第29話 決心

「はぁぁ……。今日は疲れたわね」


 自室にて私はため息を吐く。まさかここまでの大事が起きるなんて思っていなかった。

 あの後、保健室に到着した私を待っていたのは、張り詰めた気配を漂わせる養護教諭だった。私はもちろん、霧香さんも十分にお嬢様と呼べる家の子なので、担当する側としては気が気じゃなかったのだろう。

 そして養護教諭から簡易の診察を受け、両者ともに外傷無しと判断。ただ霧香さんは気絶したままだったし、頭の怪我は油断ができないということで、念のため病院に搬送。検査入院が決定。

 私も同様の理由で連れてかれたが、霧香さんと違って終始ピンピンしてたので、異常がないと分かった時点で家に帰された模様。


「とはいえ、本番はむしろこれからなのよねぇ……」


 早退したけど、何事もなくてめでたしめでたし。──それで終わらないのが現実である。

 教育現場で起きたトラブルは、当然ながら親の方に連絡がいく。関係者の生死に関わるような大事なら尚更。

 もちろん私は被害者だ。連絡がいったところで心配こそされど、怒られる道理はありはしない。そういう意味では不安を抱く必要もない。

 ……が、それは全て『普通なら』という形容詞がつく場合。私の両親は、生憎と『普通ではない』のだ。それもマイナス方向で。


「憂鬱だわ……」


 ため息を吐きながら部屋を出る。両親はすでに帰宅済み。で、夕飯の前に呼び出しを受けたのがついさっき。

 理由は当然ながら今日の一件。そして私の身を大して心配してないのは一目瞭然。……だって心配してたら呼び出しなんてしないだろう。階段から転がり落ちたなんて、医者から問題無しと言われても安静にさせとくだろう。

 大人しく寝ていろと言わず、リビングまでやってこいとのたまう両親とか……。相変わらずで片付けてしまえばそれまでだが、もう少し親としての自覚を持てという。


「……ま、割り切るしかないわよね」


 切り替えよう。文句は果てしなくあるが、今は粛々とやるべきタスクをこなしていこう。

 両親がマトモじゃないことを嘆くよりも、マトモじゃないからこそ放たれる妄言を処理することの方が重要性は高いのだから。


「よし。──失礼します」


 腹を括り、リビングの扉を開ける。ソファには両親が。……そして壁際にはお兄様が。漫画片手に床を寝転がっているのだが、アレはなにをしているのだろうか?

 普段、お兄様は家では自室に籠っている。両親含め、家の人間の全てを取るに足らないと思っているからだ。『有象無象を視界に入れるよりも、部屋でゲームや漫画を堪能した方が建設的じゃん』とは、ブートキャンプ中のお兄様の言である。


「……」


 なのでリビングにいるのは大変珍しい。あと壁際で寝転がっている姿は大変怪しい。絶対になにか思惑があるはずなのだが、かなりの確率でやぶ蛇なのが悩みどころだ。


「八千流。早くこっちに座りなさい」


 私がお兄様についてなにかコメントすべきか悩んでいると、父からため息混じりの呼び出しが。

 その言葉の裏に込められた意味は明白。『お兄様は無視しろ』ということなのだろう。無視するには存在感がありすぎるのだが、それでも両親からすれば触れたいものではないようだ。

 ……それもそうか。半年前の脅し以降、お兄様と両親の仲は冷えきってしまっているからなぁ。正確に言えば、両親が全力で認識しないようにしているだけだが。お兄様は元から気に止めてないし。

 まあ、お兄様は本当に無視してもいいか。ちょくちょくこちらに意識を向けてはいるようだが、基本的に漫画を眺めているだけ。大方、私にまつわるイベントの気配を感じて、観戦にでもしにきたのだろう。

 首を突っ込んできたら、もうその時はその時だと諦めるしかない。むしろアレだ。私が手を借りたくなった際、直ぐに声を掛けられると思っておこう。


「八千流。早くなさい」

「っと。申し訳ございません、お母様」


 母に急かされソファに座る。促されたのは両親がいるソファの向かい側。……広いから構わないのだけど、明らかに形が面談とかの類なのだが。

 何度も言うが、私って一般的には大怪我しかけた娘だぞ? それも当日かつ過失ゼロの完璧被害者サイドだぞ? もう少し心配している素振りぐらい見せても良いのでは?

 なんだろうなぁ。理解はしていたが、やはりこの両親は駄目だ。言動の端々から異常性が垣間見えてしまう。それもお兄様のような理外な存在特有の怪物性ではない、人間としての醜悪さが。程度の低い歪んだ認識に基づくズレ。

 改めて思う。かつての『八千流』が堕ちるのも無理はない。そして比較的マシになった今の私では、どうしても拒否感が湧き出てくる。


「それでお話とはなんでしょうか?」

「もちろん今日の件です。そんなの分かりきっていることでしょう?」

「……失礼しました」


 ……堪えろ。ただの潤滑油のつもりで口にした質問に、あからさまに不愉快そうなリアクションが返ってきたとしても。

 ここで私が嫌悪感を滲ませたら、本題そっちのけで私に対する文句をガーガー喚くことだろうだろう。それは流石に困るのだ。耳障りという理由以上に、加害者側への報復はは大人の領分なのだから。

 だからしっかりと話し合わなければ。本題に入った上で、報復の協力を要請しなければならない。


「八千流。医者からの診断結果は耳にしているが、念のため訊く。怪我はないんだな?」

「はい。幸運にもございませんでした」


 実際は幸運でもなんでもない必然なのだが、とりあえずそれは置いておこう。幸運と言っておいた方が、より報復は苛烈になるはずなのだから。


「確か階段から落ちたのよね? それも信濃の娘を庇って」

「はい。もし私が助けなければ、霧香さんは大怪我を負っていたはずです。……いえ、正直に言いましょう。ほぼ間違いなく死んでいたかと」


 これは事実だ。あの落ち方はそれだけ危険だった。脳挫傷か頚椎損傷か。どちらにせよ、命が脅かされたことは間違いない。

 それだけ危ない目に遭ったのだと、私は両親に主張する。それに対し、相応しい報復を要求するために。


「──本当に頭の悪い子ね八千流は……。いくら信濃の娘が危なかったからって、貴女が助けに入る必要なんてないでしょうに。怪我でもして傷跡が残ったらどうするの?」


 ……だが返ってきたのは、私の予想を遥かに超える暴言で。


「そういう時は助けられたとしても放っておくの。それで危なくなくなってから、相手に責任を追及するのが賢いやり方なのよ?」

「まったくだ。……それにしても、久遠の娘を危険に巻き込むとはな。付き人の風上にも置けん無能者め。信濃家にはどんな償いをしてもらおうか」

「それは……本気で言っているのですか……?」


 ──この瞬間、私は本気でこのクズ共を見限ることを決めたのだった。

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