3話 I know you. You believe me.

 ──────冬が嫌いだ。

 3年前のあの日をどんな言葉で閉じればいいのか……まだわからないから。



(まただ)


 鼻先を掠める、焦げた匂い。それは彼にとって自分の魂の半分を抉り取る恐怖そのものだった。

 弾かれた様に啓太は背後に目を向ける。

 遥か遠方に、だがはっきりと見えた。

 またあの男だ。

 黒いフードから覗く口元は、啓太の視線を受けると歪な孤を描く。

 男は隠していた左手を啓太に向かって翳した。瞬きの間にその手に握られていたのは一発だけ弾丸が装填された回転式拳銃。

 銃口は啓太……を外れて構えられていた。

 左側、肩くらいの高さ。


(……あ)


 切れ長の目が溢れんばかりに見開かれた。その時


「啓太さん」


 柔らかな男の声が名を口にしたのと同時に銃声が鳴る。

 弾かれたように振り返る。

 まだ凶弾に気がついてないその男の顔は陽だまりのように明るい表情で


(やめろ)


 あいつだけじゃなくこいつも連れて行くのか


(また惨めになる)


 何のために力を得た。

 誰のために力を得た。


 どうか弾丸よりも速く。守れるように……奪われないように……その人のもとに走っていた。


 誰も奪わせない。

 この地球上のどこかで、あんなものなんかに誰かが殺されるなどあってはならない。



「蓮陽っ!」

「はい……!?」


 そこで啓太は目を覚ました。


「どうしました……?」


 眼前には目をパチクリさせている蓮陽の姿が。左手は車のドアにかけたままで、行き場なくまごついている右手には椿の描かれたハンカチが握られている。

 頬を伝う大粒の汗を拭ったところで、啓太は自分の状況を理解した。

 蓮陽の体越しに見える景色は見覚えがある。東京の下町だ。写真の送り主の家に着いたのだろう。

 夢だと自覚した途端に疲労感が全身にのしかかってくる。かなり堪えたのか啓太は珍しく露骨にため息を吐いた。

 ……やはり居眠りなんてするもんじゃない。

 今もまだ激しく脈打つ心臓がうざったい。どうしても震えが止まらない。

 あれは夢だ。

 そう何度も何度も繰り返し、封じ込めようとするほど、実態の無い硝煙の香りが濃くなってゆく。

 動けずにいる啓太に蓮陽は


「啓太さん……大丈夫ですか?

 あの……僕夢の中でも怒られるようなことしちゃいましたか?もしかして一昨日のお風呂を洗い忘れたことですか…っ!?

 梟介さんにすっごく怒られましたしもうしませんから許してください……ランニング後で疲れて眠っちゃっただけなんですよ……」


 まるでかすりもしない見当違いなことを言って仔犬のように項垂れる。慌てたり驚いたり、コロコロと変わる表情を見ていたら、不思議なことに不快な動悸がピタリと治まった。

 啓太は項垂れる仔犬の茶の髪を撫でながら、横を通り抜け車を降りた。その顔はほんの少し、穏やかな表情が浮かんでいたのだが蓮陽には決して見せない。

 振り返った啓太の顔はいつも通りの仏頂面。


「……次忘れたら腹筋」

「えっ……いやです!」

「未だに100回もできないもんな?」

「わかってるなら腹筋だけはしないでください〜っ!」


 抗議の意を込めてか、いつもよりほんの少し大きくドアを閉める音がした。


「啓ちゃんおはよ〜待ってたよ。ほい、スポドリあげる〜」


 住宅街角から飲み物を携えて出てきた四葩はその辺を歩いていたのか、ベージュのダッフルコートに隠れていない顔や耳がほんのり赤い。

 その様子から察するに到着してから思ったより時間が経っているらしい。


(馬鹿真面目)


