二、ふたりの距離



 竹林に囲まれた玉兎ぎょくとの都から少し離れた、とある小さな村。怪異が次々と起こり、村人たちが毎夜のように命を失っているという話を耳にし、神子みこたちは他の依頼で手が回らないという術士たちの代わりに訪れることにした。


 丁度大きな怪異を鎮めた後だったが、そこから近いこともあり、ついでに寄って行くことにしたのだった。今はどこの術士も各地で起こる怪異で忙しいのだ。


 冬。雪がちらつく中、村の入り口と思われる粗末な造りの扉のない門をくぐり中に入れば、十数軒の家がぽつぽつと間隔をあけて立ち並んでいた。唯一の宿もだいぶ年季が入っており、とりあえず休息のために身を寄せることにした。


 笠を脱ぎ、積もった雪を外で掃い、ふたりは並んで中へと入る。


「店主、部屋をひとつ用意できるか?」


 黎明れいめいは遅れて出てきた年老いた店主に訊ねる。店主は彼の纏う衣を見て、深く礼をした。


「これは、姮娥こうがの若公子様。もしや、この村の怪異を鎮めに来てくださったのですか?」


「そのつもりだ。話も後ほど詳しく聞きたいが、その前に連れを休ませたい」


「お連れ様の顔色が優れないようですね?私が調合したものでよければ、薬もお持ちしますが・・・、」


 助かる、と黎明れいめいは頷き、店主が先頭になる形で誘導しながら、ゆっくりとした足取りで階段を上がって行く。


「ごめん、手を貸してくれる?」

「かまわない」


 手を貸してと言われたが、黎明れいめい宵藍しょうらんを抱き上げてそのまま階段を上る。年老いた店主は特に気にすることもなく、ふたりの様子をちらりと見てすぐに先へ進んだ。


「・・・・無理をしすぎだ」

「ごめんね、」


 この数年で、ふたりの距離はずっと親密になった。お互いの知らいところがないとも言っていいほどに。同時に、神子みことして宵藍しょうらんが請け負う怪異も前以上に増えていた。多いとそれぞれ違う場所で起こっている怪異を、一日に三件もこなすこともあった。普通は一件でも大変だというのに、だ。


「あとで食事もお運びします。ゆっくり身体を休めてください」


 腰を曲げてお辞儀をし、店主は扉を閉めた。宵藍しょうらんを抱き上げたまま寝台まで運ぶと、ゆっくり下ろして座らせる。上に羽織っていた雪で濡れた衣を脱がせた後、部屋の仕切りとして置いてあった絵のない屏風に並べて掛けた。


 部屋はしっかりと掃除が行き届いていて、置かれている物も年季が入ってはいるが、逆に風情があった。少ない荷物を部屋の隅に置き、それから火鉢の炭に火を入れて、部屋を暖める準備をする。


「この村の怪異は、自然なものか、それとも烏哭うこくが起こす人為的なものか。詳しく聞いてみないとね」


「怪異に遭った者は、皆どこかの部位が引きちぎられていたと聞いた。妖者ようじゃか、妖鬼ようきだろうと思うが。一度に襲う人の数が少ないのが気になる」


 寝台の端に置いてあった少し厚めの大きな布を、宵藍しょうらんの頭に掛けながら、その横に腰掛ける。


「・・・・この怪異を鎮めたら、姮娥こうがの邸でしばらく休んだ方がいい」


 そっと頬に触れて、黎明れいめいは青みのある灰色の眼を細めた。冷たい。顔色もこの数日ずっと悪い。

 

 布を頭から覆わせたのは、上から下まで凍えていたからだった。この辺りはこの季節になると雪が降り積もる。今はまだ降り始めだから道が少し白くなる程度で済んでいるが、これからひと月もせず一面雪景色になるだろう。


 元々この地の出なので、寒さには慣れている。だがこの季節にここを訪れたのは、華守はなもりになってから実は初めてだった。


 宵藍しょうらんはこの寒さがあまり得意ではないようだった。


 厚手の布だけでは足りないのか、暖を取るために黎明れいめいにぴったりとくっついて、それでも足りないのか、訴えるように見上げてくる。


 高く見上げたせいで頭にかかっていた布がはらりと肩に落ちた。そのままじっと見つめてくる大きな翡翠の瞳に耐えられず、肩に落ちた布を引き寄せ無言で頭に被せた。


「・・・すぐに店主がくる」


 ぽんぽんと布越しに頭を撫でて、警告する。表情はいつものようにほとんど変わっていないが、内心はかなり動揺していた。それを隠すように、口元を覆う。


「あの店主はそんなに早くは来ない。気の利くひとだと思うよ」


 言いながら、宵藍しょうらんは細い腕を黎明れいめいの腰に回して抱きついてきた。久々に屋根のある寝床だった。ここ数日はずっと野宿だったため、お互いによく眠れていない。


「・・・・・・だめ?」


 腹の辺りに顔を埋めて、甘えたような声で言ってくる。しかし、体調が悪いことを知っているため、ここで折れるわけにはいかなかった。


「駄目だ。ほら、横になって身体を休めて?」


 腰に抱きついている腕を解き、そのまま押し倒すように寝台に仰向けにした。肩からはらりと薄茶色の長い髪が零れ、寝床に沈められた宵藍しょうらんの耳元をくすぐった。


 両の手首は掴まれたまま顔の横に置かれ、起き上がることはできない。


 見下ろされ組み敷かれたまま、視線も外さない。言葉とは裏腹に、黎明れいめいが掴む指先に力が入る。


 それが合図とでもいうかのように、宵藍しょうらんはゆっくり眼を閉じた。近づいてくる息遣いはいつもと変わらず冷静で、静か。唇が重なる感覚に背筋がぞくりと震える。


 優しい口づけだったはずのそれは、次第に深く荒くなっていく。


「・・・・ふっ・・・んんっ・・・」


 貪られる度に色の薄かった唇が赤く染まっていく。息継ぎができず、声が漏れる。しばらくそれが続き満足したのか、それとも自分がしたことに今更気付いたのか、黎明れいめいは唇が触れるか触れないかという位置で、見下ろした体勢まま固まっていた。


「・・・・ゆっくり、眠れそう」


 濡れたままの唇で小さく笑って、潤んだ瞳を細める。それがやけに妖艶に見えて、思わず組み敷いていた身体から離れた。誤魔化すように宵藍しょうらんの足元の布団を広げて、素早く被せた。


(・・・自制しろ、馬鹿っ)


 人の気も知らずにすやすやと寝息を立て始める宵藍しょうらんを背にして、右手で自分の顔を覆った。


 神子みことの関係は主従の関係を越えている。こんな風に誰かを心から想ったことなどなかった。


 最初は神子みこを守らなければという使命から。その後は友として一緒に過ごす内に、神子みこの弱さを知り、使命など関係なく守ってあげたいと思うようになった。


 望みを叶えてあげたい。笑顔を見たい。あの顔を、もっと見たい。


 ずっとこのひとの傍にいたい。


 上手く言葉を紡げない自分を責めることもなく、いつも神子みこは楽しそうに話をしてくれる。そんな姿が、愛しいと想った。


(薬と食事を貰いに行こう。起きたら食べさせて、それから怪異を調べて・・・・)


 邪な考えを断ち切るように、自分のやるべきことを淡々と頭の中で何度も繰り返して並べていく。そして無言で部屋を出た。



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