第22話 悪役令嬢の剣 その四

 武道の授業が終わり、先程までとは打って変わって静かになった道場内。

 生徒たちはもういない。いるのはやらかし私と、険しい表情を浮かべている加藤先生だけ。おかげで空気が重いこと重いこと。


「さて久遠さん。居残りの理由はお分かりですね?」

「試合での反則行為に対するお説教、でしょうか?」

「まさか。それなら鳳君を帰しませんよ。対戦相手であった彼の前で、しっかりと頭を下げさせますとも」

「なるほど」


 私たちがやっていたのは剣『術』ではなく、剣『道』である。心を鍛え、礼節を磨くことも理念の一つとされている。

 だが私は、結果的に反則行為をやってしまった。竹刀を自ら捨て、対戦相手である蘭丸君を侮辱した。剣道が重んじる『礼節』に思い切り泥を叩きつけたのだ。

 だからこそ、反則行為を叱責するならば、蘭丸君の目の前で行うと加藤先生は語る。剣道の理念を懇々と説き、最終的には彼が許すまで土下座させると言い切った。


「久遠さん。悪足掻きはお止めなさい。あなたは賢い。いや賢くなった。立ち会うと渋る鳳君を無理矢理に私が帰した時点で、全てを悟っているはずです」


 ──故に、私だけが道場に残されている時点で、反則行為に対する叱責ではないのである。


「……以前と同じような癇癪、と片付けることは不可能ですか?」

「当たり前です。アレを見て素知らぬ顔をするなど、教師として……いえ大人として恥ずべき行為です」

「はぁ……」


 自然とため息が漏れた。分かってはいたことだが、やはり引いてはくれないか。


「安心してください。久遠さんに悪いようにはしませんよ。子供を守るのも大人の役目です。素直に話したことで、あなたが不利益を被るような事態には絶対にさせませんとも。私の剣にかけて誓いましょう」

「それについては元より心配しておりませんわ」


 加藤先生が私に対して、色々と配慮してくれているのは理解している。

 例えばこの居残り。わざわざ授業の後に、マンツーマンの状態で行ってくれている。これは私が話しやすいようにという意図がある。

 その証拠に加藤先生は、同じように居残りをしようとした蘭丸君を追い返した。私の行動の意図を追及したいと主張した蘭丸君を一喝し、道場の外につまみ出した。

 加藤先生はそれだけ事態を重く見ており、それでいて繊細な内容だと確信しているのだ。だからこうして、何度も念押ししてくれている。


「──信用や信頼の有無とは関係なく、話したい内容ではなかったのですが……。加藤先生に剣を出されてしまっては、応えぬわけにはいきませんわね」


 ここまで言われてしまえば仕方ない。私の身を案じてくれているのだから、拒絶し続けるのは礼を失する。すでに加藤先生の指導下でやらかしているのだから、これ以上ごねるのは恥の上塗りにしかならない。

 覚悟を決め、できる限り訊ねられたことには答えよう。お兄様というバケモノが関わっている以上、全てを答えることはできないけれど。それでも真摯に向き合おう。


「では担当直入に問いましょう。久遠さん、あなたダンジョンに潜りましたね?」


 ……んー?


「……否、ですね」

「誤魔化す必要はありません。ダンジョンを私的に保有する十二支族の間では、優秀な人材を育てるために、幼い子供をダンジョンで育てることは度々行われていました。流石に最近では行われなくなった悪習ですがね。最後にそんな噂を耳にしたのは……二十年前でしょうか?」

「……初耳でございます」


 いや、本っ当に初耳なんだけど。そして二十年前までは行われてたとかマジか。ゴリッゴリの違法行為じゃねぇか。

 まあ、分からなくはないけどね? 十二支族は武家の末裔だし、未だにかつての価値観も残っているような伝統のある、口さがなく言ってしまえば古くさい連中だから。

 昔の武家よろしく、一族の子供をこぞってダンジョンに叩き込んでいたのだろう。危険な訓練ぐらいの感覚で。

 ……ああ、そういうことか。つまり加藤先生は、私が両親辺りの命令で、ダンジョンに放り込まれたとでも思っているのだろう。

 私に対する不利益云々と念押ししていたのも、違法行為を部外者に話す抵抗感を減らすため。下手をすれば大スキャンダルに発展する内容であるからこそ、私の立場を保証しようとしてくれているのだ。


