第14話 裏ボス式ブートキャンプ その三

 斬られた。頭がそう認識し、遅れて激痛が襲いかかってきた。


「っ、アァァァッ……!?」


 痛いっ、痛い痛い痛い痛い!! なんで斬られた!? なんでこんなことされた!?


「お兄様、一体なにを……!?」

「そんな慌てないのヤッちゃん。別に死にやしないんだからさ。それに大して痛くないでしょ?」

「いや死ん……あれ?」


 待って。本当に痛くない。いや痛いは痛いけど……我慢できる?

 え、なんで? こんなガッツリ斬られたのに? こんな夥しい量の血が出てる……傷が塞がってる。


「さっき言ったでしょ? ヤッちゃんは今、世界最高のリジェネレーターなんだよ。マトモに殺せないと神話で語られた、アジの不死性がフィードバックされてるの。だから大抵の傷は一瞬で治るし、痛みに対してもかなり耐性がついてるんだよ」

「いや、それにしても、えぇ……」


 流石に限度があるだろうと思った。だってアレは明らかに致命傷だ。刃先が数ミリ身体をなぞったとか、そんな次元じゃない。皮膚はもとより、胴体に収まっている骨、そして内臓のほとんどが切り裂かれた感覚があった。

 なにより出血の量が全てを物語っている。ほんのわずかな時で傷口が塞がったのにも関わらず、全身は血塗れで、足元には大きな血溜まりができているのだ。

 自分が死の瀬戸際にいたことは間違いなく、それでいて気付かぬ内に死を乗り越えていた。

 その事実に背筋が凍る。単純に生物としての生存本能、命の危機に直面したということに。そしてそれ以上にこの身に宿った不死性が、人という枠組みを超えたナニカになってしまったかのようで。


「……お兄様」

「うん?」

「私に危険がない訓練だと、そう仰っていましたよね? これのどこが、危険がない訓練だというのですか?」

「命の危険はないとは言ったけど、危ないことはしないとは言ってないよ? というか、別に危険でもなくない? 多少痛いってだけで、どうせ治るんだからさ」


 水が低きに流れることを語るかのように、お兄様はそう言い切った。むしろ私の言葉が理解できないといいたげに、首を傾げている始末だ。


『無駄だヤチルよ。我が主は人の形をしているだけで、本性は我らと同じ怪物。それもとびきりのバケモノよ。人の道理を説いたところで、通じるわけがない』

「……ああ、やはりそうなのですね」


 師匠に言われて、私もついに認めてしまった。いや、薄々勘づいてはいたのだが、とうとう確信してしまったのだ。

 私たち『人類』と『お兄様』では、致命的なまでにズレてしまっていると。


「それが力の代償なのでございますか……」


 私は今の私が恐ろしい。非常識なまでの力を宿したこの身が、とてつもなく恐ろしい。

 この力は至高と断言できるものだ。師匠が全面的に協力してくれるのなら、今の私はこの国の全戦力と渡り合えるかもしれない。

 だが、あまりにもケタ外れにすぎる。こんな代物を宿していたら、心が力に溺れてしまう。思考が怪物に染まってしまう。

 借り物の力ですらそう思えてしまうのだ。本来の持ち主であり、より強大な力を宿しているお兄様ならば──。


「酷いこと言うね、キミたちはさー」


 いつも通りの笑み。ふわふわとした風船のようなリアクション。だが今の私には、お兄様の力の一端を身をもって知ってしまった私には、あの笑顔が心底空虚なものに感じてしまう。

 だってそうだろう? 圧倒的な格下で、吹けば飛んでしまうほどに脆弱。それが通常の人類なのだ。お兄様と同じはずの人類なのだ。

 そんな下等生物を、同類同族として誰が認識できるというのだ。人が鼠を対等な相手と認識できるわけがないのと同じことだ。

 ペットとして愛玩することも、家族として扱うことも可能だろう。だが互いに同等の権利をもって尊重し合うことなど不可能だ。

 何故なら根本的な価値観が違うから。同じ人類でも国ごとに法律が異なるのに、種族からして違う生命体が、価値観を共有できるわけがない。

 上位者が下位の存在に価値観、いやルールを強制することはできる。人間と家畜、ペットの関係性がまさにそれだ。

 だがその逆は絶対にない。上位者が下に合わせることなどありえない。表面上のパフォーマンスとしては存在していても、それは上位者側の傲慢な自己満足だ。人が家畜の地位に自ら堕ちるものか。


「ま、別にいいけどねー。お兄ちゃんは心の中で涙を流しながらも、ヤッちゃんのことはちゃんと鍛えてあげるもの」

「っ、ァッ!?」


 ──また斬られた。今度は飛ぶ斬撃で、首を半ばまで断ち切られた。雑談のついでとばかりに、死の瀬戸際までたたき落とされた。


「はっ、はぁ……ハッ……!!」


『不死性』なんて言葉の通り、傷はすぐに塞がった。痛みの方も激痛と呼んで差し支えないものではあったが、意識が飛ぶほどのレベルではない。超回復に付随する痛覚耐性によって、『死ぬほど痛い』と脳内で騒げる程度に収まっている。

 活動するにはなんの問題もない。強いて問題を挙げるとすれば、一瞬とは言え致命傷を負うことに酷く動揺してしまっていること。あとは全身が血塗れで不愉快なことぐらいだろう。


「こんな感じでドンドン攻撃していくから、ヤッちゃんはしっかりダメージに慣れること。ついでにアジの能力で血から眷属を生み出せるから、アビリティ込みでサモナーとしての立ち回りも学んでね」

『ああ。そして眷属の指揮に加えて、魔術についてもヤチルには学んでもらう。千の魔術を操ると謳われし我が叡知、しかとその身に刻むのだぞ?』


 つまり不死を利用して延々と致命傷を負わせつつ、戦闘に関するアレコレをエンドレスで叩き込むと。

 なんというスパルタ方式。悪龍であるはずの師匠が狂気的と呆れ、私に対して『壊れるな』と忠告するだけのことはある。


「どうしようもなく狂っていますわね……!」


 ──上位者はどこまでも傲慢に、自身の価値観とルールを下位の相手に強制するのだ。

 常識など知ったことか。倫理感などノイズでしかない。私たち人類が作り上げた価値観など、表面上は尊重していても、その実は気にもとめていない。

 優先すべきはお兄様自身の価値観。だから私がどれだけ負傷しようが関係ない。どれだけ非道を訴えようが無視してしまう。いや、正しく抗議を認識しているのかどうかも怪しい。

 私が結果的に強くなりさえすれば、お兄様にとってはそれでいいのだ。その過程で生じる全てが些事なのだ。


「こんな生き地獄に叩き落とされたら、私は本当に壊れてしまいましてよ……!?」

「何を言ってるのさヤッちゃん。戦闘なんてマトモな精神でできるもんじゃないんだよ? ──この訓練は、どこまで上手にキミの精神を壊せるかが目的なんだ。むしろバッチコイってやつさ」

「っ……!!」


 ……これは今更の話だ。後悔したところで手遅れだ。だがそれでも、頭を抱えずにはいられない。


「完全に判断が裏目ったみてぇですわね……!!」


 いくら将来的な破滅を回避するためだとしても、命の危険を避けるためだったとしても。


「さあヤッちゃん。この半年間、じっくり訓練してあげるからさ。──是非とも理性的に狂っていってね?」


 ──この人の皮を被った怪物に、真性の裏ボスを頼ったのは間違いだったのではないかと。そう思ってしまうのだ。

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