第4話 師匠

 我らが師である魔術師ジルは塔でも随一の実力者ではあるけど、人柄はあまりよろしくない。

 面倒くさがりなのに面白いことがあると首をつっこみ、面倒になると弟子に丸投げするような人だ。

 ジルによる被害届の書類をまとめたり、陳述書に目を通したり、依頼を分類分けしたりするのは弟子の仕事――つまり、私やアンリ殿下が担っていた。

 そして書類関係は最終的に魔術師フロランのもとに集まる。被害に応じた修繕費の決算は彼に一任されているからだ。

 他にも様々な事務作業を請け負っているので、決算用の書類以外もすべて彼のもとに運ばれていく。


 私がジルのもとで学びはじめてからすでに三年が経っている。その間、毎日のように書類に追われていたら、いやでもフロラン様の研究室に足を運ぶことになるわけで――その繋がりで、彼の弟子と知り合った。


「今回は……ああ、湖のほとりを崩しただけなんですね。最近は落ち着いてきたようで……やはり、二人も弟子を持ったことが功を成したのでしょうか。責任感が備わってきているのかもしれませんね」


 落ち着いた声で自身の黒髪をいじりながら書類に目を通しているのは、フロラン様の弟子であるノエル。年の頃は私と同じか、少し上ぐらいだろう。

 長く伸ばした紙をひとつに結び、湖の水面を思わせる水色の瞳が書類の文字を追っている。


「これで落ち着いた、になるんですか?」

「湖を半壊させたこともありますから」


 湖の底に魔物が棲みつくようになったのでどうにかしてほしい。そんな依頼を受けた結果、湖が少し広がった。

 これで落ち着いたとみなされるのだから、おかしなものだ。四方から文句が飛んできてもおかしくないのに依頼が絶えないのは、それだけの実力がジルにあるからだろう。


「たしか……ノエルは五歳からフロラン様の弟子をしているんですよね」

「まあ、そうなりますね。途中やめたりした時期を加味しなければ」


 ノエルは元々は孤児で、赤子の頃にフロラン様に拾われたらしい。

 出生は不明だが、赤子の頃からフロラン様のそばで育ったのなら、フロラン様の子と考えてもいいだろう。魔術師が保護者なら、身元は確かだ。



「ちなみに、将来は何をされる予定ですか?」

「とくに考えてはいませんが……このままいけばフロランの後を継ぐことになるでしょうね」


 塔の雑務を請け負う人はほとんどいない。請け負いたい人がいないとでも言うべきか。

 魔術師はたいてい個人主義で、ジルのようなとんでもない被害を起こす人もいる。後始末がメインになるのだから、やりたくないと思う人が多いのはしかたないだろう。


 だからフロラン様の後を継ぐ――雑務を請け負い続けるのなら、安定した職が約束されているということだ。


「ご趣味は」

「本を読むのは好きですよ」

「好きな食べ物は」

「甘いものよりは辛いもののほうが」

「好きな音楽は」

「とくに考えたことはありませんが、落ち着いた音色は好ましく思います」

「恋人は」

「これといった出会いがないもので」

「妻は」

「妻はいるけど恋人はいないといった詭弁を使うほどひねくれていませんよ」


 魔術師が保護者で、安定した職が約束されていて、趣味や好きなものも無難で、特定の相手もいない。

 こうして話している間も書類を処理できる優秀さも持ち合わせている。


 やはりこの人だ。この人しかいない。


「私と結婚を前提にしたお付き合いをするつもりは」

「保留といたしましょう。それではこちらの書類をそちらの箱に入れてください。後でフロランが確認して、提出しますので。お疲れ様です」


 あっさりと流された。



 ◇◇◇



 そして翌日、塔の上階にあるジルの研究室で項垂れる。研究室と銘打たれているが、長椅子や寝台だけでなく遊技台まであるので、研究室よりも娯楽室と呼んだほうが適切かもしれない。


