第28話 Shall we dance?
「──そこ! 何をやっているの!?」
背後で大人の声が聞こえた。集まってきた教師たちが、こちらの状況に気付いたのだろう。
……流石に潮時か。まあいい。言いたいことは言った。宣戦布告は既に済ませた。
「破滅を震えて待ちなさい。路頭に迷わせてあげるから」
最後に脅しを。そして掴みあげていた男子を投げ捨て、この場を立ち去る。
背後で悲鳴のような泣き声が聞こえてきたが、それはもう無視だ。ひとまずの区切りはついたのだ。もはや気にする必要はない。
次にやるべきは……まずは霧香さんの様子の確認か。今しがた教師たちの手によって運ばれていったので、私もそれを追うとしよう。
「霧香さんは保健室に?」
「は、はい。事情も説明済みです」
「ありがとう。助かるわ」
霧香さんを任せてた子に訊ねると、予想通りの答えが返ってきた。
外傷らしい外傷もないので、とりあえず保健室に運ぶのだろう。その後、養護教諭の判断次第では病院に搬送されるのだと思われる。
「駆けつけた先生方が二人だったこともあって、とりあえずあの子を優先していきました。八千流様はここで待機とのことです」
「待機?」
「はい。一見して平気そうでも、すぐに体調を崩すかもしれないからと。すぐに先生が追加で担架を持ってやってくるので、それまで下手に動かずじっとしておくようにと」
「心配無用なのだけれど……」
いや、階段から派手に転がり落ちたとなれば、念には念を入れる必要性も理解できるのだが。
頭の怪我を甘く見てはいけないのは事実。だが私の場合、そもそもダメージ自体がゼロなので、怪我云々の話ですらないという。
自分で言うのも色々とアレだが、超人を常人の尺度で測ったところで何の意味もないのである。
「ま、仕方ないわね。いいわ。保健室に行きましょう」
「え、あの、先生は待機していろと……」
「それだと担架で運ばれる羽目になるんでしょ? 嫌よそんなの」
怪我一つない状態で担架というのは……うん。流石に抵抗がある。あと単純に歩いた方が早い。
「私は本当に大丈夫だから、気にしないでいいわ。あなたも先生に伝えたら、授業の方に向かって構わないから」
「で、ですが……」
「何か言われたら、止める間もなく行ってしまったって返しなさい。文句は私に持ってくるように、ってね。分かった?」
「かしこまり、ました……」
「ありがとう。それじゃあお願いね」
そうして私は保健室へと向かう。追加の先生が到着して咎められても困るので、少しばかり早足で。
ついでに今後の展開を考えておこう。報復をするにしても、私個人の力ではどうしようもないし。
「……久遠家の力を使うのは絶対。私も被害者と言えば被害者だし、その辺りはどうとでもなる。問題は……やっぱり両親よねぇ。お兄様に相談──」
「おい久遠! ちょっと待て! 待ってくれ!」
そんな私の思考を遮るように、蘭丸君に呼び止められた。どうやら私のことを追ってきたらしい。
「あら蘭丸君。何か?」
「今さっきのことだ。久遠、お前が怒るのも分かる。だが少し落ち着け。あの脅しは熱くなりす──」
「蘭丸君。私、あなたのことは好きよ」
そこから先は言わせない。そんな意志を込めて、私はあえて脈絡のない言葉を放つ。
「……は? っ、はぁ!?」
結果は予想通りの反応。私の言葉に思わずといった様子で、蘭丸君が後退る。リアクションだけで動揺しているのが分かり、ついつい笑いそうになってしまう。
とは言え、誤解をさせたままでは話が進まないので、ゆっくりと続きを述べていく。
「話がややこしくなるから、異性としては一旦脇に置いておくけどね。一人の人間として、あなたのことは好ましく思ってるわ。人柄、才能とか色々な部分で尊敬している。憧れていると言っていいわ」
「お、おう……」
