[4-1] 天井の人影

「悠真、お帰りなさい。結衣ちゃんもいらっしゃい」

 神社で二瀬から『魂の通り道』の話を聞いたあと、私たちは巨大駅の喫茶で軽食など食し、それから帰途についた。

 結衣さんは、わずかだが陽気さを取り戻した様子。

 帰宅するとすぐに、仕事が休みで在宅していた母親が出迎えてくれ、冷たい茶を飲めと言って私と結衣さんを台所の洋机へと促した。

「結衣ちゃん、スイカ食べる?」

「え? あ、食べる。いいの? おじさんのぶんある?」

「ちゃんとあるから気にしなくていいわ。悠真も食べるでしょ?」

 西瓜は、田舎の婆さまがよく持ってきてくれていた。

 我が家の店は軍都の真ん中にあり、庭は葱が少々作れる程度であったため、山ひとつ向こうに住む父方の婆さまが、しょっちゅう家で採れた野菜を生活の足しにと持ってきてくれていた。おかげで、夏にはよく丸々とした西瓜にありつけたものだ。

 外の猛暑からは想像もできない、ひんやりとした居間。

 機械で部屋をまるごと冷やすなど、我々の時代からは想像もできない。

 西瓜や野菜を冷やすのは川や井戸の水であったし、専用機械で冷やし続けねばならぬアイスクリームなどは、縁日にでも行かない限りはまず口にすることはできなかった。

 母親が冷蔵庫から、既に切り分けた冷え冷えした西瓜を卓上へと運ぶ。その横で結衣さんが、涼し気なコップに麦茶を注ぎ始めた。

「そう言えば、悠真。お昼にサッカー部の先輩が訪ねて来たわよ? えっと、宇佐くん、だっけ? みんなが『リューキチ先輩』って呼んでる、あの子」

 母親のそのひと言のあと、突然、ゴトリと鈍い音がした。

「あっ、ご、ごめんっ」

 卓上に広がる麦茶。

 見ると、結衣さんが手から転げたコップを慌てて拾い上げている。

 するとすぐに、母親が布巾を投げてケラケラと笑った。

「あららー、ほれ、これで拭いて」

「あっ、ごめんなさい。えっと、あの……、宇佐先輩、なんの用事だったのかな」

「んー? 悠真に用事があるって言ってたわよ? 登校日で学校行ってまだ帰って来てないよって言ったら、それ以上なにも言わないで帰っちゃったけど」

「へ、へぇ」

 どうしたのだろう。どうも様子が変だ。

「結衣さん、どうかしましたか?」

「えっ? なっ、なんでもないよ? あ、おばさんっ、あたし、ちょっと用事を思い出しちゃった! ごめん、スイカはまた今度」

「えー? 明日にはもうなくなっちゃうかもよー?」

 なにやら、そそくさと席を立つ結衣さん。

 別れの挨拶をする暇もなく、結衣さんは足元の鞄をひったくってドタバタと出て行ってしまった。

 母親が、呆気にとられた顔を出入口のほうへ向けている。

「お母さん、リューキチとは?」

「え? ああ、分からないよね。サッカー部の三年生でキャプテンやってる子。背が高くてかっこいいわよー?」

「ふうん、わざわざ訪ねてくるとは……、私が記憶を失くす以前にも同様のことがあったのでしょうか」

「え? そうねぇ、一緒に遊びに行ったなんて話は聞いたことないわね」

 その後、アイスクリームのようによく冷えた西瓜を口に運びつつ、母親から悠真くんが懸命に蹴球に打ち込んでいた様子などをひととおり聞いた。

 話を総ずれば、悠真くんは明るく快活で自己主張は控え目な性格であり、常に地道に努力を重ねる性分で、いつの間にやら周囲がその姿を認めて、気が付くと自然と花形の役に収まっているという、実に温和堅実な男であったようだ。

 それから夜になり、ずいぶんと待ってみたが、結局、寝るまでの間に結衣さんからの文字通信は入らなかった。 

 

