第11話 緑陰

 エーミールは藁を黄金色の小麦に変えて帰っていった。また近いうちに来る、と約束をして。

「ねえエーミール、お父様とお母様に、手紙を届けることはできる? 僕たちは無事だって伝えたいんだ」

 アレックスが訴えたとき、エーミールより先にレーダが「だめ」と言った。

「私たちと連絡を取り合っていると宰相閣下に知れたら、お父様とお母様の立場が危うくなるわ」

「そうだ。賢いな、レーダ」

 頭を撫でようとして、レーダに避けられる。エーミールは苦笑しながらその手でアレックスの肩を叩いた。

(僕はばかだ。自分のことしか考えてなかった)

 去りゆくエーミールの荷馬車を見つめながら、アレックスは密かに唇を噛むのだった。


***


 その頃、レーダとアレックスの父ハインリヒは、幽閉中の身でありながら妻クララとともにエンペリア城の中庭を歩いていた。

 主君でも親友でもあったフランメル王を失ってから、ハインリヒは食事もろくに喉を通らず、目に見えてやつれていた。少しは気分転換でもしてはどうかと、宰相ヴァルターからの温情が下されたのである。ただし、監視の目は遠巻きに光っている。

 ユリ、スイセン、ヒナギク、スミレ、チューリップ、マグノリア――

 エンペリア城の中庭は、王国一の庭園と名高い。まさに季節は「百花」、ありとあらゆる花が咲き誇り、それぞれの美を競っていた。

 しかしいまのハインリヒには、いかなる花の美も響かないようである。彼の心は「灰枯」の色に染まっていた。

「疲れた。休みたい」

 ハインリヒがつぶやいた。ちょうど、目の前のパーゴラの下にベンチがある。フジの花が頭上一面に蔦を這わせて紫の花を垂れているこの場所は、見所の多いこの中庭の中でも有数の名所であった。

 夫妻は並んでベンチに腰掛けた。パーゴラの緑陰は「百花」の太陽からハインリヒを守ってくれる。フランメル王――フランが晴れた日に死んでから、太陽はハインリヒにとって忌々しいものに変わってしまった。

「……ちょうどこの場所だったな。十年前、フランが俺たちに『子どもを預けたい』と持ちかけてきたのは」

「あなた」

 クララが咎めた。監視兵が聞き耳を立てているはずだ。ハインリヒは笑って首を振った。

「構うものか。どうせヴァルターは全部知っている。フランの息子がもうひとりいることを」

 十年前、クララとフランメル王の妃テレーゼは同時期に子どもを授かっていた。普通フリーゼ王国の貴族なら自宅で出産を迎えるものだが、クララの体調が思わしくなかったため、フランメル王の厚意により名医が常駐しているエンペリア城に滞在することを許され、テレーゼ妃とともに出産の日を待つことになった。

 表向きは、クララが元気な男の子を産み、テレーゼ妃の子は死産だったことになっている。

 しかし、本当は逆だったのだ。先に生まれたクララの子は死産だったが、その後間もなくテレーゼは元気な男の子を産んだ。父と同じ黒髪と、青い瞳を持った男の子を。

 フランメル王は、生まれたばかりの息子を親友に譲ることにした。

 偶然、クララも黒髪と青い瞳だった。テレーゼの子をクララの子としても、疑われることはなかった。

 ハインリヒとクララは、男の子をアレックスと名付けた。

「テレーゼ妃殿下は、おぼろげながら未来を予知する力をお持ちだった」

 この国には稀に、不思議な力を持って生まれる人間がいる。テレーゼ妃もそのひとりだった。彼女の血を引くアレックスもまた、他人の傷や病気を癒やす力を持っている。

 テレーゼ妃の予知能力は、あまり強くはなかった。何が起きるか具体的には分からないが、この子を王子として育てればきっと不幸なことになる――妃はそう言っていたそうだ。

 フランメル王には成人したふたりの息子がいたが、父子ともどもヴァルターによって処刑された。ヴァルターは王家の血族を絶やし、将来の憂いを断ちたかったのだろう。

 テレーゼ妃は三年前肺の病にかかり、自分の予感が正しかったことを知ることなくこの世を去った。

「……でも、アレックスも、どこにいるのか分からない。結局俺は、フランも、フランの子も不幸にしてしまった」

「ばかなことを言わないで」

 うなだれて顔を覆ったハインリヒに、クララがぴしゃりと言い放った。

「レーダもアレックスも私の息子よ、誰が何と言おうとね。ヴァルターなんかの好きにさせてたまるものですか! あなた、こんなところでぐずぐず弱音を吐いている暇があったら、どうにかあの子たちを守る手立てでも考えてちょうだい」

 妻に肩を激しく揺さぶられ、ハインリヒは苦笑する。気の強いところが、レーダによく似ている。

「君の言う通りだ、クララ。でも、いまの俺たちに何ができる?」

「生きることよ。ちゃんと食事をして、ちゃんと眠るの。どんなに『灰枯』が長くても、『百花』は必ず巡ってくる、でしょ?」

 この国で昔から言われていることわざだ。

 肩を叩いて夫を立たせる。クララはアレックスと同じ色の瞳でハインリヒを見つめた。

「一緒に耐えましょう、ハインツ」

「……うん」

 ハインリヒは頷く。

 八方塞がりなのは、クララとて同じだ。それでも、彼女とともにいられることをハインリヒは心強く感じた。

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