第36話 古狸とリトルモンスター、隣に終末 その一

「あははっ、おっかしいなぁ。爺様さ、自分の身体をもう少し労りなよ」

「っ……!?」

「いや、本当に危ないよ? そんな風に面白いギャグを披露されたら、笑いすぎて気が緩んじゃうかもしれないじゃん。──驚きすぎて、ポックリ逝っても知らないよ?」

「グッ……!?」


──物理的な重圧が室内の空気を塗り潰す。ミシミシとあらゆるものが軋む音がする。巻き込まれた老人が苦悶の声を上げる。


「はぁ……」


 あまりに呆気なく、それでいて予想通りの展開に溜息が出る。お兄様が意識を切り替えただけで、全てがひっくり返ってしまった。

 伏魔殿で生き抜いてきた古狸が、失望とともにクソガキを叱責していたのがついさっき。それが今はどうだ。老獪な古狸は罠に掛かった加工前の生肉に。叱られていたはずのクソガキは、無邪気に下等生物をいたぶる捕食者へと転じている。

 年齢だとか、一族内の地位だとか、あらゆるしがらみを踏み躙る絶対強者の特権。圧倒的な暴力を背景にした恫喝。ただの意思だけで物理法則を書き換える強大さは、思考よりも先に生存本能が服従を選びかねない。


「お兄様。あまり威圧はほどほどになさってくださいまし。交渉に支障が出てしまいますわ」

「んー? 威圧なんてしてないんだけどね? あと、僕がしてるのは交渉じゃなくて命令ね」

「OK分かりました。話が進まないので、ちょっとすっこんでてくださる?」

「えー。別にいいけどさぁ。ヤッちゃんは口が悪いなぁ」

「アンタにだけは言われたくねぇんですわよ」


 年老いた親戚を脅迫してる人間が何を言ってんだ。割って入ってる時点で、私の方が何倍も善良でお行儀がいいだろうに。

 とはいえ、私の罵倒混じりの嘆願だろうが、あっさり聞き入れてくれるのはありがたい。横暴ではあるが、粗暴ではない辺りまだ救いようがあるというもの。

 というわけで、バトンタッチ。フッと室内の空気が軽くなったことを確認してから、対面にて固まる気の毒な老人に言葉を投げ掛ける。


「大変失礼いたしました、弦一郎様。お兄様はその……少しばかりやんちゃでして。久しぶりにマトモに叱られたのが嬉しかったのでしょう」

「ふざけたことを抜かすな。今のがそんな可愛げのあるものか。なんだ今のは……! オーラも魔力も感じなかったぞ」

「あら、流石は久藤家の当主であらせられる。やはり武の分野には一家言ございますのね。……ただ残念なことに、今のはお兄様基準ですと本当に些細なやんちゃですの。個人的なエピソードを添えさせていただきますと、酷い時は手足の一つはもいできますわ」

「ちょっとー。酷い風評被害だよそれ。ヤッちゃんの四肢を落としたのなんて、特訓の時だけじゃないか」

「特訓でもあってはならねぇんですわよ」


 日常でやってないから良いよね、ってなるわけあるかい。お兄様だから『特訓』として成立しているのであって、やってること自体は誤魔化しようのないぐらいには『殺し合い』だわ。

 対面に座る古狸も同様の感想を抱いたようで。なんというか、凄まじく沈鬱な表情を浮かべながら頭を抱えていた。


「久遠の本家は、いつの間に殺人鬼に乗っ取られたのだ……。無能と性悪の血を引いているのは知っていたが、正真正銘の鬼畜外道を育てているとは思わなんだぞ」

「……その、大変申し上げにくいのですが、お兄様は真性ですの。誇れるほどの家庭環境ではありませんが、このような言動になるような教育がなされていた事実はございません」