「──でもね、それとこれとは話が別なの。一度はあなたの顔を立てて聞いてあげる。でもそれ以降は駄目。もしなお私に落ち着けと言うのなら、この状況で意見するというのなら。……あなたは自らの立場を明確にしなさいな」
口調は優しく。されど言葉に込める圧は強く。無自覚な子供を諭す意味も込めて、私は強く言い切った。
「た、立場だと……?」
「ええ。今のあなたには資格がない。舞台の上に立つ役者ではなく、観客の内の一人でしかないわ」
少しばかり冷たくなった私の声音に、蘭丸君がわずかに怯む。
それに構わず私は続ける。もし蘭丸君がこの一件に首を突っ込むのならば、これは必ずやらなければならないことであるから。
「蘭丸君。私たちはなに? 私たちの家は何かしら?」
「それ、は、十二支族だが……」
「そうよ。十二支族。すなわち武家の末裔。──ならば分かるでしょう? 霧香さんは私の郎党なのよ」
「っ……!」
主家と郎党。もっと噛み砕いて言えば主従関係だ。主である私は霧香さんを庇護し、代わりに霧香さんは私に奉仕する。
これまで私は、『久遠八千流』は散々霧香さんの奉仕を受けてきた。いや、奉仕を無理矢理させてきた。
だからこそ、私はここで動かなければならない。もちろん感情面でも腸が煮えくり返っているが、それを抜きにしても庇護者としての義務を果たす必要がある。
「郎党の身の安全を脅かされた以上、穏便に済ませるわけにはいかないの。全力で潰した上で、見せしめにしなければならない。霧香さんだけでなく、他の子たちのためにもここは引けない」
手を出したらマズイと、周囲の人間に知らしめなければならない。あの愚か者たちを、畑で吊るされる鴉にしなければならない。
野蛮と貶すなら貶せばいい。だがこれは疎かにすることはできない。度を越した馬鹿が出てしまった以上、過剰ということはないのだから。
「この一件で発言権があるのは、現状では四人だけ。被害者である霧香さん。彼女の主であり、結果として同じように階段を転がる羽目になった私。そして加害者であるあの愚か者たち二人よ」
それ以外は野次馬だ。例え声を上げたとしても、それは野次として片付けられることになる。私がそうする。
「あなたがこの件に絡む方法は一つだけよ。それは蘭丸君としてではない。あの愚か者たちの主人として名乗りあげることだけ。──ただし覚悟なさい。名乗り上げるというのならば、久遠家と鳳家による争いになるわよ」
「っ……。お前が怪我をしたからか」
「念押しするけど、怪我はしてないわ。……とは言え、普通なら大怪我してるような目に遭っているのも事実。霧香さんのご実家ともども、被害者の立場を取ることになるわね」
「それは……」
私の挙げた対応例を聞き、蘭丸君の表情が険しいものに変化する。
法律で言ってしまえば、蘭丸君や鳳家になんの非もない。追及を受けるのは実行犯の男子と、男子の発言次第で発案した女子にまで波及するのが精々だろう。
だがそれで済まないのが名家というもの。歴史があるということは、それに比例する『名』が存在するということ。名は一種の信頼であり、だからこそ失った時の損失は極めて大きい。
もし蘭丸君が庇護者として名乗りを上げるのならば、庇護者に相応しき働きをしなければならない。つまり加害者二人を全力で擁護するか、ダメージを最小限に留めるような落とし所を探らねばならない。
だがその場合、蘭丸君が対峙するのは『久遠家』だ。本家の娘が被害に遭っているのだから、実家が出てくることはなんらおかしいことではない。
そして久遠家が、同格とされる十二支族の家が出てくるというのならば、必然的に鳳家も出てこなければならない。直系の子息といえど、任せられる規模を超えてしまっているからだ。
「あなたはただでさえ、面倒な状況に置かれている。それは理解しているでしょう? 『君臨すれども統治せず』を主張しても、今回の件は言い訳にはならないわよ?」
「それ、は……」
蘭丸君は派閥の長だ。本人にその気はなくとも、周囲の認識はそうなっている。
