第20話 入道雲

 常灰の森に、日常が帰ってきた。

 レーダとアレックス、魔女のしもべの姉弟は、今日もまた水汲みに精を出していた。

 今日は「百花」の中でもかなり暑い日だ。枯木と枯草ばかりの森が、普段にも増して死んでいるように見える。

 レーダはお嬢様だがなかなかに力持ちだ。よたよたと水桶を運ぶアレックスをよそに、無言でさっさと自分の水桶を運んでいく。いままでと変わらない光景だ。これからはアレックスと仲良くしてくれるという約束だったはずだが、守る気はないのだろうか。

 と、一足先に水桶を置いてきたレーダが、アレックスのほうへ走って引き返してきた。

「貸しなさい」

 アレックスから水桶を受け取ると、残り百歩ほどの距離を代わりに運んでくれる。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 態度はそっけないが、確かに姉は優しくなっている。アレックスから笑みがこぼれた。

「姉さん、僕が大きくなって姉さんより力持ちになったら、姉さんの分まで僕が水汲みするからね!」

「ばかね。そんな年になるまでずっと水汲みをやらされるなんて、わたくしはまっぴらごめんだわ」

 そうは言いつつ、レーダの口元も緩んでいる。

「お帰り、今日も水汲みご苦労だったね!」

 家の中からジークが飛び出してきて、どぼんと水桶に飛び込んだ。頭部の葉っぱが鮮やかな緑色になり、茎がぴんと伸びて紫の花が生き生きと開く。

「ああ、暑い日のは最高だ! ふたりのおかげだよ。ありがとう!」

 ハッハッハ、とジークが陽気に笑う。

「やっぱりかわいいな……」

 レーダがこらえきれずにつぶやいた。

 アレックスは笑顔で空を見上げる。灰色の木立よりずっと高い青い空に、白い雲がもりもりとそびえ立っている――入道雲だ。

 それが雷を呼ぶ雲であることを、アレックスはまだ知らない。


***


 その夜、エーミールが荷馬車にわずかな品物とうれしい報せだけを載せて運んできた。

「レーダとアレックスの指名手配が取り下げになった。街中に貼られてた人相書きを残らず剝がすように、宰相から通達があったそうだ」

 姉弟がゾルマの庇護下にある以上は手出しできない。ヴァルターはそう判断したのだろう。

「フン、分かりゃあいいのさ。私のしもべに手を出そうなんて百年早いんだよ」

 ゾルマが赤い扉から出てきて、みんなと会話する機会も増えた。昼間にたっぷり水分補給して元気いっぱいのジークは、夕食の支度に腕(側根)をふるっている。

「それじゃ、お父様とお母様に会いに行ける?」

「残念だが、それはまだ早すぎると思う。大っぴらに捜索するのをやめたといっても、ゾルマがいなきゃ何をされるか分からん」

 そっかぁ、とアレックスが肩を落とす。

「そういえば宰相閣下は、わたくしには用はないっておっしゃってましたわ。本当の狙いはアレックスだけだったっていうことかしら?」

「どういうこと? 僕が何か悪いことした?」

「そこまでは知らん。ま、もうお前を探さないって言ってるんだから、それでいいんじゃねえのか」

 エーミールは平然と言い切ったが、本当はすでにその理由もつかんでいた。

(アレックスは実は王様の息子で、レーダとは血がつながってないなんて、他人の俺が言うことじゃねえもんな)

 エーミールの情報源である城の召使の中には、アレックスの出生に立ち会った者もいるのだ。このことは、後でゾルマにだけこっそり報告するつもりだ。

「さて、鬱陶しい宰相が片付いたところで、明日からガキどもに新しいしもべの仕事を命じるよ」

 ええっ、と姉弟が揃って不服の声を上げた。水汲みと野草採集だけならともかく、まだ働かされてはくたくたになってしまう。

「人の話を最後まで聞きな。これ以上肉体労働を追加したって、あんたらじゃ使い物にならないだろ。――エーミール」

「はいよ」

 エーミールは荷箱の中から、レーダとアレックスへの「仕事」を取り出した。

 数冊の教科書と、ペンとインクと、白紙が綴られた帳面である。

「仕事って……これは、わたくしたちに勉強をしろ、ということ?」

「ふたりとも世間知らずで馬鹿だから、いまのままじゃあ私のしもべとして役に立ちっこない。基本の読み書きと、簡単な計算と、植物の知識、それから世界の国々のことくらいは理解しておいてもらわないと困るんだよ。その本で足りなくなったら、エーミールに言いな」

 アレックスはまだぽかんとしている。けれどもレーダには、与えられた仕事の価値がよく分かった。

 世間を知れば、ばかでなくなれば、きっと海外へ出られる。特別な魔力がなくても、ひとりで自立できる方法が見つけられるかもしれない。

「あの……ゾルマ、ありがとう!」

「フン、仕事を増やされて感謝するなんて、やっぱりあんたは馬鹿だねえ」

 鶏肉が焼ける香ばしい香りがする。ジークが夕食の完成を宣言すると、姉弟は諸手を挙げて喜んだ。

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