第35話 終末の化身と伏魔殿の古狸
「──ただいま確認して参りますので、少しばかりお待ちください」
『中に入れさえすればどうとでもなる』。そんな何かの悪役の台詞を体現するかのように、私たちの思惑はあっさりと成就した。
蓬莱百貨店、応接室。重要な取引先や、特別な来客をもてなす際に使われる一室に案内され。備え付けられたふかふかのソファーに腰を下ろし、あとは目当ての人物が来るのを待つばかり。
アポ無しで訪れても、賓客としてもてなされた挙句、役員に取次ぎが行われるという現実。時代錯誤も甚だしいが、それでもやはり社会的な身分というものは存在するのだなと思わずにはいられない。
「……で、お兄様。ここからどうするつもりですの?」
「そりゃもちろん、普通に命令するけど?」
「もちろん、じゃねぇんですわよ……」
……まあ私の隣には、社会的な身分ではなく、物理的な力で全てを見下している上位者がいるのだけど。
「一応言っておきますけど、相手は有力分家の当主ですからね? いくらお兄様が本家の次期当主でも、ある程度は気を遣わなければならない相手ですよ。……本来は」
「上下関係はしっかり叩き込むから大丈夫だよ」
「本当にこの裏ボス様は……」
案の定というべきか、物騒な台詞が返ってきたことで自然と溜息が零れる。
久遠家の力は強大だ。それこそ、分家であっても並の名家では及ぼない影響力と資産を備えているほどに。
だからこそ、各家の持つ力というものも思いのほか大きい。本家である我が家が一番の力を保持しているのは間違いないが、分家にも相応の配慮をする必要がある程度の差でしかないのだ。
つまり『久遠』という一大勢力を運営するには、どうしても政治というものも必要になってくるわけだ。派閥というものも当然のように存在しているし、当主や次期当主であっても身の振り方を間違えれば普通に失脚する。
「頼みますから、大事にだけはしないでくださいね?」
……が、それは普通の人間であればの話。全方位の分野で天武の才を発揮し、武力においては個人で世界を滅ぼすこともできる裏ボス、いやお兄様には当てはまらない。
顔色を窺う必要すらない。腹黒い狸親父たちが何を企もうが、全てを薙ぎ払って吹き飛ばしてしまうことだろう。それこそ、ゲーム板をひっくり返すかのように。
「あはは。ヤッちゃんは心配性だなぁ。ちゃんと加減はするって。加減は」
「それってつまり、程々には大事にするってことですわよね?」
だから違う意味で心配なんだよなぁと、カラカラと笑うお兄様を眺めながら思ってしまう。
人間が気まぐれで虫が踏み潰したりするように、圧倒的な力の差がある相手のささやかな害意というものは、致命的な結果を呼び寄せかねないから。
「──失礼いたします」
──だが時の流れというのは無常だ。私が不安を抱いていようとも、状況は刻一刻と変化する。
「……ふむ。最初に話を聞いた時はなんの冗談かと思いましたが、まさか本当に本家の子らが訪ねてきているとは」
そう零しながら、老人が部屋に入ってくる。恰幅のいい体格に、貫禄のある皺が浮かぶ容姿。かつての八千流が、家の集まりで何度も目にした狸親父。
久藤弦一郎。久の文字を戴く有力分家、久藤家の当主その人である。
「去年の年末に挨拶をして以来ですな。その割には随分と大きくなった。やはり子供の成長は早い」
「突然の訪問、誠に申し訳ございません。お会いいただき感謝いたしますわ、弦一郎様」
「構いませんよ。親戚の子が遊びにきたのなら、もてなすのが大人の務めというもの。それに八千流お嬢様は、長い間療養していたとのことですので。祝いの言葉をお送りしたいと思っていたところでございます」
「まあ。ご心配いただき、ありがとうございます。しかとお受け取りいたしました」
挨拶と同時に謝罪。アポ無しという無作法をこちらがしている以上、その辺りの筋は通すべきという判断だ。その方がいろいろと円滑に進むのだから、やっておいて損はない。
そして相手もやはりさる者。私の思惑をしっかり見抜き、その上で礼を見せる形で対応してきた。
いくら本家の子供といえど、私たちはまだ子供。それも現段階では、仕事の邪魔をしにきたクソガキでしかないはずなのに。
それでもちゃんとこちらを立てて下手に出る辺り、伏魔殿に巣食う化け狸の面目躍如というべきだろう。
「……で、本日はどのようなご要件で? 遊びにきたとは言ったものの、本当にその通りというわけではございますまい。思いつきでご学友の家を訪ねるような気軽さで、大人の働く会社に足を運ぶ。そんなやんちゃをご両親がお許しになるとは思えないのですが、その辺りはどうなのでしょうか? 次期当主殿」
