第8話 さらさら

 この家の主、魔女ゾルマは実に謎多き人物である。

 ゾルマがいつ起きていつ寝ているのか、レーダは知らない。いつも赤い扉の部屋に閉じこもっているからだ。部屋から出てくるのは、姉弟に命令するときと、昼と夜にジークが作った食事を取りに来るときだけだ。

 ゾルマが現れると変な臭いがする。薬草と古い布の臭いがまざったような臭いだ。

 体臭ではないだろう。体臭とは、生命活動によって生じる臭いだ。けれどもゾルマからは生命が感じられない。常灰の森の植物たちのように、彼女も生きながら枯れているのかもしれない。

 レーダに分かるのは、ゾルマが不思議な魔力を持っているということだけだ。彼女が姉弟に命じて特定の野草を摘ませるとき、その野草だけが「百花」の状態、つまり生きている状態に変化している。あれはゾルマの魔力に違いない。

 それに、呪い。

 初めてゾルマの瞳を見たとき、レーダは自分の頭の中に何かが入り込むような不快さを覚えた。いま思えば、あれが「しもべの呪い」だったのだろう。あのとき以来、ゾルマの命令には逆らえなくなってしまった。

 いまのところは、水と食糧となる野草の調達くらいしか命じられていない。レーダもしもべの仕事に慣れてきた。アレックスに至ってはすっかり油断して、この森での生活を楽しみはじめているようだ。が、しもべとしての生活に適応するのと、楽しむのとは似ているようで全然違う。

 レーダは少しもゾルマに気を許してはいない。このままおとなしくしもべでいるつもりなど、さらさらないのだ。

(どうにか呪いを解く方法はないかしら?)

 それを見つけるためには、まずゾルマのことをもっと知らなければならない。

「ねえ、ジーク。ゾルマのことを教えてくださらない?」

 手始めに、レーダはジークに聞き込みすることにした。

 ジークはお湯を沸かしている最中だった。今日の夕食には何らかのスープが出るらしい。ちなみにアレックスは、昨日夜更かししてしまったらしくソファで居眠りしている。

「呪いを解く方法なら、私も知らないぞ。ハッハッハ」

 いきなり核心をつかれた。が、レーダは怯まない。

「ジークもゾルマに呪われていらっしゃるのよね?」

「そうだよ。でもゾルマのそばを離れたいとは思わないな。私は少しばかり、彼女と長く一緒に居すぎたようだ」

「『長く』って、どのくらいですの?」

「そうだな、私がゾルマに引っこ抜かれたときからずっとだから、ざっと百年くらいかな」

「そんなに!? それじゃあ、ジークも百歳くらいなんですの!?」

「驚いたかい? ハッハッハ」

 ジークが高らかに笑った。

 いや、喋れて歩けて料理もできる人智を超えた根っこはともかく、百年以上も生きられる人間がいるなんて驚きだ。この国では、七十年も生きればじゅうぶん長生きなのに。

「百年前も、ゾルマはいまみたいなお婆さんでしたの?」

「いいや、君よりは少し年上のお嬢さんだったよ。まあ私にとっては、いまでもゾルマはお嬢さんだがね」

「ゾルマはどうしてあなたを引っこ抜こうと思ったのかしら?」

 マンドラゴラは不治の病すら治してしまう薬効を持ち、それゆえ高く売れる。しかし、引き抜こうとすると人間を絶命させるほどの悲鳴を上げるので非常に危険だという。

 お金が欲しかったのか、それとも治したい病があったのか、それとも――

「しもべのくせに、くだらない詮索をするんじゃないよ」

 その姿を見るより先に、臭いでゾルマの出現が分かった。

「魔女ゾルマがしもべレーダに命ずる。夕食時まで、そのおしゃべりな口を閉じな」

 レーダは慌てて口を手で覆ったが、無駄だった。上と下の唇がくっついて、まるで縫いつけられたかのように開かない。

「んんんぁー!(ひどいわ!)」

 抗議はただのうめき声にしかならない。

「フン、夕食抜きにしなかっただけありがたいと思いな。ジークも余計なことを喋るんじゃないよ。さもなくばすりおろしマンドラゴラにしてやるからね」

「おっと、それはぞっとしないな。ハッハッハ」

 ジークは愉快そうに笑っているが、レーダは不愉快極まりない。

「んっんんんんんぇ、んーんんっんんんんんんぁ!」

(絶対呪いを解いて、自由になってやるんだから!)

 居眠りしているアレックスが、むにゃむにゃと寝言を言った。

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