第16話 過去の清算
「憂鬱ですわ……」
私が私となる前、かつての『八千流』は大層なクソガキであった。ダンダン無印において、悪役令嬢ポジに配置されるのも納得の屑。プライドが高く弱者を見下し、それでいてしっかりと権力だけは握っているという最悪なパターン。
まさに主人公に成敗されるに相応しい、典型的な敵キャラだ。ラスボスほどの格も大望もない、ナチュラルに相手をイラつかせるタイプの小物。
「本当に、我ながらどうしようもない……」
『ヤッちゃん』となった今ならば、面倒な黒歴史として片付けることはできる。家庭環境がどうしようもないほどに地獄だった以上、幼い子供が歪むのは仕方のないことなのだから。
──とは言え、そんなことは周囲の人間には関係ないのも事実。ましてや精神的に成熟していない『子供社会』において、かつての『八千流』は面倒極まりないクソガキだった。
「──学園に到着しました。それでは八千流お嬢様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ええ」
恭しく車のドアを開けた運転手の言葉に従い、私は送迎用のリムジンから降りる。
前世の一般ピーポーの価値観も備えている身からすれば、リムジンでの登校など我ながらいいご身分だと呆れそうになる。
だが幸いなことに、そんな私を奇特な目で見る者はいない。何故ならこの場は、そんないいご身分の人間が利用する専用駐車場だから。
「半年ぶりですわね……」
ここは私立【蒼天学園】。日本でも限られた立場、またひと握りの天才のみが通うことが許される、とてもとても由緒ある学園。この学園の卒業生が日本を背負うと言っても過言ではない。
なお初等部から大学部までの一貫校であり、在学年数が長いほどに学園内で敬われたりする。何故なら初等部から大学まで通うとなると、それはもうえげつない金額が必要となるからである。
つまり初等部から通っている者は、それだけ実家が裕福であるという証明であり、家格などが重要視されるこの学園において、とても分かりやすい指標の一つなのだ。
「フィクションに出てくる典型的な学園と言ってしまえば、それまでなのですが……」
学園内を移動しながら、小声でそんなことを呟く。かつてはそういうものだとしか認識していなかったが、今となればなんとも違和感を覚えるものだ。
品のいいデザインの制服を身に着けた、様々な年代の生徒たち。特に初等部の制服を着た少年少女は、私のことを知っているのか慌てて道を開けたり、立ち止まって頭を下げたりしている。
十二支族である私、そして『今日は面倒』の一言でサボりを決行したお兄様は、学園内において最高クラスの扱いなのだ。端的に言うと、初等部のボスの一人である。
……因みに、ゲームのダンダン無印主人公は、高等部から特待生として入学してくるため、まだ学園には通っていない。
「──八千流様!? お身体の方は大丈夫なのですか!?」
「へ?」
まだ見ぬ主人公(お兄様への供物)に想いを馳せていると、いきなり誰かから声を掛けられた。
声の方に視線を向けると、こちらに駆け寄ってくる少女が一人。名前は信濃霧香。私のクラスメートで、クソガキ時代の取り巻き……というより下僕だった子だ。
半年間休んでいたクラスのボスが登校しているのを目撃し、急いで声を掛けにきたのだろう。……慕われているというよりは、自己保身的な意味で。
「あら霧香さん。おはよう。ええ、身体の方は大丈夫よ。心配してくれてありがとうね」
「えっ!? ……あ、はい! おはようございます八千流様!!」
「……」
普通に挨拶を返しただけでこの反応かぁ……。思わず遠い目になってしまう。いや確かに、かつての八千流ならマトモな挨拶は返さなかったというか、返しはしても極めて偉そうではあったけれど。
オラウータンが流暢にビジネス用語を使って会話しているのを目にしたような反応をされるのは、自業自得とはいえ甚だ遺憾だ。
先が思いやられるというか、このリアクションが続くことに頭が痛くなってくるというか。
なんだろうなぁ……。身に覚えはあっても、実感のない借用書が過去から送り付けられてきたようなこの感覚は。
私は私であるけれど、『八千流』も『ヤッちゃん』も事実上の別人のようなものだから、どうしても他人の黒歴史の尻拭いをしている気分になってくるのだ。
だが、ここで怯んでは駄目だ。さっさとやるべきことをやって、面倒な地雷処理を済まさなければならない。
「私が普通に挨拶を、それどころかお礼を返したことに驚いた?」
「えっ!? あ、いえ、そんなことは……!?」
「別に慌てなくていいわよ。当然の反応だもの。不快に思ってもないから、その顔は止めてちょうだいな」
いや本当に。そんな風に顔を青くされたら、逆に私の方が憂鬱になってくるのだ。
今の私は、前世の一般男性の精神が大半を締めている混ざりもの。我が家の裏ボス様のせいで一部の倫理観が破壊されてはいるが、基本的には善良かつ実年齢より成熟している自負がある。
なので自身の言動で小学生を、それも可愛らしいと形容できる女児を怯えさせたとなれば、中々に堪えるわけで。
「以前とは別人みたい。実際その通りよ。この半年間で、お兄様に性根を叩き直されたから。少なくとも、以前よりはマシになっているつもり」
「……あの、八千流様は療養のためにお休みされていたと聞いていたのですが……」
「それも間違ってないわ。半年前、原因不明の高熱で三日三晩うなされててね。……それでお兄様が、健康になるために鍛えようって言い出したの」
ちなみにコレはお兄様が考えたカバーストーリーである。曰く、この半年間の休学は私の病の療養、そしてお兄様は忙しい両親に代わっての付き添いという形で処理されていたとのこと。
