第6話 尽くす奥沢さん

 俺がドキドキしながら、その時を待っていると――


「フゥーッ」

「⁉」


 唐突に、吐息が吹きかけられ、俺はビクッと身体を反応させてしまう。


「あっ、ごめんね、びっくりさせちゃったかな? さっき音声動画で予習してた時、耳かきする前に吐息を吹きかけてたから、私もやってみたんだけど……ダメだった?」

「いやいやいや、むしろめっちゃよかったというか、すごいゾクゾクしてめっちゃ気持ちよかったと言いますか……」


 俺は混乱した頭のまま、早口でまくし立てていた。

 何言ちゃってんの俺⁉ 

 これじゃあ完全に、ただの気持ち悪い耳かきASMRオタクじゃないか!

 まあ、その通りなんだけどさ!


「ふふっ、雪谷君のお気に召したならよかった」


 俺の予想とは裏腹に、奥沢さんはほっと胸を撫で下ろして微笑んだ。


「きっ……気持ち悪いとか思わないの?」

「思わないよ。だってこれは、私からのお礼なんだもん。雪谷君に喜んでもらえるなら、やった甲斐があったってものだよ」

「そ、そっか……」


 どうやら奥沢さんは、カメを虐める子供ではなく、竜宮城の姫様だったようだ。


「それじゃあ改めて、耳かきしていくね!」


 奥沢さんはそう耳元で囁き、綿棒をそっと耳へと近づけてくる。

 そしてついに――


 ザッ……ザッ……ザッ……。


 リズミカルなテンポで、俺の耳に綿棒が当たる。

 ASMRと何ら変わらぬ、綿棒のこすれる音。

 それに加えて、ASMRでは感じることの出来ない、こそばゆい感触と奥沢さんのドキドキとした緊張感が伝わってくる。

 

 これぞまさに、リアル耳かき!