 夢を見た。

 昼に皆と訪ねた、あの神社。

 なぜか私は、一番下の上り口の鳥居の前で最初の石段に足を掛け、まさにこれを上らんとしていた。上へ上へと続く石段の途中に、もう一本の立派な鳥居が厳然としているのが見える。

 突然、風が頬を撫で、頭上を覆っていた木々がさざめいた。

 見ると、昼と同じく、濃緑の木々たちが成す隧道の上に、たわわな葉の間隙から覗く青空が見えた。

 ハッとした。

 あの空だ。

 あの、光の雲を誘う、魂の通り道の蒼天だ。

 私は思わず目を瞑り、奥歯を噛んで石段を駆け上がった。

 爆音が聞こえる。

 見上げると、数機の飛行機が飛んでいた。

 蒼天を背景に、矢のように突き進む飛行機たち。

 零戦のほかに、練習機の『白菊』や、陸軍の『一式戦』なども見える。

 東から西へと、まるで燃え盛る怒りをぶつけんばかりに響く轟音。それらはかなり高い高度を猛進しており、高高度を飛来する米軍の爆撃機に一矢報わんとする様相に見えた。

 そのときだ。

 石段を見上げた先。

 そこに、ひとりの男が立っていることに気が付いた。

 飛行服の男。

 海軍航空隊の伝統である夏用つなぎの飛行服に身を包み、男は鳥居の向こうで静かに私を見下ろしている。

 あれは、私だ。

 昭和二〇年の、川島秋次郎だ。

 そうか、お前も行くのか。

 しかし、戦争はもう終わるぞ?