所詮は学校内の出来事。子供のお遊戯と思うなかれ。学園内で形成された派閥、そして評価はそのままダイレクトに将来に影響する。
決して子供の世界と侮ることはできない。蒼天学園という巨大な箱は、社交の舞台そのものなのだ。
「私たちが身を置くのは、時代遅れの価値観が未だに蔓延る世界だもの。派閥の不手際は、そのまま率いる者の不手際。現段階でも、蘭丸君の名には傷がついてしまっている」
「くっ……」
今の私たちが率いるのは、精々がクラス一つ分の人数だ。社会から、日本を牛耳る十二の家が率いる数に比べれば、極めて少数と言わざるを得ない。
そうでありながら、蘭丸君は派閥のコントロールに失敗した。自分の派閥に属する者が、子供の世界で収まらないような大問題を引き起こしてしまった。
鳳家直系の子息にあるまじき不手際である。将来的には鳳家でも重要な地位に就くであろう蘭丸君にとって、この一件はとても重い失点なのだ。
「蘭丸君。ここが一つの分水嶺よ。あなたにあるのは二つの選択肢。外野として、観客として知らぬ存ぜぬを貫き通すか、愚か者の主人として責任を負うかという二択」
観客を選択した場合、舞台の上に立っているのは四人だけということになる。被害者である霧香さんと私、そして加害者である愚か者の二人。
蘭丸君、及び鳳家は何一つ関わりがないということになるだろう。……少なくとも表面上は。
「観客でいるのならば、久遠家と争うことはなくなるでしょうね。代わりに、蘭丸君の求心力はガタ落ちとなるでしょうけど」
派閥の長の役割で、最も重要なのは責任を取ることである。端的に言ってしまえばケツ持ちこそが長の仕事だ。
観客として知らぬ存ぜぬを貫くということは、長の役割を放棄するということ。庇護せぬ者を長として戴くという者は……皆無とは言わないが少数なのが現実だろう。
何度も言うが、学生時代に培われた人脈は、そのまま将来へと直結する。だからこそ派閥の崩壊はできる限り避けなくてはならない。責任から逃げた上での結果となれば、とてつもない悪評として尾を引くことになるのだから。
「……事実上の一択だろそれ」
「そうかしら? 格下とはいえ十二支族、その一つとの争いを避けられるのならば、選択として完全に無しではないと思うわよ? 特に蘭丸君の場合、大成できる道は一つではないのだし」
実際、無印ストーリーのように英雄の領域に至ってしまえば、多少の悪評など蹴飛ばせるほどの名声が手に入るわけで。
ぶっちゃけ、蘭丸君なら鳳家の力などなくても余裕で生きていける。縁を切ってなお、かなりの富を築けるだけの才があることを私は知っている。
……まあ、今それを口にしたところで何の意味もないのだが。
「ともかく、一度はしっかり考えなさい。幸か不幸か、一日ぐらいは悩む時間はあるのだから」
流石にここまでの大事だと、一日で全てが片付くことはない。あるとしても、愚か者たちの家族による必死の謝罪ぐらいだろう。
本格的に事態が進むにはまだまだ掛かるはず。それまでに、蘭丸君も自らの立ち位置をはっきりさせればいい。
ことがことだけに自らの一存で立場を決めることはできないだろうし、しっかりと鳳家の関係者と話し合うべきだ。
「……ただそうね。もしあなたが舞台に立つとしたら。そして舞台の上でどのような選択を取るのかは分からないけれど。これだけは忘れないでおいて」
一度そこで言葉を区切る。そしてしっかりと、蘭丸君の瞳を見据えて私は告げる。
「私は簡単にはひかない。ひいてあげない。だから生半可な気持ちで上がってくれば、無様を晒すことになるわよ」
「……理解している」
「そう。なら私は、あなたが来るのを期待半分で待っているわ。──その時は、誰かが燃え尽きるまで踊りましょうね」
──私がしっかりと、破滅の炎をくべてあげるから。
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