第26話 生き返らせたい人
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お金持ちの子どもとして人間世界に産まれた水無月優雨は、いわゆるお嬢様だった。母親からは優しい子になるように、父親からは正しい人になるようにと、周りより少し厳しい教育を受けて育った。
勉強、ピアノ、水泳。幼稚園に入園する頃からそれらを両立させながら友達と遊ぶ優雨は、忙しい毎日に特に不満を持つことはなかった。特に勉強に関しては、小学校に入る頃には簡単な計算くらいはできるようになっていた。
そんな優雨がその子と出会ったのは小学二年生の秋だった。
「新しくこの学校にきた
難聴の男の子。最初は誰もが興味津々だった。だが話しかけても喋れない唯人はいつもおどおどしていて、次第に周りは腫れ物扱いするように避けていった。優雨も自分から話しかけるようなタイプではなかったため、唯人とのかかわりはなかった。
転機が訪れたのは小二の冬。下校していた優雨は教室に忘れ物をしたことに気づき、慌てて取りに戻った。すると誰もいない教室で一人、うろうろしている男の子がいた。唯人だった。
「何してるのー?」
教室の入り口から声をかけるが唯人は反応を示さない。難聴だったことを思い出し、近づいて優しく肩を叩く。振り向いたところで口を大きくゆっくりと動かし、もう一度尋ねた。
「なにしてるの?」
しばらく固まっていた唯人は、自分の机の上に置いていた小さいホワイトボードに文字を書いて優雨に見せてきた。
『ばっち、おとした』
「どんなの?」
今度はイラストを描いて見せてきた。ぐしゃぐしゃだが、とげとげしているのでなんとなくウニのような形に見える気がする。そう思った優雨は一緒に探すことにした。
しゃがんで机や椅子の下をくまなく探していると、ロッカーの影に小さく光る何かを見つけた。手に取ってみると星形のバッジだった。直径三センチほどの大きさで、つるつるとした表面には『ゆいと』と書かれている。
「あった! あったよ!」
喜びながら見せると、唯人はきらきらした笑顔でそれを受け取った。握りしめ、何度も撫でる。その様子に優雨はふふっと笑った。
「そんなにだいじなんだね、それ」
星形のバッジをポケットに入れると、もう一度笑顔を見せた。
「あいあと!」
唯人が言葉を発したことに驚き固まっていると、唯人も慌てて自分の口を塞ぐ。恥ずかしそうに顔を赤らめる唯人に、優雨は微笑みかけた。
「どういたしまして」
それからたびたび優雨は唯人と話すようになった。登下校でしばしば見かけることもあったため、恐らく家の方向も一緒なのだと思われた。
クラスのみんなといる時は全くと言っていいほど喋らない唯人は、優雨の前では割と喋っている。喋るといっても「ん」とか「あー」とか、お世辞にもうまく喋れているとは言えない。それでも身振り手振りで必死に伝えようとする姿が微笑ましく、優雨は唯人と話しているのが楽しかった。
話すのは基本放課後、誰もいない教室で二人きり。うまく伝わらない時に黒板で筆談ができるからだ。
唯人はよく本を持ち歩いていた。
「なんのほん?」
「おほちたま」
唯人が目をきらきらさせながら見せてきたのは、宇宙の図鑑だった。星や惑星のことがたくさん書かれている。ページをいくつかめくって指をさした。
「おつきたま」
「つき、だね。ゆいとくんは、つきがすきなの?」
唯人は首がちぎれるぐらい頷いた。黒板の前までくると迷うことなくチョークを滑らせていく。
「うつーひこーしなって、つきいきたい!」
黄色いチョークでぐりぐりと塗りつぶされたのが月で、白いチョークでぐりぐりと塗りつぶされたのが地球。その真ん中にあるのは三角と四角で書かれたロケットだ。優雨が赤いチョークで書き足していく。
「地球から月までの距離はおよそ三十八万四千キロメートル。移動時間はおよそ百二時間」