 ASMRとは比べ物にならない優越感。

 とにかく、至極の一言に尽きる。


「ど、どうかな? ちゃんとお耳掃除出来てるかな?」

「うん、すごくいいよ」

「何かあったら言ってね?」

「それじゃあ、もう少し奥の方まで耳かきしてくれると嬉しいかも」

「わ、分かった。頑張ってみるね」


 そして再び、奥沢さんは綿棒を動かし始める。

 先ほどよりも深い位置で、綿棒をグリグリしていく。


 ザッ……ザッ……ザッ……。

 シュリ……シュリ……シュリ……。


 ちょうど痒いところに綿棒が当たり、俺の幸福感は最高潮に達する。


「あっ……そこめちゃくちゃイイ」

「ん、ここ?」

「もうちょっと奥……あっ、そこっ……!」

「ふふっ、ここだね。じゃあこの辺りを重点的にお掃除していくね」


 そう言って、グルグルーっと綿棒を時計回りに回すようにして、俺の耳に付着した汚れを取り払ってくれる。


 ザクッ……ザク……ザクッ……。

 ゴリッ……ゴリッ……ゴリッ……。


 あぁヤバいこれ。

 もうここで死んでも悔いないわ。

 そう思ってしまうほどに、奥沢さんの耳かきは、天国以外の何物でもなかった。

 相変わらず奥沢さんは、テンポよく耳かきを続けてくれる。


「雪谷君、すごい心地よさそうな顔してる。良かった、満足出来てるみたいで」

「満足どころか……こっちが何かお礼しなきゃって思ってるぐらいだよ」

「ふふっ、そんなに耳かき良いんだ。なら、もっといっぱいシてあげるね♪」


 そう言って、奥沢さんはさらに俺の耳掃除を入念にしてくれる。

 慣れてきたのか、手つきも先ほどより滑らかで、俺の脳はドンドンと蕩けてイってしまう。

 しばらくうっとりとしながら、耳かきを堪能していると、不意に綿棒が耳から離れた。


「はーい、それじゃあ次は、反対の耳を掃除するよー」

「うん、わかった」


 俺はすぐさま身体を反転させて、左耳が上になるように寝転がる。


「ふふっ、もう、あわてんぼうさんなんだから」 


 寝返りが早かったのがおかしかったのか、奥沢さんはくすりと笑い声をあげる。

 奥沢さん笑ったことで、眼前に広がるお腹の辺りのシャツが小刻みに揺れていた。そして心なしか、奥沢さんの制服から、柔軟剤のいい香りが漂ってきている。

 女の子に膝枕されているんだなという実感がさらに湧き上がり、緊張感が増してきてしまう。


「それじゃあ、左耳も掃除していくね」


 俺の心情などつゆ知らず、奥沢さんは俺の左耳の掃除を始めてくれる。


 カリィ……カリィ……カリィ……。

 シュッ……シュッ……シュッ……。


 もう慣れた様子で、ズズズっと綿棒を奥へと突っ込み、俺の心地よいポイントを熟知してくれていた。

 俺の強張った顔が、すぐにへにゃりと緩んでしまう。


「ふふっ……雪谷君、気持ちよさそうな顔してる」


 奥沢さんの方を向いていることもあり、俺の顔を覗き見た奥沢さんがあはっと笑ってくる。


「しょ、しょうがないだろ……こんな体験、初めてなんだから」

「ううん。別にからかってるつもりじゃないんだよ。ただ私は、雪谷君が満足そうにしてくれてて嬉しいだけ」


 奥沢さんにそんなことを言われてしまい、どう反応したらいいのか分からず、俺は自身の頬をポリポリと指で掻く。


「ねぇ……雪谷君」


 すると、タイミングを見計らったように、奥沢さんが声を掛けてくる。


「ん、何?」

「寝転がったままでいいからさ、私の話、聞いてくれる?」

「……うん、いいよ」


 奥沢さんの声色は、どこか真剣さを含んでいたので、俺は重い意識を何とか覚醒させて、話を聞くことにする。


「雪谷君は知ってる? ほら、私の噂」

「あぁ、まあ一応」

「そっか……そうだよね」


 奥沢さんがあからさまに気落ちしたような声を上げた。

 俺は咄嗟に言葉を紡ぐ。


「でも……あんなのただの噂だろ。少なくとも俺は、奥沢さんが本当にそんなことしてるとは到底思えないよ」

「……どうして、そう思ってくれるの?」

「そりゃだって、今日の朝の件もそうだけど、男慣れしてるはずの奥沢さんなら、あんなナンパ、簡単にあしらうことが出来るだろ?」

「……あははっ、やっぱり気づかれちゃってたか」

「それに、奥沢さんが学内の男子生徒に誘われたりしてるところ、見たことないし」

「よく私の事観察してるんだね」

「あっ、いやっ、これは奥沢さんのだけをずっと見てたってわけじゃなくて、客観的に見た時の一般的な意見という感じで――」


 俺が慌てて弁明すると、奥沢さんはおかしそうに肩を揺らして笑った。


「分かってるよ。雪谷君がそんな人じゃないってことは」

「そうか? ならいいんだけど……」


 ひとまず、誤解されてないことが分かりホッとしたのも束の間、奥沢さんがさらに話を続けてきた。


「雪谷君が噂を鵜呑みにしないで、自分で事実を確かめてから物事を判断する人だって、私はなんとなく気づいてたから」

「そりゃだって、周りの噂ばかりに流されてたら、何を信じればいいのかなんてわからないし、自分で確かめるしかないだろ?」

「それでこそ雪谷君だよ」

「……いや、そこまで褒められることでは」


 裏を返せば、疑り深いとも捉えられるのだから。


「そんな雪谷君には、もっとご褒美あげないとね! ちょっと本気出すから、心地よくなったら眠っちゃってもいいよ」


 奥沢さんはそう言って、耳かきを再開する。

 綿棒でグリグリしながら、耳たぶを揉みほぐしたり、頭を撫でてくれたりした。


 あっ、ヤバいこれ、絶対に眠くなるヤツだ。

 心地よさに襲われて、段々と瞼が重くなってきて、意識が朦朧としてくる。


「ヨシヨシ、雪谷君ー」

「奥沢……さん」

「あははっ、眠そうだね。そのまま寝ちゃっていいよ?」


 あぁ、奥沢さんみたいな尽くしてくれる女の子が彼女だったら、一体どんなに幸せなことだろう……。


「奥沢さん……」

「ん、何?」

「ありが……とう。俺、奥……沢……さん……の……と……」


 そこで、俺は意識を失い、今何を言いかけたのかもうろ覚えのまま、眠りへと導かれて行った。

 この後大事な予定があることを、完全に失念しつつ。

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