 一歩踏み出し、その私ではない私にそう声を掛けようとしたとき、額にじわりと汗が伝ったのが分かった。

 ふと、目が覚める。

 暑い。

 目を開けた真上、見上げた壁の空調機を見ると、いつも小さく点灯している緑の灯火が消えている。どうやら、いつの間にか空調機が止まってしまったようだ。

 顎を上げて枕元を見ると、逆さまに見える時計は『8月7日 AM2:15』の文字を表示していた。

 うしどきか。

 空調機の操作器はどこだろう。

 もごもごと口ごもりつつ暗がりの中でシーツを撫でまわすと、左脇の下に操作器があるのが分かった。

 そして、それを手に取ろうと寝返りを打った、そのとき。

 ハッとした。 

 時計の文字の光とは違う、別の淡い青白い光が天井をほのかに照らしている。

 そして、その照らされた天井は、じわりじわりと輪郭をはっきりとさせ、ついに、そこに鏡のように像を映した。

 人が寝ている。

 私が映っているのだろうか。

 ちょうど、ベッドに寝ている私が映っているかのごとく、正面に見える天井の光の中に、布団に横たわる男が見えた。

 おぼろげな影。

 これは、夢の続きか。

 夢なのか、現実なのか、その境界は渾沌として私の眼前をゆらゆらとしていた。 

 じわりと、もう一度天井の人影を見た。

 そのとき、私の脳裏を巡ったのは、二瀬が話してくれた仮説。

 時間線の短絡……。

 これもその短絡だとしたら、この天井に見えている世界も、あの宮町本家で見た部屋と同じ昭和二〇年の――。

 そのとき、水面の陽光のごときゆらめきがゆっくりと静止し、天井を銀幕にしてそのもうひとつの世界が詳らかとなった。

 傷んだ畳床。

 枕元の軍服。

「ああ、やはり夢の続きか……」

 ついさっきは石段の上で私を見下ろしていた昭和二〇年の私が、今度は兵舎の薄布団で掛布を腹に掛けて横たわっている。

 見慣れた顔だ。

 寝ぼけ眼を半分開いて、じっとりとこちらを見つめている。

 私は、おもむろに寝返りを打ち直して天井の私に正対すると、それから先ほど伝え損ねた言葉を小さく呟いた。

「秋次郎よ、もうじき戦争は終わるぞ。それでもお前は行くのだろうな」

 そう寝言のように独りごちたとき、突然、その声がふわりと耳に届いた。

『これは、夢?』

 男の声。

 低く沈着な、若者の声だ。

 そしてそれは、天井の男が発したものだと、すぐに分かった。

 やや当惑しているとも聞き取れるその声に、私は親し気に問い放った。

「良くできた夢だと思わんか?」

『うん。とても良くできた夢だね。とっても懐かしい』

「懐かしい?」

 続けて聞こえたその声が、突然、私を現実へと引き戻す。

 ハッとした。

 まさかこれは。

「お前は、私ではないのか?」

『私って、誰のこと? キミこそ、僕じゃないの?』

 向かい合った無言。

 私は額の汗を拭い、それから努めて沈着に言葉を返した。

「私は……、私は横田悠真であり、そして、川島秋次郎だ」

『そうか。あなたと僕が入れ替わったって設定? それなら、本物の川島上飛曹がどこへいってしまったのか説明がつくね。僕にこんな想像力があったなんて』

 それは私も同じだ。このような想像力が、私の中にあるはずがない。

 間違いない。

 これは夢ではない。夢ではないのだ。

『本当に良くできた夢だ。それじゃ、あなたと同じように言うなら、僕は川島秋次郎であり、そして横田悠真だね。川島上飛曹、初めまして』

 彼だ。

 本物の、横田悠真だ。

「いや、夢ではないぞ。私は正真正銘、本物の川島秋次郎だ。悠真くん、いったいどうして、私たちはこのようなことになったのだろう」

『もう、どれが夢でどれが現実か分からなくなってしまいました。僕、サッカーをしてたら突然気を失ったみたいで、それで次に気が付いたら病院で寝てて』

「そして、君は私になっていた……、と」

『はい。川島上飛曹のゼロ戦は、雷に打たれて陸軍の練兵場に墜落したと聞きました。僕の現実はそのあとの病院から始まったんですけど』

「そうか。大変だったろう。本当に済まない。怪我はなかったか?」

『いえ、幸い大きなケガはありませんでした。でも、かなり頭がおかしくなったようだからしばらく休めって言われて』

「予備役に回されたのか?」

『いえ、しばらく休養させてもらいましたけど、いまはお国が大変な時だからって、また復帰するように言われました。いまは岩国に居ます』

「そうか。そこは岩国の基地なのだな? しかし、休養とは、どこでだ? 家はもう無いだろう?」

『志保さんがいろいろと助けてくださって、勲さんの本家でしばらくお世話になりました』

「勲と志保が……」

 ふと横を見ると、志保の鏡台がほのかな光を帯びていた。

 すぐに、宮町本家で見た、あの鏡の向こうの部屋のことが思い出された。 

「ふたりは息災だろうか」

『はい。勲さんは陸軍造兵廠の大尉だそうです。志保さんも元気です。よく手紙をくれます』

「そうか。いま、どの班に居るのだ? 君に軍での生活は辛いだろう」

『いまは、小林上等整備兵曹にお世話になって、整備の仕事をしています。小林上整曹は同期だそうですね』

 小林は私の海兵団入団同期で、互いにずっと別々の戦線を転戦してきたが、ここ岩国航空隊の再編で再会した。最後に墜落した教官用の零戦も、小林が寝る間も惜しんで至極丁寧に整備を重ねてくれていたものだった。

『まぁ、辛かったのは軍だけじゃなくて、なにもかもでした。いつも寝るとき、きっとこれはぜんぶ夢で朝には元に戻るんだって、そう思ってました。まぁ、だからいまこんな夢を見ているんでしょうけど』

 天井の私が、はにかむような笑顔を見せた。

 こんな顔が自分にできたのかと、少々当惑する。

『でも、もう大丈夫です。先月からは、ちゃんと飛行訓練もさせてもらっています』

「なに? 君が飛ぶというのか?」

『はい。自然と手足が動いて、自分でも不思議なくらいにスムーズに乗れるようになったんです。川島上飛曹の体だからでしょうか』

 そう言えば、いつぞや私が蹴球をしたときもそうだった。

 そうそうやったこともない蹴球をあんなに上手くできたのは、悠真くんの体がそれを覚えていたからだろうと、そう感じたのを覚えている。

 これが、横田悠真くんか……。

 それにしても、実に柔らかな物言いだ。

 話すほど、彼がとても心優しく、そして聡明であることが容易に窺い知れる。きっと、彼をよく知る級友らの目には、川島秋次郎の物言いをする彼の姿は相当奇天烈に映ったに違いない。