「とーいね」
「うん、とおい」
チョークを置くと手を叩き、粉を落とす。
「もしもさ、ゆいとくんがつきにいったら」
唯人と正対し、はにかむ。唯人から見える窓にはちょうど夕日が落ちていき、唯人の頬をオレンジ色に染める。
「つきのいし、ちょーだいよ」
「いし?」
「うん。すきなんだ、ほうせきとか、めずらしいもの」
そこまで言ってから優雨ははっと口を閉じ、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「……ミーハーなの、かっこわるい、かな?」
唯人は慌ててかぶりを振った。そして白い粉のついた親指をぐっと立てた。
「いーね!」
学年があがっても二人はいつも一緒だった。優雨と話すことに慣れてきたのか、唯人の感情表現も豊かになっていく。手話も覚え始め、少しずつクラスメイトとも話せるようになってきた。
そして放課後はやっぱり優雨と二人で唯人の大好きな宇宙の話をするのだ。いつか宇宙飛行士になりたいと。きらきらと輝く月に行きたいと。
でも、唯人のその夢は叶わなかった。小学六年の夏、唯人の命は一瞬にして奪われてしまった。
一人で近くの川に遊びに行き、溺れてしまったという。クラスメイトは唯人と深く関わりがなかったため、沈むものはいない。たった一人優雨だけが、心に大きな穴が空いたように深く沈んでしまった。一人の命が奪われたにもかかわらず何事もなくまわるこの世界が、優雨の心を一層締め付ける。
唯人が亡くなってから一週間後、優雨はようやく唯人の家に行くことができた。担任の先生に住所を教えてもらい、一人で唯人の家に行き、震える手でインターホンを鳴らす。しばらくしてゆっくりとドアが開き、唯人の母親と思しき人がでてきた。優雨を見るなり優しい笑みで家の中に入れてくれた。
「お線香、あげてくれる?」
唯人の部屋は綺麗に整理され、仏壇が置かれていた。壁のいたるところに宇宙の絵や写真などが飾られている。
優雨はこみ上げる感情を押し殺し、仏壇の前に座る。線香の独特な匂いが、『死』という事実を連想させる。
「優雨ちゃんの前だけだったのよ、唯人が喋るの」
「え?」
振り返った優雨は母親の顔がやつれていることにようやく気付いた。もう何日もまともに寝れていないのだろう。ずっと泣いていたのか、瞼も微かに赤く腫れていた。
「小学一年の頃に友達に喋り方を馬鹿にされてから、喋らなくなっちゃってね。それで転校したんだけど、最初はすごく嫌そうだったの。でも優雨ちゃんとの話をするときの唯人、すごく楽しそうだった。きっと優雨ちゃんの前でもそうだったのよね。ありがとね」
たまらず優雨が叫んだ。
「何もできなかった! 私には何も……お礼を言われることなんか何も……」
俯き、それっきり口を閉ざしてしまった優雨。母親はゆっくり立ち上がると唯人の机の引き出しを探り始めた。
「本当はね、隠しておこうと思っていたの。優雨ちゃんが自分のこと責めてしまうかもって思って」
引き出しから小さな箱を取り出すと優雨に差し出す。受け取る時にカランと軽いものがぶつかる音がした。
「ずっと唯人が優雨ちゃんに渡そうとしてたものなの。恥ずかしがってなかなか渡せなかったんだけどね。開けてみて」
言われるがまま箱を開けると、色とりどりの綺麗な石がいくつか入っていた。
「優雨ちゃんは石が好きなんだ、っていろいろ集めてたのよ。『ほんとは月の石が欲しいって言ってたけどまだ月に行けないから、綺麗なの集めて渡すんだ』って」
『すきなんだ、ほうせきとか、めずらしいもの』
優雨は自分の言葉を思い出し、目頭が熱くなった。そして母親の言葉から全てを察する。
「これ……もしかして河原で拾ってたんですか……?」
優雨の問いに母親は顔を歪める。何も言わずに俯いてしまった母親を見て、優雨も頭を落とした。
唯人は優雨に石をあげたくて川に行った。そして溺れて亡くなってしまった。それはつまり、優雨のせいで唯人が死んだと同義であると優雨は悟ったのだ。
