第24話 すれ違う二人

 蘭丸君が私を睨む。怒りと悲しみがない混ぜとなった瞳で、こちらを真っ直ぐ射抜いている。

 この瞬間、私は始めて誰かの『嘆き』というものを見た。物心ついた時から期待なんてされてこなかった私は、今初めて誰かに失望されたのだろう。


「何故あんなことをしたんだ……! 素直に頭を下げるのならば、始めからやらなければいいものを……!!」

「そうね。本当に申し訳なく思っているわ」

「謝罪が欲しいなんて言っていない! 俺は理由を訊いているんだ!」


 ……何故、か。正直な話、これほど強く理由を問われるとは思ってもいなかった。呆れられるか、怒鳴られるか、文句を言われるかぐらいじゃないかと、勝手に予想していたのだけど。

 だって私と蘭丸君の関係性はその程度だ。同じ十二支族であり、同じ初等部のボスということで表面上の交流はあったが、逆に言ってしまえばそれ以上の関わりはない。

 理由は単純。かつての『八千流』は最悪なクソガキであり、幼いながらに熱血快男児であった蘭丸君とは相性最悪だったから。蘭丸君が私を毛嫌いしていたというのは、嫌味でもなんでもない事実だったから。


「責められている立場で言う台詞ではないけれど。随分強く問いただしてくれるのね。かなり意外だわ」


 一応、今日の会話で多少の印象の変化はあったとは思う。それでもマイナスがゼロに近づいたぐらいだろうし、試合のアレで振り出しに戻ったはず。

 つまりプラマイゼロの現状維持。私の暴挙に怒りを覚えるのは理解できるが、ここまで固執されるというのは不思議な感覚だ。


「当たり前だ! お前の強さを理解できない俺ではないぞ!? 半年前とは比べものにならない手強さだった! どれだけ血の滲む鍛錬を積んだのか、正直想像できないほどだ!」

「そうね。大変ではあったわ」


 実際は物理的に大量の血が滲むぐらいなのだが、流石に口には出すまい。そして子供に想像されてたまるか。教育に悪すぎる。


「お前と試合をした今なら分かる! この半年間、ずっと剣道に打ち込んできたんだろう……!? それなのに、それなのに……!!」

「……」


 ──ああ、そうか。蘭丸君は私のアレを、『自らの努力を踏みにじった』と解釈しているのか。

 多分だけど、前提の部分で蘭丸君は勘違いしている。『久遠八千流はこの半年間を、剣道の鍛錬に費やしてきた』と思い込んでいる。

 だからこれだけ怒っているんだ。才能があり、努力もしているからこそ、蘭丸君なりに私の積み上げたものを推し量ったのだろう。

 実際の成否はともかく、彼の中で私が費やした努力は膨大であり、そうでありながらその努力に泥を塗った。それが剣道少年である蘭丸君には我慢ならない。


「何故なんだ久遠! それだけ努力して、何故あんなことができたんだ!!」

「いや、その……」


 ある意味で努力しすぎた結果なのだけど、それはひとまず置いておいて。……どうしよっか、この絶妙な噛み合ってない感じ。いや、勘違いするのも分かるんだけどさぁ。

 まず客観的に見て、私の成長具合はおかしい。お兄様による狂気的な拷問くんれんを凌いだ結果、冗談抜きで超人の領域にカテゴライズされるまでになった。

 で、そんな状態で行われた蘭丸君との試合。私が必死で手加減したこともあって、互角ぐらいの内容で落ち着いてはいたけれど、それでも十分におかしい成長率だ。それぐらい元がへっぽこだったのだから。

 だから蘭丸君はこう考える。『剣道の猛特訓をしていたのだな』と。非才の身であった私が、たった半年で天才である蘭丸君と互角の腕前となるには、それぐらいしなければならないのだ。……常識で考えた場合。

 実際はバケモノ主導による非常識極まりない暴挙の成果だし、別段剣道のみを鍛えていたわけでもない。剣道、いや剣技とか関係なく、死に物狂いで色々と手を出し、全体的にスキルアップしているだけなのだ。

 だが普通の人間は、そんなこと考えつくはずもないわけで。私が蘭丸君の情操教育を考慮し、詳細を全く語ろうとしないことも相まって、こうした勘違いが進行しているのだろう。


「あの瞬間、俺はお前のことを見直したんだよ! それと同時に嬉しかった! 同年代で、俺とマトモに競い合える初めての相手ができたと!」

「……そう。光栄ね……」


 地味に反応に困る告白までついてきたなオイ。……いや、蘭丸君は憧れのキャラの一人であるし、ライバルは認定は本当に光栄なのだけど。

 ただそれ以上にね。蘭丸君のライバル、それも初の相手となれば、無印主人公であってほしいというファン心理がなぁ。


「……」


 とまあ、冗談はともかく。ここまでヒートアップするのも納得の情報が、また新しく出てきたな。

 競い合える相手がいないというのは、言葉は悪いがテンプレの一つだ。天才の苦悩としてはありきたりな内容だし、ダンダン無印のストーリーでもその辺りは語られていた。

 蘭丸君は根っこの部分がスポーツ少年。そりゃ自分の好きな競技で努力した(と思っている)相手は認めたくもなるし、自分と同レベルにまで成長してたとなればテンションも上がるだろうさ。