なのでその辺を逸脱しない範囲で、できる限り違和感のないストーリーを急遽仕立て上げたのだ。
「えぇ……」
「そんな反応になるわよねぇ……。でも仕方ないの。お兄様、ちょっとおかしいから」
ちょっとどころか盛大におかしいから。
「えっ、いや、あの、天理様はとても素敵な方だと思いますよ!? 確かにその……奔放な噂はたまに耳にしますが……」
「それでも大分猫被ってるわよ。どんな噂かは微塵も知らないけど。お兄様の本性が顕になっていたら、噂程度で済むはずがないもの」
「えぇ……」
おいお兄様。私のクラスメートに『アレで……?』みたいな反応されてるぞ。アンタは一体なにをやらかしたんだ。
「──ま、距離を置くべき怪人の話はさておき。そんなこんなで、この半年間は徹底的に扱かれたのよ。そしたら不幸中の幸いというべきか。極限状態に叩き込まれたせいで、我が身を省みることができるようになったの」
「……えーと……」
「ふふっ。コメントに困るのも分かるわ。信じ難いと感じるのもね」
言葉に詰まる様子を見せる少女に対し、私はできる限り柔らかい雰囲気を意識して笑いかける。
さながら小動物の恐怖を取り除くかのように。餌を片手に『怖くないよー』と語りかけて、警戒を解いてもらうように。
「宣言しておくけど、私はこれまでのような振る舞いをするつもりは一切ないの。ヒステリックに騒ぎ立てることはまずないから、その辺は安心してほしいのよ」
今後の評判改善のために、その第一歩として、八千流時代に散々振り回してしまったクラスメートに対して、私は全力で愛想を振りまいていく。
「別にね、これから改めて仲良くしましょうとか、そういう都合のいい台詞を吐くつもりもない。『あなた、お友達ね!』なんて私に言われたら、霧香さんからしたら虫酸が走るでしょう?」
「いっ、いえ!? そんなことはこれっぽっちも……!?」
「否定しなくていいわよ。実際、使いっ走りのように扱ってたわけだし」
信濃霧香は、家格的にも性格的にも八千流と相性が悪かった。気が弱く、久遠家の傘下企業の社長令嬢である彼女は、色々な意味でかつての八千流に逆らえなかった。
だからこそ彼女は目を付けられた。性格が歪みきっていたかつての八千流に、取り巻きとして、いや取り巻き以下の使いっ走りとして延々とコキ使われていた。
──でも私は知っている。アビリティの影響で、ナチュラルに人の心の機微に敏感な私は知っている。彼女の中で密かに育つ、『久遠八千流』に対する暗い感情を。煮えたぎるような憎悪を。
「イジメと呼んで差し支えないことはやっていたし、それについてはこの場でしっかりと謝罪させてもらうわ」
八千流は歪んでしまっていたから、それを承知で彼女をコキ使っていた。決して発露できない憎悪をひたすらに溜め込むその姿を眺めて、ずっと悦に浸っていた。
だが私は違う。今の私はそこまで性悪ではないし、しっかりかつての暴挙に対しての罪悪感を感じている。
悪役令嬢の地位を返上し、真っ当に生きるつもりでもあるため、この手の黒歴史はさっさと処理してしまいたいと思っている。
「──これまでのこと、ゴメンなさいね霧香さん。あなたが求めるのなら、土下座でも喜んでするけど……」
「ぅぇっ!? そ、それは流石に勘弁していただけると……!!」
「あらそう? ならこの件は手打ちということでいいかしら?」
「は、はいぃ……!!」
ふむ。前世では労働者でもあったし、正当な理由による土下座など全く抵抗感はないのだが。むしろケジメとしてやるべきではとも思うのだが……。
こうまで必死に拒絶されると、流石に止めておくべきだろう。彼女にも立場というものもあるのだし。
「あ、ただこれだけは言っておくけど、ちゃんと謝罪の他にお詫びは用意しておくから。軽く謝罪して『はい終了』とはしないから、そこは安心してちょうだいね」
「へっ!? お、お詫び……!?」
「ええ。んー……そうね。流石に金銭関係はお互いに体面もあるし、こうしましょう。あなたのお父様について、我が家の食卓でお話しさせてもらうわね?」
意訳:両親経由で上手い具合に事業関係の便宜を計りますので、是非とも期待しといてください。……我ながらなんという上流階級ムーブだろう。正直な話、ちょっと楽しくなっている自分がいる。
「ひぇっ!? や、八千流様、それは流石に……!?」
「気にしないで。愛娘の心の傷に対してならば、これぐらいは払うべきでしょう」
イジメ系はね。下手しなくとも被害者を命の危機に陥れるからね。表向きにはできないにしろ、しっかりとした賠償はしなければなるまい。
……問題は、私にはそんな権限はないところだろうか。いや、お兄様に頼み込むので、空手形にするつもりは毛頭ないのだけども。
「──とまぁ、こんな感じでね。問題児は脱却したつもりなの。妙な悪さはせず、常識に則った振る舞いを心掛ける予定よ」
「は、はいぃ……」
目指せ幸福な人生。目指せ穏便な黒歴史処理。それをスローガンに、今後の学園生活を過ごしていく所存です。
「なので霧香さん。改めて、これからよろしくね? 友人になれるかどうかはあなたの心持ち次第だけど、少なくとも良いクラスメートにはなれると思うの」
──だからどうか、クラスメートのよしみとして、この後に『八千流』がマトモになったと、それとなく学年内で広めていってほしいなぁと、内心で思ってみたり。……謝罪した直後に頼みごとをするのはアレなので、口と態度には決して出さないけども。
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