『結衣は元気ですか?』

「もちろん元気だとも。悠真くんの姿をしている私を、とても気遣ってくれている」

『よかった。じゃ、設定では結衣はこのことを知ってることになってるんですね』

 柔和な笑顔。

 己の顔がこんな柔和な表情を作れたのかと、いささか当惑する。 

「いいか? これは本当に夢ではないのだ。結衣さんは、本当に良くしてくれている。そして、彼女を見る度、志保を思い出す」

『あはは。でもちょっと気が強いから、志保さんみたいに尽くす感じじゃないでしょうけど』

「いや、そんなことはない。彼女は尽くす良い女房になると思うぞ?」

『そうでしょうか。それじゃ……』

 突然、彼の微笑みが消えた。

 顎を引き、じわりと横一文字の唇を震わせている。

『それじゃ、夢の中だけどお願いさせてください。川島上飛曹が、絶対に結衣を幸せにしてやってください。お願いします』

 なにを言っているのだ。

 それは君の務めだ。

「いや……、違うぞ、悠真くん。彼女を幸せにするのは君だ。どうにかして君はこの現代に戻って――」

 そう言いかけて、思わず閉口した。

 どのようにして戻ればいいのか、分りもしないのに。

 どのようにしてこの不可解な入れ替わりを解消すればよいのか、見当もつかないのに。

 一瞬の沈黙。

 天井の光はゆらゆらと揺れながら、無言の川島秋次郎を青白く浮かべている。 

『川島上飛曹、学校は行ってますか?』

「学校? ああ、記憶喪失の横田悠真としてだが」

『……楽しいですか?』

「君を前にしてその答えを口にするのは、至極気が引ける。済まない。楽しくないと言えば、それは嘘になる。私は……、私は初めて、死を覚悟しなくてよい世界を知った」

『そうですか。じゃ、僕は逆ですね。僕は……、初めて、死を覚悟しなければならない世界を知りました。そして、逃げだしそうになったんです』

 それは当然だ。

 そこは、現代の十七歳である彼が、容易に耐えられる世界ではない。

『でも、中隊長から、特別年少兵は十四歳でお国のために戦艦に乗って前線に出ておるのだぞ? 貴様は何をけておるのかって、そう怒鳴られたんです。ショックでした。これを聞いて、十七歳の僕、いや、二十五歳の海軍軍人である川島秋次郎がぼんやりしているわけにはいかないって、そう思いました』

「悠真くん……、君は」

 真剣な眼差しを向ける彼。

 昭和二〇年から私に語り掛ける悠真くんは、結衣さんが話してくれた高校二年生の彼とは全く別人に思えた。

 おそらくこの四か月、想像を絶する苦悩に翻弄されながらも、それをひとつひとつ克服してきたに違いない。

『そして、その思いをもっと強くさせてくれたのが、志保さんです。志保さんが居なければ、僕はこの世界で生きていけなかったと思います。志保さんには本当に感謝しています』

 それは私も同じだ。

 結衣さんが居なければ、私はとうの昔に自ら命を絶っていたかもしれない。

『おかしな話ですけど、実は僕、この時代に来られたことにも感謝しているんです』

「それは……、どういうことだ?」

『僕はこの時代に来られたからこそ、思い知ったことがたくさんあるんです。僕は、こんな時代が日本にあったなんて知りませんでした。こんなにも男の人が男らしくて、女の人が女らしかった時代があったなんて』

「いや、それは時代における価値観の相違でしかない。それぞれの時代に相応の男女の役割があるだけで、現代の世の男が男らしく無く、女が女らしく無いなんてことはないのだ」

『それは分かっています。でも、この時代の人たちは、誰かを護るための本当の勇気を持っていると感じました。男性も、女性も、誰かを護るために自分が傷付くことを恐れない。それはとても勇気が必要なことだと思います』

