃で毒が回る必要もなく即死したゴブリンを前にして、先生が淡々と効果を説明する。


『2枠目はDoT、継続ダメージ系のスキルです。これも火力の底上げ、特に防御力の高い敵のダメージソースになります』

『 な る ほ ど 』


 その後も、先生は次々とゴブリンに向けて矢を放ち、赤兎への講義を続ける。


『≪シャドウステッチ≫。3枠目は移動阻害系のスキル。移動速度低下やバインド系が良いです』

『グェッ!?』

『≪パラライズショット≫。4枠目は行動阻害系のスキル。上手くタイミングが合えば相手のスキルの発動を潰し、暫くの間再使用できなくなります』

『ブフッ!?』


 続けざまに放たれた先生の矢が、立て続けにゴブリンの命を刈り取る。前者は膝に当たった途端下半身が消失し、後者は口の中に飛び込んで頭部を吹き飛ばす。各々阻害系のスキルでありながら、三次職の攻撃力の前にスキル効果を目にする事なく、目標を屍へと変えていく。


『5枠目は、罠もしくは回避スキル。相手に接近された時に使います。6枠目は、移動速度向上スキル。相手と距離を取ったり、離脱用ですね。後は7枠目と8枠目にHP、MPポーションを積んで、ちょうど枠ピッタリです』

『 な る ほ ど 、 勉 強 に な り ま す 』

『ゲフッ!?』

『ガハッ!?』

『ゴバァ!?』


 原型を留めないほど破壊された4体のゴブリンの死体を前に滔々とうとうと講義を続ける先生と、律儀に頷きを繰り返す赤兎。それと、そんな二人を尻目に森の中を直進し、居合わせたゴブリンへと次々に蹴り技を見舞わす「私」。顎を蹴り上げて、体が浮き上がったところに右ハイ。大きく前方へと踏み出し、右脚を高く掲げて踵落とし。身を翻し、ゴブリンに一瞬背中を見せた後の右後ろ回し蹴り。「私」の足の甲が、脛が、踵がゴブリンの体を捉え、その部位を消失させる。太腿が躍動し、ミニスカートが捲れ上がり、純白の下着と赤い血飛沫が宙を舞う。


 そして、死屍累々の森の中で仲良く並んで腰を下ろし、「私」の蛮行を見学する「りあじゅう」が二人。


 …あの、マスター…私、ソード…。


 先生の赤兎に対する講習は、森の中で繰り返される断末魔と混沌と共に、暫くの間続けられていた。

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