第5話 フロランの研究室

 ジルから預かった書類を片手にフロラン様の研究室を訪れる。場所は塔の三階。前はもう少し上にあったけど、苦情を言いに来る人が多くて出入りの楽な三階に引っ越したらしい。

 コンコンコンコンとノックをしてから扉を開ける。向うの反応を待たないのは、あちらから何か言われても聞こえないからだ。外の音は届くけど、中の音は外に響かない。魔術師の研究室はそんな作りになっている。

 研究を邪魔されるのが嫌な人は、部屋の奥にもうひとつ、外の音すら届かない個室を作るらしい。ジルは娯楽室になっているのでそういう部屋はないし、フロラン様は事務作業がメインなので、いつでも対応できるようにとこもりきりになってしまう部屋は作っていない。


「……ジルは?」


 部屋に入ってすぐ、執務机に座るフロラン様と目が合う。眼鏡の奥から覗く灰色の瞳がぎょろりと動き、私と私の持つ書類を見て、ため息と共に短く呆れた声を出した。


「自慢の弟子に任せるそうです」

「わかった。なら今日は君に任せるとしよう。明日はジル本人が来るように、よぉく言っておいてくれ」


 念を押すように力強く言われ、はいと頷くしかない。どうジルを言いくるめるか考える間もなく、空いている机に書類の山が完成していく。

 フロランがそちらに目配せを送ったので、仕事を開始しろと言うことなのだろう。おとなしく椅子に座り、書類を手に取る。ジルの起こした被害による賠償金――名目は復興費や支援金ということになっている――が適正な価格かどうかを調べる。

 塔は依頼料や寄付やら国からの支援金やらでなりたっているので、賠償金が依頼料を上回ると立ち行かなくなる。被害を被った人には大変申し訳ないが、ジルが動くということはそれだけ緊急だったということで涙を呑んでもらうしかないのだ。


 被害範囲と依頼料、それから被害によりどれだけの損失が依頼者側――たとえば村だったり街だったり領主だったりに降りかかるか。それらを確認し、妥当だと思えばフロラン様に回す書類箱に。見直しが必要だと思えば別の箱に。

 こちらはノエルが後ほど確認し、適正な価格を見定める。今私が処理している書類は、依頼者がよこしてきたものなので、適正でない場合のほうが多い。だからフロラン様用の箱よりもノエル用の箱のほうがたまりやすく、もうこれ以上入らないと思ったらノエルが仕事している机まで運ぶ。


「こちらお願いします」

「はい。それではそちらに置いておいてください」


 ジルの研究室が娯楽室なら、フロラン様の研究室は書類部屋だ。ところ狭しと書類が積み重ねられている。

 賠償金の請求以外にも、苦情やらなんやらの書類が山の中にあるのだろう。

 ノエルに示された棚もほとんどが埋まっている。ひとつふたつほど空いている空間を見つけ、そこに箱を置きながら横目にノエルを見る。

 昨日告白まがいのことをしたばかりなのに、いたって普通だ。気まずいとかそんな気配すら、ノエルから感じられない。

 眉ひとつ動かさず、視線を滑らせて黙々と仕事をしている姿に、あれは夢だったのではと思ってしまう。


 それぐらい、いつも通りすぎた。


「ところで、私と結婚を前提にしたお付き合いをしませんか?」


 夢の可能性に賭けてもう一度言うと、ガタンと大きな音がフロラン様のいるほうから聞こえてきた。


 ノエルと一瞬目を合わせてから、ゆっくりと音のしたほうを見る。いったい何が起きたのか、フロラン様の頭が書類の山に埋まっていた。

 もう一度ノエルと視線を交わし、慌てて二人でそちらに駆け寄る。


「フロラン様!?」

「いったい何が……」


 過労で倒れてもしたのか。こういう時は体を起こしたほうがいいのか、それとも人を呼んだほうがいいのか。おろおろと悩んでいると、ゆっくりとフロラン様の顔が上がった。


「……ひとつ、伺うが……君は、ノエルのことを好きなのか?」

 

「結婚相手としては申し分ないと思っております」

「……そうか。それでは、そういった話は書類の整理が終わってからするように。今は書類を片付けるのを優先させろ」


 たしかに、今するような話ではなかった。申し訳ございませんと謝って、大人しく与えられた書類の山を片付けに戻る。

 ジルは緊急時にしか依頼が回ってこないのに、書類が多い。それは日常生活でもジルに迷惑をかけられた人がいるからだろう。ただ、ジルに難癖をつけたいだけの人もいるので、正当な要求かどうかを見極めないといけない。

 ジルのために用意された書類なだけあって、ジルでなければわからないことも多い。どうして呪ったのかとか、どうして家の前を水浸しにしたのか。いや本当に、どうして水浸しにした。


 そうしてううむと唸りながら書類を整理していると、トントンと机の端が叩かれる。書類に落としていた視線を上げると、机の横にノエルが立っていた。


「食事の時間です。書類は置いてください」

「あ、はい。わかりました」


 思いのほか没頭していたのか、時計を見るとだいぶ時間が経っていた。仕分け終わった書類を棚にしまい、未処理の書類は箱の中に置き直して席を立つ。


 塔には食堂といった高尚なものはない。塔に所属する魔術師のほとんどは個人主義で、食堂を作ったところで誰もそこで食べないからだ。

 無駄なことに回る費用はなく、食事は各々好きな時に好きな場所で食べていいことになっている。


 それなのに、さすがは真面目な魔術師フロランとでも言うべきか。お腹が空いたら食べるジルと違い、お昼になればお昼ご飯を食べるらしい。


「それで、先ほどの話ですが」

「先ほどの?」


 事務用の机から離れ、部屋の隅にある綺麗なテーブルに持ってきた食事を置く。我が家で働く料理人が手間暇かけて作ってくれたお弁当だ。

 ノエルは私の対面に腰かけて、サンドイッチの入った箱を広げた。


「結婚を前提にしたお付き合いとやらの話です。……本気ですか?」


 水色の瞳はサンドイッチに向いていて、私を見てはいない。私はお弁当箱と一緒に入っていたフォークを手に取り、どれから食べ始めるか考えながら、頷いて返す。


「冗談であのようなことは言いません」

「なるほど。それでは結婚を前提にあなたと付き合ったとして、それで得られるメリットを挙げていただけますか?」

「可愛いお嫁さんができますよ」

「可愛いだけの嫁であればどうとでも作れます」

「人体を作ることは禁じられていますけど」

「ええ、そこがネックですが……バレなければなんてことはありません」


 しれっと言うノエルは、フロラン様の弟子でフロラン様に育てられたにもかかわらず、そこまで真面目じゃない。必要となれば法を破ることも厭わないのだろう。

 そういうところを、私は好ましく思う。

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