 違うのだ。

 そう感じるように、国が我々を鼓舞したのだ。

 国民を飲み込んだその大きな濁流が、皆に一億総特攻を声高らかに叫ばせたのだ。

 君までもが、そうなってはいけない。

「悠真くん……」 

『だから、僕も志保さんを護るために、勇気を持ってこの時代の自分を全うしようと決心しました』

「全う? ちょっと待て。きっとここへ戻って来る方法はあるのだ。二瀬によれば――」

『二瀬? 懐かしいな。そうなんだ。ハルくんもこのことを知っているんですね』

「ハルくん? そうか、『遥』で『ハルくん』か。いいか? 二瀬は絶対にその方法はあるはずだと言っていた。二瀬によれば、この奇怪な現象は時間線の短絡に因るものだそうだ。その短絡点を超える方法を――」

『いや、さすがのハルくんでも、そんなSFみたいなことは簡単にできないでしょうね。だから僕はこの時代で――』

「現に、現にいまこうして君と私は短絡点を通して話をしているではないか。きっと方法はあるはずだ。だから、君は結衣さんのために、絶対にこの現代へと戻ってくるのだ。それまで、命を大切にするのだ」

 悠真くんはしばらく口を噤んだあと、伏せた瞳を開いてもう一度私のほうを見上げ、そして何かを訴えるように真っ直ぐに見つめた。

『じゃ、これが夢じゃないって仮定して話します。もし僕がそちらへ帰る方法が分かったとして、でもその方法では僕だけが帰ってあなたがこちらに戻れないのなら……、僕はここに残ることを選びます』

「残る? なぜだ」

『戦って、大切な人を護るためです』

「それは……、志保のことか?」

『はい。川島上飛曹がこちらへ戻って来られないのなら、僕がここで志保さんを護ります』

「悠真くん……、惑わされては――」

 私がそう言いかけると、突然、空気がゆらりとした。

 まるで水に潜ったかのように、届いていた声が滑らかな反響の中に埋もれる。

 天井の彼も同様であったのか、一瞬、彼は口を開けて驚いた顔をしたが、すぐにそれはあの柔和な笑顔の中へと消えた。 

『このメッセージが、本当に川島上飛曹に届くことを願います。結衣を……、頼みますね』

 私の姿をした横田悠真くんは、ゆっくりと右手を上げて海軍式の敬礼をして、それから満足気に微笑んだ。

「悠真くん、死ぬなっ! 死んではいけないぞ!」  

 むなしく響いた、私の声。

 その声は川島秋次郎が発したものであったが、天井の向こうの川島秋次郎ではなく、現代の部屋でぬくぬくと横になっている横田悠真の青々とした声であった。

 横を見ると、志保の鏡台のほのかな光は失われていた。枕元の時計の光る文字だけが、うっすらと部屋の中を照らしている。

 私は、横田悠真に会った。

 彼は、泥と砂にまみれ、砲弾の雨が降り注ぐ劣悪な昭和二〇年の日本で、その現実から目を背けることなく、自らの為すべきことは何かを見定めていた。

 私は、彼が軍隊を学び、飛行機に乗り、今の私よりよほどに軍人らしい、男らしい覚悟をしていたことに甚だ驚愕した。

 それに引き替え、私はどうだ。

 私はこの現代の世の安寧に溺れ、軍人としての気概などとうに没却ぼっきゃくし、そして未来人にも成り切れずに、半端なまま日々をただ漫然と過ごしているだけだ。

 彼の、志保への強い想い。

 昭和二〇年を生きる海軍上等飛行兵曹川島秋次郎として、彼はその人生を全うすると言った。 

 戦って国を護る、志保を護ると、その強烈な決意を彼は真剣に語った。

 私はいったい何をしているのだ。

 なにも成し得ず、虫けらのように、ただただ周囲の慈悲にすがっている。

 考えがまとまらず、言い表しようの無い焦燥感に襲われた私は、掛布に顔を埋めてぎりりと奥歯を噛んだ。

 そして夜が明けるまで、茫然とあの覚悟に満ちた横田悠真の笑顔を思い出していたのだった。

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