 啓太は心の中でそう呟きスポーツドリンクを流し込んだ。

 あの瞬間までいつ起こせばいいのかオロオロ困っていたのだろう。見てない間の蓮陽の様子が手に取るよう容易に想像できた。


「ここがあの数字の場所か」


 水分補給を済ませ、3人は小さな平家建ての住宅へと向き直った。

 塀のインターホンを押しながら、ポストに目を向ける。現住所と共に記された2人の名前。

 阿久津あくつ紘杜ひろと

 阿久津あくつ永遠子とわこ

 呼び出し音が鳴り止んでも、誰かがやって来る気配は無い。


「………いないな」

「なんだか……嫌な静けさですよね」


 啓太は二回目を押すこと無く歩き出し、玄関の引き戸に手をかけた。


「……開いてるな」


 瞬間、香った匂いに啓太は顔を顰めた。勢いよく戸を開け放つ。

 眼前に広がる光景に3人は絶句した。

 部屋という部屋全てのドアが、襖が、全て開けられ、家財は不恰好に倒され、服や生活用品は散乱している。

 誰かが意図的に荒らしたのだろうと一眼見て分かった。


「……いったい誰が」

「事件発生……だね?」

「なぜ写真が送られたのか。これでわかったな。銃に関して何かトラブルがあったと考えるのが妥当か……」


 足のやり場を探りながら各自部屋を見回す。

 投げ出され土足で踏まれた男物のトレーナーに、ハンガーからブラブラと垂れる女の子のワンピース。

 ……父と娘、その2人の住民の姿は無い。

 蓮陽の耳に鈍い重低音が響く。

 この場に残っている誰かの悪意を感じ取ったのだ。

 嘲笑うように音は不気味に唸り、いやがおうにも意識が引っ張られる。

 かぶりを振ってもまとわりついてきて、なんだかいつもよりもしつこい。


「遅かったのでしょうか……僕達」


 聞いているだけなのに不快だった。自然と背が曲がり、俯く。そんな蓮陽の顔を上向かせたのは、飄々とした四葩の返事だった。


「いや〜……そうでもなさそうじゃない?」

「え?」

「荒らされたのは今朝なんだろうけど、この家にはしばらく人が帰ってきてないみたい」

「本当ですか?」

「啓ちゃん、れんれん、この部屋を見てどう思う?」

「どう思う……というと」

「……荒らされてるな、以外の事ですよね」


 赤髪を耳にかけ、いたずらっ子のような微笑みを向けるこの男は一体その目に何を映したのだろう。

 啓太と蓮陽は同時に息を呑んだ。言い表し難い畏怖の念のようなものを抱いたからだろうか。今までも感じてはいたものの、やはり四葩はよく人を見ている。

 プロの知識も心理学の一つも齧っていないのに、俗に言うプロファイリング以上のことを飄々とやってのけてしまうのだ。

 彼の感じたものを探そうと蓮陽は目を凝らした。

 集中しているところなのに間抜けな羽音が聞こえてうるさい。耳の辺りを払った。


「あ、ほら今」

「……?コバエを払っただけですけど」

「町内会をふらついたところ生ゴミの日は昨日だったみたい……ハエが大人に成長するまでこの家の人は放っては置かないはずだよ」


 そこまで聞いて分かったのか、啓太は台所の方へ目を遣る。


「なるほど、確かにな……掃除道具の揃え方から見ても相当綺麗好きなことが見て取れる」

「じゃあ阿久津さんは家に帰っていない……暴力団の襲撃は回避した?」

「と思いたいところだけど……最悪のケースも考えられるじゃん?

 捕らえられた後に奴らが何かを探しに来て家を荒らされた……とかね。

 だとしても、俺たちは決して遅くはない。でしょ?」

「……まぁそうか。阿久津さんが写真を送った正確な時間は昨日の夜中。何かが起こったから送ったんだろうな」

「捕らえられてしまったとしたら……すんでのところで写真を送ったのでしょうか?」

「考えにくくないか。差し出し人のところにこんな細工を施すなんて、少し余裕があるように俺には思えるんだが」

「俺も啓ちゃんに賛成……う〜ん、少し違う見方をしてみようかな」


 散乱した紙束の中からある一枚を拾い上げ、四葩は目を通した。


「……ん〜」

「丹鵠、何か分かったのか」

「ちょっと待ってね〜」


 何を思ったのか隣の部屋へと移動する。見たところ寝室のようだ。


「かなり若いお父さんなんですね。紘杜さん」


 蓮陽が手に取ったのは机に置かれた保険会社の便箋だった。書かれている内容から察するに家主の阿久津紘杜は26歳で9歳の娘永遠子を育てているらしい。

 啓太はその下、督促状を手に取った。


「……子供1人育てんのは、簡単じゃねぇよな」

「ん〜なるほどね」


 いつの間に帰ってきたのか、四葩は2人の肩に手をかけて督促状と便箋を交互に見下ろした。そして


「やっぱりあのメールの送り主は、阿久津永遠子ちゃんだね」

「……根拠は?」

「まず1、追われていた阿久津さんにはこの細工を施す心の余裕がない。

 2、阿久津さんの性格では恐らくこのメールを書かない。

 3、この家と阿久津さんを守ってたのは彼女だから」


 四葩が啓太と蓮陽に見せたのは永遠子の学習ノートと「電気はこまめに消す」と書かれている貼り紙。

 2つの筆跡は同じだ。

 そして次に出したのは最初に拾い上げた一枚の紙。

 通知表の教師が書くコメント欄を指差して言う。


「永遠子さんはしっかりしていて、困っている子がいたらお世話をしてあげています。

 委員会では風紀委員としてよく働いてくれています。

 ……なんとなくわかるでしょ?この子がさ父親である紘杜さんがいけないことでお金を貰ってると知ったらどうすると思う?」

「一刻も早く、正そうとする……?」

「だとした場合、紘杜さんの行動は3つに分けられるな……」

「啓ちゃんの言う通り。

 1、娘の意見を聞かずそのままの方法で稼ぐ

 2、機を伺って足を洗う

 そして1番考えられる3……馬鹿正直に足を洗う」

「……それならこの荒らされようも合点がいく」

「荒らされてる部屋なのに見てもわかる。阿久津さんは真面目な人だよ。

 こっからは俺の妄想だけど……阿久津さんはお金に困っていたところ、表向き善良な企業に高額バイトを持ちかけられ、何も知らされずに銃の運び屋とかしてたんじゃないかな?」

