第6話 結婚相手に求める条件

 両親が言っていたような決められた将来、約束されていた婚約者は失われた。そんな私に選べる手段は多くない。


 行かず後家になって妹夫婦の世話になるか、両親が見繕った相手と結婚するか。あるいは、自分で相手を見つけるか。


 前者二つを選びたくはなかった。両親が見繕う相手には、アニエスの意思が含まれていそうだったから。

 アニエスが選んだなら、と両親は思考停止して決定してしまうことを私はこれまでに嫌というほど思い知った。

 長年積み重ねられてきた信頼はそう簡単には崩されない。たとえ、姉の婚約者を奪ったのだとしても、両親はしかたないと考えるだろう。


「冗談はさておき、結婚していただけたらノエルの研究に口を出しませんし、家に帰らず研究室にこもっても文句も言いません。それに私も塔で寝泊まりすると思いますし」


 私がノエルを選んだ理由のひとつに、塔から離れがたいというものがある。

 ジルの弟子になってから三年、私は生活の半分以上をここで過ごしてきた。第二の家と言えば過言だが、それなりに思い入れがある。

 それに見知らぬどこかの貴族の妻になって夫を支えるよりも、ここで魔術師となるべく研鑽していたい。


「なるほど。たしかに、わずらわしい点がないのは魅力といえば魅力ですね」

「それでは――」

「まだ話は終わっていません。次に、あなが結婚したい理由を教えてください」

「私も、わずらわしいことの解消です。このままいけば、両親はいくつも縁談を持ってくることでしょう。ですがそのなかに、私が気に入る相手はいないと断言できます。私が求める夫は、魔術師として働くことに反対しない方ですから」

「その相手に僕を選んだということはわかりました。ですが、それだけであればいくらでも候補はいますよ。魔術師の弟子は僕以外にもいます。貴族が嫌なら商家の息子もいますし……孤児である僕を選んだのはどうしてですか」

「魔術師の子供であれば、反対する者は少ないでしょう」


 どこにでも難癖をつけてくる人はいる。家格の合った相手でなければ、どちらかの身分を見て下げたり上げたりと、口やかましくなる。

 だからその中でも文句の出にくい相手を選ぶのは、おかしな話ではないはずだ。


「それに……私はノエルのことを好ましく思っていますよ。フロラン様の弟子を長年続ける根気に、ジルの被害を見ても顔色ひとつ変えない胆力。必要とあらば方法も問わない冷静さ。どれを取っても申し分ないかと思います」

「なるほど……わかりました」


 話している間にサンドイッチを食べ終えて、食後のお茶を嗜みながら小さく息を吐くノエル。

 それからゆっくりとカップを机に置いて、水色の瞳をこちらに向けた。


「あなたの提案を受け入れます。ですがひとつ、条件があります」

「はい。なんでも言ってください」

「フロランは僕に愛のある結婚を求めています。心情はどうあれ、愛ある恋人を演じていただきたい」


 淡々としたノエルの声に、それはちょっと難しいんじゃ、と思いながらも頷いて返す。


 そして私もお弁当を食べ終わったところで、フロラン様が研究室に戻ってきた。

 ノエルは私と顔を合わせ、それから小さく頷いてフロラン様に向き合う。


「結婚を前提としたお付き合いをはじめることになりました」


 単刀直入な物言いに、フロラン様がげほっと咳き込んだ。それから灰色の瞳を動かして、私とノエルを睨みつけるように見据えた。


「……何がどうしてそうなったのかまでは聞かん。だが、余計な私情を業務には持ち込むな」

「わかっています」


 当然とばかりに頷くノエル。

 そういえば、愛ある恋人をフロラン様の前で演じるとして、業務中は接することがないのなら、いつ演じるのだろうか。


 いやそもそも、愛ある恋人とは何か。フロラン様の前で演じるとして、どういう風にすればいいのか。

 ――そんな疑問は、すぐに晴れた。


 本日分の書類を処理し終えたところで、ノエルに話しかけられたからだ。


「今晩の食事の予定は決まっていますか?」

「家に帰っていただこうかと思っていましたが……それがどうかされましたか?」

「差支えなければ食事に誘おうと思っただけですよ」


 淡々とした声に、理知的な瞳。冷静さを欠かさない彼に、執務机に座るフロラン様を盗み見る。

 なるほど、たしかに食事を一緒に、しかも二人でとなると、ある程度の好意がないと難しい。

 食事の誘いが愛ある恋人のあり方というのは盲点だった。


「わかりました。それでは家に一報を入れますので、お待ちいただけますか?」

「構いません。僕は塔の入口で待っていますね」


 フロラン様に挨拶をして、彼の研究室を出る。すると何故かそこに、アンリ殿下がいた。


「アンリ殿下? どうかされたのですか?」

「ああ、いや……目撃情報の確認を終えて帰ってきたところで……君のほうはどうだったかと気になってね」

「それでしたら、問題ありません。明日はジルが来るように言われましたが……本日課せられた書類は過不足なく処理できたかと」

「いや、そうではなく……」


 不慣れな環境で妹弟子がうまくやれているか心配してくれたのだろう。ありがたいことだ。

 だから心配することはないと自信満々に言ったのだけど、何故かアンリ殿下はそわそわと落ち着かない様子で視線をさまよわせている。


「……申し訳ございません。少々家に手紙を届けなくてはいけなくて……用件を伺うのは歩きながらでも構いませんか?」

「ああ、もちろんだ」


 塔には手紙を希望の場所に送るための装置がある。魔道具の研究を行っていた人が、発明したものだそうだ。

 魔術師本人はもちろん、弟子も使っていいことになっている。急な案件やら師匠の無茶振りで家に帰れなくなった時に、家族や恋人に手紙を届けられるように。


 師匠の無茶振りが前提にされているあたり、ジル以外の魔術師も大体お察しだ。


「……それで、その……君がこの間言っていた、フロランの弟子、というのは……」

「その件でしたらつつがなく進んでおります。結婚を前提としたお付き合いを了承していただけたところです」

「あ、ああ、うん、そうなんだ、そう……それは、よかったね」

「はい。その節にはアンリ殿下に余計な気苦労をかけてしまいましたが、もう心配されるようなこともないと思いますので、ご安心ください」

「いや、本当に、それならよかったよ、うん。あー……でも、もしも何か困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ」


 アンリ殿下はかれこれ九年近く、ジルのもとにいる。それから私が入るまで、ジルの弟子はアンリ殿下だけだった。

 あの師匠のもとで一人だったのだから、その心労を考えると目頭が熱くなる。

 だから、私という妹弟子を得て、苦労を分かち合う相手ができて、アンリ殿下は嬉しかったのだろう。

 王太子が一介の令嬢にかけていい言葉ではないことを言ってしまうぐらいには。


「アンリ殿下のお手を煩わせることのないように精進いたします」


 その親切心に甘えるわけにはいかない。ジルだけでなく私に対する心労まで加わったら、アンリ殿下は倒れてしまう。

 王太子が過労で――しかも魔術師の弟子をしていたせいで――倒れたとなれば、とんでもないことになる。

 そこまで酷使させるなんて、塔の管理はどうなっているのかと追及されるだろうし、魔術師の弟子になりたくないと思う人も出てくるだろう。


「いや、俺は全然かけてもらって構わないんだけど……」

「お気遣いありがとうございます」


 魔術師の未来やこの国の未来のためにも、アンリ殿下には健やかでいてほしい。

 もちろん、妹弟子としても。

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