第30話 決別

「……何故、そのような結論になるのでしょうか?」


 内心の怒りを誤魔化しながら、私は両親に問い掛ける。

 霧香さんは被害者だ。ほんの些細な諍いから、加減を知らない馬鹿たちに悪意を向けられた可哀想な女の子だ。


「何故、霧香さんを責めようと言うのですか?」


 ──それなのに、このクズたちはあの子に責任を取らせると言った。見殺しにするのが正解だったと、ふざけたことを宣った……!!


「何故って、当たり前でしょう? 久遠の娘と信濃の娘では、明らかに命の重みが違うじゃないの」

「そうだ。出来損ないであろうとも、お前が由緒正しい久遠家の娘であることは変わらない。信濃の娘如きが危険に晒すなど、あってはならないことだ」


 ……ああ、そうか。分かってはいた。分かってはいたが、この二人はもう救えない。どうしようもないほどに人間性が腐っている。

 責めるべきは加害者のはずなのに、被害者である霧香さんを両親は責めている。それが不思議だった。

 私が咄嗟に動いたことを、助けを求められたわけでないと承知の上で、霧香さんを罵っているのが心底不思議だった。

 ……だが、今ようやく理解できた。これまでの台詞で、このクズたちの思考回路を読み取ることができた。


「……そうですか。あなたたちにとっては、霧香さんこそが加害者なのですね」


 矛先となるのは第一に加害者、第二に私の無鉄砲さであるはずなのに。それを脇に置きひたすら霧香さんに怒りを向けていたのは、加害者の認識が違ったからだ。

 襲われたのは私じゃない。階段から突き落とされたのは霧香さんだ。にも拘わらず、私は彼女を助けた。

 それを久遠の娘を危険に晒したと判断し、このクズたちは憤慨しているのだ。

 ここで重要なのは『娘』を危険に晒したことじゃない。『久遠の娘』を危険に晒したことだ。私という存在を通して、自分たちの家名に泥をかけられたと錯覚していることだ。


「……八千流? 急に顔を顰めてどうしたの?」

「おい、なんだその目は。親になんて目を向けてるんだお前は」


 なんとプライドの高いことか。大した能力もなく、人間性も褒められたものではない分際で。家格しか誇るもののない惨めな輩というものは、ここまで醜いものなのか。

 根本から価値観が合わない。……いや、そんな高尚なものでもないか。ただ気に入らない。言ってしまえばそれだけだ。

 元々、両親が毒親なのは知っていた。人間性が終わってしまっていることも知っていた。だがこうして改めて突きつけられると、それも他人を巻き込んだ形で突きつけられると、一気に心象がマイナス方向に突き抜けてしまった。


「──ねぇお母様、お父様。最後に一つ、質問をよろしいですか? 私が霧香さんを助けたのは、危険ではないと確信した上での行動でした、と言ったらどうします? それでもあなたたちは、霧香さんを責めますか?」


 だがそれでもと、最後にもう一度だけ質問を投げかける。すでに興味が失せたのは間違いないが、一応の確認だ。

 私が普通の子供ではなくなってしまったと、このクズたちは知らない。その上で一方的に失望するのはフェアではないので、前提を一致させた上での確認を取る。


「だから重要なのはそこじゃないと言っているだろうが! 信濃如きが久遠家の手を煩わせることが論外だ!! それより八千流、その態度はなんだと言っている!」


 ──ああ、やはりか。いや、知っていたとも。クズはどこまでいってもクズ。前提を変えたところで、ひとでなしの解答が返ってくることに変わりはない。


「分かりました。もう結構です」

「おいまだ話の途中──」


 クズその一が何かを叫ぶが、もう全てどうでもよかった。言い終わるよりも早く立ち上がる。この場から去ることを決めた。

 聞けたいことは聞けたのだ。最後のチャンスは踏みにじられた。だったらもういる意味などない。クズたちが視界に入るだけで不愉快だから、さっさと部屋に戻ってしまいたい。

 助力に関しては諦めよう。話し合いで穏便にことを運ぼうと思っていたが、これが相手では一生平行線だ。会話するだけ不毛だ。

 だからお兄様を頼ろう。お兄様経由で、このクズたちの頭を無理矢理にでも押さえつけてもらおう。幸いなことに、壁際にいるお兄様は実に楽しそうだから、助力を申し込めば──


「この出来損ないが!!」


 ガンッと、頬に衝撃が走った。


「……」


 どうやらクズその一に殴られたらしい。いや、ドタドタと近づいてきていたのは気づいていたので、特に驚きはないのだが。

 ただ思ってた以上の衝撃ではあった。それだけ怒り心頭だったのか、一切の加減なく頬を殴り飛ばしてきたようだ。


「落ちこぼれの娘の分際で、親を馬鹿にするとは何事だ!? 天理に気に入らたからといって、調子に乗っているのか!?」

「はぁ……」


 ため息が出る。あまりにも馬鹿らしすぎて、怒りすらも湧いてこない。

 大の男が、手加減なく子供の顔を殴り飛ばしたらどうなるか。目の前のクズは、それすら頭に血が上って理解していないのだろう。


「……!! ……!? ……!!」


 耳に入ってくる全てがノイズ。脳が拾う価値もない騒音の数々。

 実に面倒だ。これが親であるということももちろんだが、それ以上にクズの中にある『八千流』の存在が実に面倒くさい。

 クズたちにとっての『八千流』は、自分たちに都合のいい人形なのだ。命令すれば大人しくそれに従い、怒鳴りつければ震えながらに謝罪する。

 それが我が子。自分の娘。薄汚れた自尊心を満たすための、人の形をした肉袋。


「……やってられない。ああ、本当にやってられない」


 腹が立つ。私に、いやかつて『八千流』に腹が立つ。こんなクズたちの言いなりになっていたなんて。顔色を窺っていたなんて、恥ずかしくて仕方がない。

 前世の記憶が目覚める前だったとか、そんなことは関係ない。このクズたちに支配されていたという事実が、ただひたすらに人生の汚点だ。


「──今更、この程度の罵声と暴力で怖気付くとでも?」


 ──だから私は、過去を振り切る意味も込めて、自分の首筋を動脈ごと引きちぎった。

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