「ふとした時に銃の存在を知ってしまい……娘の永遠子もそれに気がついて、足を洗うように言った」

「紘杜さんは真面目な方……じゃあ、真っ向から取り引きを止めようとして剣菱組に捕まり、永遠子ちゃんは……逃げおおせたので、メールを送ったのでしょうか?」

「多分そう。birdが信用できるかどうかわからなかったからこういうメールを送ったんじゃないかな?彼女は父を使ってる組織が警察と繋がってるのを知ってたみたい」

「……その仮定に則るとやはり剣菱組だな。奴らのフロント企業が関わっていると見て間違いない……

 そしてそれはあの黙秘の男がはいた会社の中にいる可能性が高い」


 ここからどう動けば早期解決へと繋がるのか。捜査方針を左右する大事な決断を、啓太は四葩に委ねた。


「……丹鵠、紘杜さんの行方を追うか、永遠子の行動を追うか。どちらかできないか」

「紘杜さんの行方は無理だね。会社に繋がるもの見当たらなかったよ。

 でも……永遠子ちゃんの方は、試してみようかな。整理しよう」

「……まず夜中、永遠子は何かを察知し警察の接触を恐れつつ、birdにメールを送った」

「そして今朝、暴力団剣菱組が阿久津家に侵入、ですね」


 四葩は少しの間考えた。コートのポケットから携帯を取り出し周辺地図をじっと見つめる。すると、次は誰かに手早くメールを送って仕舞い込み、笑みを浮かべる。


「よし、服を買いに行こう」

「「え?」」

「コスプレしよう」

「「……?」」


 困惑する2人の手を引き四葩はどこかへと車を走らせた。




 ────────────────────


 お昼時を過ぎた頃。

 いつも通り東京のとある下町商店街に灰のロングコートを羽織った警邏課がパトロールにやって来た。

 ……わけではない。

 堂々と歩く四葩、表情筋を微動だにしない啓太の後ろに、露骨に不安そうな蓮陽。


「どうなんでしょう……警邏課に見えてるんでしょうか」

「大丈夫だって〜制服も着てんだし」

「……正確には全員分レプリカだけどな」


 数時間前、四葩は警邏課の堀部幾仁に二つの頼み事についてメールをうった。

 この商店街をパトロールする時間を教えて欲しいということと、今日だけその仕事をbirdにまわしてほしいということ。

 彼が言うことには今ここを、警邏課の格好でパトロールすることで永遠子に会えるらしい。

 なぜなら……



「こら!何やってんだい!」


 3人が通り過ぎようとした老舗八百屋から女性の怒号が飛んでくる。


「お巡りさぁぁぁん!こっち!万引きよぉぉぉぉ!」

「はっはいぃぃっ!」


 蓮陽のコートをむんずと掴み、引き寄せる鬼の形相の女将の後ろには


「……おい」

「本当に言った通りですね」

「そうだね〜」


 ……少し前のこと、近くのドン.◯ホーテで制服を買っている最中、四葩はこう言っていたのだ。


「地図を見てシュミレーションしてみた。

 多分……夜は河原に潜伏して、昼になって人通りが多くなった頃に商店街へ紛れ込む。

 警邏課がここを何時くらいにパトロールするか、近隣住民なら知ってるはずだから、Uに接触を図るためわざと騒ぎを起こす。

 俺が思う永遠子ちゃんなら、こうすると思うな?」



 その言葉通り、3人の前に差し出された万引き犯は長い前髪の中から探るような視線を送る気の強そうな少女……四葩が見立てた阿久津永遠子その人のままだった。


「お姉さん、お代金はお支払いするから、この子うちで預かっていいかな?」


 恭しく手を取り、優雅に微笑む四葩を間近にみて、女将は別の意味で顔を赤らめる。


「え……っ!?あ、いやまぁそうね?まだ子供だし、あんたらが言ってきかせてくれるなら……」


 女将の機嫌は四葩に任せ、啓太と蓮陽は永遠子を連れて来た道を引き返した。


「あの……私」

「安心しろ。俺たちは流布された噂通り、警察とは違う治安維持組織だ。

 ……birdに用があるんだろ。だったら、話す相手は間違ってない」


 彼女は現れた3人組が何者であるのかを悟った。びっくりしたように目を見開いた後、間髪入れずに言い放つ。


「……パパを助けて欲しいの」


 蓮陽は驚き啓太は短く息を吐いた。言った通りでしょ。そう口ずさむ四葩の顔が今からでも容易に想像できたからだ。

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