「図らずも、上げて落としてしまっていたと。本当に申し訳なくなってくるわね……」


 上げて落とすことの罪深さというものを、私はとてもよく知っている。……それはもう、お兄様との訓練で骨身に染みていると言っていい。

 見直して、その上で私に期待してしまったからこそ、蘭丸君は余計に悔しかったのだ。ドン底に叩き落とされた気分だったのかもしれない。

 激高してしまうのも、失望してしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。


「答えろ久遠! ちゃんと俺に理由を説明しろ!!」

「そうね……」


 蘭丸君に問い詰められる中、私はさてどうしたものかと思案する。

 情操教育の観点からとか、言い訳にしかならないからとか、語らない理由は色々ある。

 だが同時に、ここまで問われていて語らないというのも、蘭丸君にとって悪い気がしてくる。納得させるとまでは言わないが、最低限の説明責任は果たすべきではないかと思えてくる。


「──理由と言っても、大したことではないわ。本当に私の不手際なのよ」


 ──うん。やはり語るべきだろう。詳細はボカしながらも、事実は伝えておくべきか。


「大したことない、だと?」

「ええ。あの直前、私は反射的に危険な攻撃を行いそうになった。それを咄嗟に踏みとどまった結果よ」

「……」


 嘘は言っていない。というか事実だ。攻撃の威力が比喩でもなく殺人レベルという点を語っていない以外、『何故』という質問に対しては申し分ない解答ではないだろうか?

 これで納得してくれればいいのだが、果たして──


「まともに説明する気はないということか。……もういい。ああ、もう分かったよ……!」


 ……残念。どうやら納得はしてくれなかったらしい。それどころか、神経を逆撫でする形となってしまったようだ。


「正直に話したつもりなのだけど……」

「嘘をつくな……! それが本当の理由なら、加藤先生が俺を立ち会わせないわけがないだろうが! 俺に対してしっかりと謝罪させるに決まってる!」


 むぅ……。そう言われると少し弱いな。偉大な剣道家である加藤先生が、礼節を蔑ろにするわけがないと。蘭丸君は主張しているのだ。

 実際、加藤先生も似たようなことは言っていた。ただ私の抱える問題が、とても繊細かつ礼節よりも重要性が高かったから、そうはならなかっただけで。

 そして残念なことに、これは説明できない部分だ。私が語った内容は事実であるが、その根拠を蘭丸君に示すことができない。


「……」

「──結局、ひん曲がった性根はそのままだったってことか。もう二度と話しかけるな」


 言い淀んだ私に対して、蘭丸君はそう吐き捨てて去っていった。背を向ける一瞬だけ視線が交叉したが、彼の瞳に宿っていたのは遠慮のない侮蔑の色。

 ──この瞬間、私と蘭丸君は完全に決別してしまったのだ。少なくとも、蘭丸君の方はそういう認識であるはず。


「や、八千流様……」


 あまりの事態に、これまで沈黙を保っていた霧香さんが、恐る恐るといった様子で話し掛けてきた。

 随分と心配そうにしている。まあ当然の反応か。十二支族の子供同士が、それも同じ初等部のボスである二人の関係性が一気に悪化し、図らずもその場に立ち会うことになってしまったのだから。

 霧香さんの脳内で、一体どんな波乱の未来が描かれているのか。少しばかり興味があったが……。


「悪いけど着替えるわ。時間がなくなってしまうもの」

「は、はい……!」


 それよりも道着から制服に着替えることを優先しよう。なんだかんだで、結構な時間になってしまっている。

 というわけで、霧香さんを置いて更衣室の中に入る。女同士だし一緒に入ってもよかったのだけど、まとう雰囲気が全力で拒否していたのでそれを尊重した。

 すでに更衣室には誰もいない。まだ私と二人きりというのは、霧香さんにとってハードルが高いのだろう。もちろん、私に気を遣ったという面もあるだりうけど。


「ふぅ……」


 シュルリと道着をはだけさせながら、私は先程の光景を思い出していた。

 ──怒りを滲ませながら、どこか寂しさを漂わせて去っていく、蘭丸君の小さな背中を。


「男の子ねぇ……」


 思い込みの激しいところも。すぐにカッとなってしまうところも。感情に振り回されて、どうしても気落ちしているのを隠し通せていないところも。

 大人としての感覚を持ち合わせている私にとって。そして身近かつ年齢の近い異性が人型のナニカな私にとって。蘭丸君の反応は、実に微笑ましいものなのであった。

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