第5話 ASMRよりもイイコト


  連れてこられたのは、教室棟とは反対側にある保健室。

 奥沢さんは躊躇ためらうことなくガラガラっとドアを開け放つ。


「さっ、入って、入って」


  まるで、自分の家であるかのように奥沢さんに促され、俺はおずおずと保健室の中へ足を踏み入れた。

 保健室の中は明かりがついておらず、傾いた陽の光だけが室内を照らしている。

 養護教員の姿はなく、閑散とした雰囲気に包まれていた。


 バタンッ……カチャッ。

 

 すると、奥沢さんは後ろ手で入り口の扉を閉め、ガチャリと内鍵を施錠してしまう。


「奥沢さん、何してんの⁉」

「大丈夫、先生にはちゃんと許可貰って取り払ってもらってるし。入り口に外出中のプレートも付けておいた。今ここには誰も来ないよ」


 奥沢さんは不敵な笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


「えっ……何。俺これからどうされちゃうわけ⁉」

「そりゃもちろん、ASMRよりもっとイイコト……だよ♪ 大丈夫、変なことはしないから安心して」


 そう言って、奥沢さんは保健室の棚を勝手に漁り始めた。


「ちょっと準備するから、適当にベッドに腰掛けて待ってて」

「……わ、分かった」


  奥沢さんの言われた通り、俺は保健室のベッドへ腰掛け、両手を膝の上に置いて背筋を伸ばした。

 果たして、奥沢さんの言うASMRよりもっとイイコトとは、いったい何なのだろうか?


 もしかして、奥沢さんは本当に清楚ビッチで、俺のことを誘惑して襲おうとしている⁉


  いやいや、ないない。落ち着け俺。

 そもそも奥沢さんは、朝ナンパに絡まれた時の反応を見ても、明らかに男慣れしている態度ではなかった。

 恐らく、保健室に連れてこられたのも何か理由があってのことなのだろう。

 そうに違いない。

 

 でももしかして、あの態度が餌を釣るための演技で、俺がそれにつられてしまった獲物だとしたら……。



 ◇◇◇



 ベッドに押し倒される俺、ジュルリと舌を這わせながら、馬乗りになる奥沢さん。


「ちょ、奥沢さん⁉」

「あはっ……やっと捕まえた」


 妖艶な笑みを浮かべ、奥沢さんが身体を傾けて、俺の耳元へ顔を近づけてくる。


「もう逃がさないから」


 そう耳元で囁いてから、俺のズボンに手を掛けてきて――


「お、奥沢さん待って、や、やめて……」


 刹那、ギシギシとベッドが軋み……。


「ぎゃぁぁー!!!!!」


 俺は、奥沢さんという獰猛な肉食獣に食べられてしまうのであった。



 ◇◇◇



 そんな妄想が頭の中に浮かび、背筋にゾクゾクと寒気が走ってしまう。


「お待たせー」


 すると、準備を終えたらしい奥沢さんが、俺の元へとやってきた。

 俺がビクビクしながら、奥沢さんの方を振り返る。

 奥沢さんの手には何やら、細長い棒状のものが握られていた。


「奥沢さん、それは?」

「あぁこれ? 耳かきセットだよ!」


 奥沢さんが手に持っていたのは、綿棒と櫛状の梵天だった。


「えっと……何で?」

「そりゃもちろん、今から雪谷君に耳かきしてあげるからに決まってるじゃん!」

「……はぁ⁉」


 奥沢さんから当然のように放たれた言葉に、俺は驚きの声を上げてしまう。


「お礼ってまさか、俺に耳かきするってことなの?」

「そうだよー。だって、あぁいう音声聞いてるってことは、実際の耳かきも好きなのかなーと思って。もしかして迷惑だった?」

「いやっ、そんなことはないけど……」

「ならよかった。それじゃあほら、こっち来て!」


 奥沢さんは上履きを脱いでベッドの上に上がると、背筋を伸ばして正座した。

 そして、自身の太ももをトントンと叩き、俺を導こうとしてくる。


 ちょっと待って……。 

 俺は、奥沢さんの顔とスカート越しの太ももを交互に見てから、恐る恐る尋ねた。


「えっ……もしかして俺、そこに寝転がるの?」

「うん、そうだよ」

「いやいやいや、いくらお礼とはいえ、流石にそれは出来ないよ!」

「どうして?」

「だってそりゃ……膝枕なんて、カップルがやるようなことでしょ?」


 いきなり膝枕とか、女性経験のない俺のとってはハードルが高すぎる!


「別にカップルじゃなくても、誰かに耳かきする時って、膝枕してやるのが普通じゃない?」

「それは、そうかもしれないけど……」

「私、人に耳かきなんてほとんどしたことないから、下手くそかもしれないけど、精一杯頑張るからさ、雪谷君はお礼だと思って、いっぱい堪能しちゃってよ」


 そんな甘美な言葉を言われてしまったら、俺も男として後戻りすることは出来なかった。

 もしかしたら、二度と女の子に膝枕をしてもらえる機会なんてないかもしれない。

 そう考えたら、俺の心は一気に揺らいでしまった。


「……わ、分かったよ。奥沢さんのお言葉に甘えて、膝枕させていただきます」


 俺は、自身の欲望に抗うことが出来ず、奥沢さんに膝枕して耳かきしてもらうことを選んだ。

 自分の自制心のなさにうんざりしてしまう。


「うん、やっぱそうこなくっちゃ。それじゃあ、こっちにおいでー」

「し、失礼します……」


 俺は上履きを脱いでベッドの上に上がると、そのままゆっくりと奥沢さんの方へと近づいていき、身体を横にして頭を下ろしていく。

 刹那、ポフっと低反発枕のような柔らかい感触が、俺の後頭部全体を包み込む。


「うわっ……すげぇ」


 初めて体験する膝枕の感覚に、俺は思わず自然と声が漏れてしまう。


「ふふっ……どう、私の膝枕は?」

「……正直に言って、最高です」

「あはっ、それならよかった。それじゃあまずは、右耳から耳かきするから、身体を左にゴローンとさせよっか」

「うん、わかった」

「はい、ゴローン」


 奥沢さんは優しく誘うように言葉を掛けてくれる。

 俺は身体の向きを左へと向けて、右耳が上になるように横になった。

 先ほどよりも、奥沢さんの太ももの感触が直に頬へと伝わってくる。

 奥沢さんの太ももは、張りと艶が素晴らしく、ほんのり温かくて心地よい。

 

 これが、女の子の膝枕……!

 想像していたよりも何百倍、何千倍もの破壊力を兼ね備えている。


「用意するから、ちょっと待っててね」


 耳元でそう話しかけられ、俺はコクリと頷いた。

 奥沢さんは耳かきの準備をしている間も、手の空いた片方の手で、俺の頭を優しく撫でてくれている。

 

 ここは天国か?

 いや違う、ここは竜宮城なんだ。

 

 おいTAROU浦島よ。

 真の竜宮城はここにあったぞ。

 

 そんなバカなことを考えてしまうほどに、俺の身体は浸食されていく。

 膝枕だけでもこんなに幸せな気持ちになれるというのに、これに加えて耳かきもセットでついてくるなんて、卒倒してしまわないか心配になってくる。


「お待たせー。それじゃあ早速、右耳から耳かきしていくね」

「う、うん……よろしくお願いします」


 ついに、奥沢さんからのお礼、膝枕耳かきが今始まる!

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