「ふふっ。やはり加藤先生は素晴らしい方ですわね」


 自然と苦笑が浮かんでしまう。十二支族の当主にまつわるかもしれない醜聞を、自ら進んで聞こうというのだ。私のような問題児のために、そこまでのリスクを犯そうとしてくれているのだ。

 だからこそ、この勘違いだけは解いておかなければ。加藤先生ほどの人ならば、確たる証拠のない状態で短慮を起こすことなどありえないだろうが、それはそれとして不安の種は摘んでおかなければ。


「加藤先生。私はダンジョンになど潜っておりませんよ。これは嘘偽りのない事実です。両親もまったく関わっておりませんわ」


 一応、訓練場は父の名で借り切ってはいたが、それだけだ。父は完全に無関係と言ってよく、全ての原因はお兄様にあると断言できる。


「……では先程の試合で見せた動きの数々は? あの実戦の悪辣さを帯びた一挙一動は、どのようにして培ったのですか?」

「半年間の鍛錬で。私の兄である久遠天理に鍛えられた結果です」

「なんと……」


 ここまでは話しても問題ないだろう。説明するに辺りぼかしきれない部分であるし、すでに噂のために開示した内容でもあるのだから。……流石に訓練の苛烈さというか、凄惨さまでは語るつもりはないけれど。


「確か……久遠さんのお兄さんは一つ上の六年生でしたね?」

「ええ。信じられないと仰りたいのですよね。ですが、これもまた嘘偽りのない事実です。私のお兄様は、とてつもない天才なので」

「いえ、それにしても……。あの対応は子供が教えられるものではないでしょう。ましてや条件反射の域まで刻みつけるなどとは……」

「それもまた簡単です。お兄様はあらゆる分野で天才であり、人を癒すことにも秀でているのです。だから怪我を恐れずに鍛錬ができたのです」


 実際は積極的に怪我をさせにきていたのだけど、それはまあ置いておいて。

 と言っても、加藤先生的には十分許容できない内容だったらしい。


「なんという……。久遠さんは、いやあなたたちは、そんな危険なことをやっていたのですか」

「お恥ずかしながら……。幼さゆえの過ちとして見逃してくださいませ」

「……本来ならば叱責するべきなのでしょう。ですが、今はそれ以上に信じられないという気持ちの方が大きい。あなたたちは、どこまで狂気的な鍛錬を積んだのですか……」


 ……誤魔化せなかったか。伝説的な剣道家である加藤先生は、目にした技術から要求される訓練量を想定できてしまったのだろう。

 そして半年という時間から逆算し、どれほど濃密な内容となっているのかを理解してしまったのだ。

 だからこそ頭を抱えている。私がどれだけ血反吐を吐いたか、いや血塗れとなった日々を想像してしまったから。


「……久遠さん。教師として、大人として口惜しいことですが、私にはあなたを教え導くことはできません。あなたはもう戻れない。剣道家として、人として一線を超えてしまっている」

「……どういうことでしょう?」

「私は剣道家です。剣道を通して、子供たちの心技体を鍛えるのが役目です。──ですが、あなたはもう剣道を受けつけないでしょう。理念を嗤い、礼節を踏みにじることでしょう。意識の問題ではない。本能の部分が恐らくそうなってしまっている」


 私は競技と相容れない。加藤先生はそう語る。どれだけ技術を磨こうが、熱心に剣道に打ち込もうが、芯の部分で真剣になることができないと。ただのお遊戯にしか感じることができないだろうと。


「これは教育者としての敗北宣言です。だから私には、久遠さんを叱る資格はもうありません。──なのでどうか、道を踏み外さないでください。あなたはすでに力ある者です。力のある者が道を踏み外した時、周りの人間も不幸にしてしまう。それは巡り巡って、本人をより深い不幸に引き摺り込む」

「……」


 加藤先生は、私の目を真っ直ぐ見つめて言った。


「不甲斐ない老人の懇願を、あなたは聞き入れてくれますか?」

「──肝に銘じます」


 私はそれに対し、深い座令でもって返したのだった。

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