嗚咽を必死に堪える優雨に母親が慌てて言葉をかける。
「優雨ちゃんは唯人の大切な友達だったのよ。だからあんまり自分を責めないで。唯人も悲しい顔をする優雨ちゃんを望んではいないわ」
箱を持つ優雨の両手を包み優しく声をかける。
「これ優雨ちゃんに全部あげるから、大事に持っておいて」
最後にそう言われた。本当はもっといろんな言葉をかけてもらったのかもしれない。だが優雨はそれ以上の言葉は覚えていなかった。ただ悲しくて寂しくて。それが涙となって溢れ出るが、その心の穴を埋めるものが何もなかったのだ。
ひとしきり泣いた後、優雨は唯人の家を出た。去り際に涙を堪える唯人の母親の姿が見え、優雨の心臓がきゅっと締め付けられる。自責の念が嫌というほど絡みつき、全身を縛り付けていく。
それから優雨は何をやっている時でも上の空だった。教室で授業を受けながらふと窓の外を見る。昼間なのに白い月が見え、唯人の顔がちらついた。
唯人の形見である石が入った箱は自室の机の引き出しにしまい、滅多に開けなくなった。忘れられない、忘れたくないのに、覚えていると胸が締め付けられ苦しくなる。その感覚が嫌で優雨は、唯人の存在を記憶から消すようにより一層勉強に励むようになった。
そんな時だった。小学校からの友達からこんな話を聞いた。
異世界にある
優雨はすぐに食いついた。異世界の情報をかたっぱしから漁り、調べ尽くした。異世界に住むバケモノ、〝
異世界に行くのも相当難しいことだが、帰ってくる方がもっと難しいらしかった。それでも優雨は行きたかった。もう一度彼に会えるのなら、彼の笑顔を見られるのなら。優雨の眼に迷いはなかった。
厳重な警備が敷かれ、正面から異世界に行くことはできない。そこで優雨は別の方法で行くことにした。どうやら稀に異世界へ移動してしまう方法があるらしい。いわゆる異世界転移というやつだ。
優雨は荷物をまとめ、異世界に行く準備をする。引き出しから石の入った箱を一度取り出し、唸りながらまたしまった。もし万が一失くしてしまうことを考えると容易に持っていけなかったのだ。
猫のピンをつけ、気を引き締めると家を飛び出した。
優雨が目指したのは山奥の小さい神社。異世界と繋がっているという噂がある神社だった。祠の前までくると両手を握り合わせ、何度も何度も強く念じる。
異世界に行きたい。異世界に連れて行ってくれ。
だがいつまで経っても異世界に飛ぶことはなかった。五分は経っただろうかというところで優雨は念じるのをやめ、残念そうに肩を落とす。
「やっぱりただの噂ね。ちゃんと正規のルートで行かなきゃだめなのかしら」
そう独り言ち、優雨は踵を返す。その時だった。突然大きな地震が優雨を襲った。
「きゃっ!」
なんとか自分の身を守ろうと頭を抱えてしゃがみこむ優雨。そのそばでみしみしという音がした。
「うそ……」
三メートルはあるであろう大木が優雨めがけて倒れてきていた。優雨は足がすくみ逃げられない。体は動かずとも脳は必死にまわる。
助けて、いやだ、死にたくない。誰か……。
「助けて!!」
――パキッ
ガラスがひび割れたような音が聞こえた気がした。目の前に広がる光景に優雨は思わず息をのむ。世界がボロボロと壊れていく。壊れた欠片一つ一つが小さな光になり、集まることで大きな光になっていく。その光にだんだんと包まれていき、そして――
気が付くと優雨は森の中にいた。一瞬で知らない景色に変わり、驚きながら優雨は歩みを進める。ひらけたところに出た時、優雨は確信した。見たことない景色、見たことない力。よく見れば犬耳や猫耳を生やしたヒトもいる。
「ここが、異世界」
それから優雨がルイたちと出会ったのはわずか二時間後だった。
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