 その部屋の中で私は机に突っ伏しながら、流されたショックで悶えていた。

 断られることは予想していたけど、歯牙にもかけられないとは思っていなかった。何かしらのリアクションが返ってくるのなら、どうにでも押しようがある。だけど流されるのは、まったく眼中にないというわけで。


「おや、私の可愛い弟子はどうしたのかな? 今日はずいぶんと元気がないね」


 机に伏している私を見て、ジルがゆったりとした動作で首を傾げた。

 それに合わせて、彼の濃紺色の髪が揺れる。少しだけ首を動かしてジルの金色の瞳を見ると、その奥に好奇心が垣間見えた。


「師匠……彼女は、その……」


 何も喋らない私に気を遣ったのか、アンリ殿下がもごもごと言いにくそうに口を挟んだ。


「アンリは何か知っているのかい?」

「まあ……実は先日、彼女の婚約者が――」


 こそこそっと私の婚約者が妹に心変わりした話をしている。声をひそめているのは、落ち込んでいるように見える私に配慮したからだろう。

 落ちこんでいるのはそれが理由ではないが、ノエルに流された事の発端はクロードにあるので、完全に間違っているとも言い難い。


「妹に? それはそれは、また不憫な」

「本気でそう思ってます?」


 ちょっとだけ顔を上げて、我が師に胡乱な目を向ける。ジルはだいぶ性格が破綻している。誰かに同情するといった情緒を持ち合わせているとは思えない。

 もし持っていたら、もうすこし品行方正な振る舞いをするはずだ。


「もちろん。可愛い弟子が虚仮にされたのだから、黙っていられないよ。とりあえずどうすればいいかな。その……なんだっけ? クロなんとかとか言うのに呪いでもかければいいかな?」

「苦情が回ってくるのは私たちなのでやめてください」


 ジルは攻撃魔術もさることながら、呪術にも精通しているので手に負えない。道端でちょっと難癖をつけられただけですぐ呪うので、被害報告が絶えない。

 もちろんその事後処理をするのは、弟子である私とアンリ殿下の役目で、賠償金やらを決めるのはフロラン様だ。


「ならどうしたものかな。弟子に元気がないと私まで落ちこみそうだよ。今日中にやらないといけない仕事がいくつもあるのに、手につきそうにない」


 私の横に腰を下ろし、同じように机に伏すジル。この人はいつだってサボる理由を探しているので、これで通常運転だ。

 ああ本当に、手のかかる師匠を持つと傷心に浸る暇もない。


「大丈夫です。元気いっぱいなので。ジルも元気よく仕事してください」

「ああ、困ったな。私はもう動く気力すら失ってしまったよ。そうだな……これを君たちに任せよう。私の自慢の弟子ならきっと、私以上にうまくやれるはずだよ」


 棚に置かれた書類箱から紙が舞う。そのうちの二枚が躍り出て、私とアンリ殿下の前に落ちた。


「フロラン様のお手伝い?」

「魔物の目撃情報の事実確認?」


 おおよそジルが請け負うにふさわしくない内容だ。ジルはいわば最終兵器のようなもので、絶対にそこに魔物がいると確定していない限り、助けを求められることはない。理由は言うまでもなく、性格のせいだ。


 しかもアンリ殿下の目撃情報ならまだしも、フロラン様のお手伝いはただの雑務。ジルがまっとうできるとは思えない。


「またフロランのところの弟子がやめたそうでね。ああまったく、頼まれたからとすぐ請け負うのがフロランのよくないところだよ。それでいつもすぐやめるんだから……ああ、そうそう。それで私に対する被害届が多いから、自分で処理して行いを見直せと言われたんだよ」

「いやそれ、ジルがやらないと意味がないのでは」

「君は私の自慢の弟子だからね。私がやるのも君がやるのも同じことだよ」


 絶対違う。

 そう思うものの、ジルは一度言い出せばてこでも動かない。ここはひとまず請け負って、フロラン様にもう一度ジルを呼び出してもらおう。

 それにフロラン様のお手伝いなら、ノエルと話すきっかけにもなる。

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