 両親は屑だし、使用人も性格ゴミか長い物には巻かれろなことなかれ主義者しかいなかったけれど、それでも教育環境はマシな方……いや、名門に相応しい教養自体は叩き込まれたので、世間一般を基準にすればかなりの良環境だろう。

 だからどうやっても、無垢な子供が怪物になることはない。ただ怪物は産まれた時から怪物だったというだけ。


「……ヤッちゃん、ヤッちゃん。爺様の口ぶり的に、多分ヤッちゃんも僕と同類だと思ってるよ?」

「多少は染まっていることは自覚してますが、私とお兄様が同類のわけがないでしょう?」

「自分で言うのもアレだけど、僕に染まってる時点でわりとヤバいよ。一般人目線だと」

「……否定できませんわね」


 自分に対する例えではないが、善良な一般市民からすれば、殺人犯も窃盗犯も総じて『犯罪者』だ。理屈としてはそれと変わらないということだろう。

 分かってはいたことだが、流石に悲しいものがある。破滅の運命を回避するためとはいえ、他人から社会の異物と認識されるのは辛い。自分が別方向の地獄に突き進んでいることを実感させられる。


「……儂も耄碌したものだ。親に似て甘ったれのクソガキと評価していた兄妹が、こうも恐るべき鬼子だったとは。蛙の子は蛙でしかないと思っていたのだがな」

「私に関しては、蛙の子で間違いはありませんよ。ただ突然変異のお兄様に、少しばかり引きずられてしまっただけで」

「無自覚、いやリップサービスか。まあ、なんにせよ構わんか。……いいでしょう。世間知らずな子供のワガママ、と片付けるのは一旦止めにしましょう」

「あら? まだ説得らしい説得をしてないのですが、よろしいのですか?」

「よろしい、なんて次元の話ではないでしょう。今の僅かなやり取りだけで、お二人の危うさは十二分に理解できました。心象としては依然として叱り飛ばして叩き帰してやりたいところですが、それをやれば碌でもない事態になることは目に見えている。一族の子が悪さをしようとしているのならば、親戚として監視する責任がある。これはそういう話です」

「あー……」


 クソガキとか鬼畜外道なんて罵ってたわりには、随分あっさり交渉の席についてくれたなと思ったけど、そういう考え方か。

 私たちのことを認めたとかじゃなくて、古狸としてのただの危機感。感情のままに追い返して、自分たちの目の届かないところで悪さをされたら堪らないと。

 だったらひとまず話を聞いて、事態の行く末をコントロールした方が、総合的な結末としてはマシだろうという判断。

 口調を改めたのも、恐らくその延長。感情は一旦脇に置きましたよと、私たちにアピールしているのだろう。

 うん。極めて合理的だ。そしてこっちとしても都合がいい。お兄様のプレッシャーや、私たちの会話を聞いて、変に将来を見出されるよりずっとマシというもの。

 最初は警戒されてた方が良い。その後に話し合いなりをして、上手い具合に落としどころを探った方が、互いに信用できるだろう。

 これは一種のビジネスだ。大して親しくもない相手に対して、下手に感情を混じえるのはナンセンス。分かりやすいメリット、デメリットで通じあった方が、結果としては上手くいく。


「では、私たちが何故、弦一郎様に下剋上を持ちかけたのか。その経緯を説明させていただきますが、よろしいですか?」

「むしろ経緯があるのならば、話してくれなければ困ります。ただの愉快犯ではないというのなら、まだ儂としても心象がいいですからな」

「同感でございます。私たちがこうして行動を起こしたのは、ひとえに仁義によるものだと理解してもらえれば、お互いに歩み寄る切っ掛けとなり得るでしょう」


 さあ、交渉の時間だ。隣の理不尽が飽きて全てを台無しにしない内に、上手い具合に協力を取り付けなければ。

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RPGの悪役令嬢に転生してたwith裏ボスのお兄様〜状況を打開しようとすると、大抵が悪化するのは何故なんですの?(白目) モノクロウサギ @monokurousasan

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