……やはり化け狸か。下手に接してきながらも、しっかりと突くべきところは突いてきた。標的となったのはお兄様。私は挨拶と謝罪をしたから見逃されたのだと思われる。
──しかし、これは完全な悪手だ。自分が入室してなお、無言でマイペースを貫いていたからこそお兄様を狙ったのだろうが、相手は子供の形をした最強の怪物。断じて狩の獲物になるような存在ではない。
「あの二人なら体調不良で寝込んでいるよ。日頃の不摂生が祟ったみたいでね。だからこうして、僕たちはやってきた」
「なるほど。つまり見舞いの品をお求めなられて、我が社に御来店くださったと。初めてのお使いというやつですか」
「あははは! んなわけないじゃん。なんであの無能たちのために、そんなかったるくて微笑ましいことをしなくちゃならないのさ。引き継ぐものだけ引き継いで、さっさとくたばってほしいぐらいだよ」
ゾッと背筋が泡立った。一見して野心が旺盛なクソガキにしか思えぬ言動。……だが違う。これはそんな無知からくる代物ではない。
お兄様は本気だ。偽りのない本心を語り、本題への前フリとして私たちの立ち位置を明確にしたのだ。
「……聞かなかったことにいたしましょう。そしてこれは忠告ですが、あまり親を悪く言うものではありませんよ、次期当主殿」
……反応は芳しくない。いや、当然か。今のところはただの親に対する悪口。だからこそ、化け狸も言質を与えるような台詞は口にしない。大人として、良識に則った注意でお茶を濁すだけだ。
「あー、うん。そういうのいいからさ。くどくど前置きを語るのも面倒だし、好みでもないから単刀直入に言うよ。うちの両親、爺様が音頭を取って年寄り連中で引きずり下ろして、適当な場所に押し込んでくれない?」
「……」
「報酬は次期当主、つまり僕の後見人の地位。うるさく言うつもりもないし、事実上の白紙の小切手だよ。見返りとしては十分でしょ? てことで、やって。──いや、やれ」
どこまでも一方的に、どこまでも傲慢に。自分よりも遥かに年上で、大企業の会長という社会的な地位もあり、『久遠』という勢力の中でも力のある分家の当主であってもお構いなし。
「……これもまた、聞かなかったことにいたしましょう」
「駄目。僕はやれと命令したの。返答は『はい』か『YES』だけ」
そして拒否すら許さない。問答無用で、相手の都合すら無視して押し付ける
「……はぁ。親が親なら、子供も子供というやつですか」
当然、そんなことをすれば反感を買う。狸親父の呟きには、隠しようのない失望が浮かんでいた。
「一人の大人として、分家なれど久遠家の一員として叱らせてもらいますがね。──あまり調子にのるなよ小僧。ワガママ言えば全てが思い通りになるなど、世間を知らないクソガキの妄想でしかないことを理解しろ」
今までの丁寧な、いや慇懃無礼な口調すらも捨て去って、激動の時代を生きた老人は、現役を思わせる語気にて叱責する。
「……」
「ふんっ。軽く叱られた程度でだんまりか。威勢が良いだけの張子の虎とはこのことよ。これだから勘違いした子供というのは見てられんのだ」
久遠家という伏魔殿で、長年暮らしていた古狸は嘲笑する。その口から吐き出された毒は、あまりにも侮蔑に満ちていて。
「……っふ、あっはっはっはっ!! ちょっと笑わせないでよお爺ちゃん! ──身の程を知るのはそっちでしょ? 枯れ木の親戚みたいな皺だらけの年寄りが、随分と偉そうな態度を取るじゃないか」
──最強の龍の王が、人の形をした終末が、毒の言葉を気付け薬に目を覚ました。
ーーー
あとがき
盛大に更新滞ってゴメンなさいね!? ちょっと書籍化作業やら腱鞘炎やら新作執筆やらでバタついてたの。
で、ここからは宣伝。詳しくは活動報告に書いてあるので、ザックリめにしますけども。
カクヨムコン一般枠ラストチャンスということで、お祭り用に用意した新作を投げました。
あともう一点。この作品も一応カクヨムコンに出すつもりなのですがね? すでに十万超えてるじゃないですか。
……なので申し訳ないのですが、新作の方が規定文字数を超えるまで、ちょっとそっちを優先させていただきます。
つまり更新頻度が下がります。たまに更新はするかもですが、またかなり空くかもしれません。楽しみにしていただいている方には申し訳ないのですが、ご容赦くださいませ。
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