第23話 神力・旭日昇天

 一寸先も見えないほどの絶望。荒々しい息を吐く〝地に住まう者ゲーノモス〟を目の前に、ヤコは声も出ないほどに打ちのめされていた。

 脳も体も動かす気力がない。喉に詰まった黒いドロドロとした不快感が消えず、必死に飲み込もうとする。それでも目の前に立ちはだかるこの巨大な壁を打ち壊す方法を考えることすらできないでいた。

 天を覆っていた鈍色の雲が雫を落とし始める。それがヤコを正気に戻した。


『じ、神力・烈火の斬撃!』


 慌てて腕を振るが、威力は弱い。〝地に住まう者ゲーノモス〟の振り下ろしたつるで簡単に消し飛ばされてしまった。

 ヤコの心の中はぐちゃぐちゃだった。カエデとの連携で繰り出した技でも〝地に住まう者ゲーノモス〟の息の根を止めることができなかったこと。ケンシロウに加えてカエデも負傷し、守らなければいけなくなったこと。そしてなによりがそれを見てしまったこと。

 ルイの精神の乱れが、今体を操っているヤコの心を乱す。汗を滴らせながら〝地に住まう者ゲーノモス〟を見据えるが、勝機が見えないことがヤコの心をざわつかせていた。

 大粒の雨で火属性の技は効力が落ちていた。〝地に住まう者ゲーノモス〟の背中についていた火も完全に消火されている。

 ヤコが使える技は火属性だけではない。だが〝地に住まう者ゲーノモス〟との相性を考えれば火属性が封じられたことはかなりの痛手だった。

 ヤコは静かに深呼吸をし、冷えた頭で考える。負傷した二人を守り、このバケモノを倒す方法を。


「みんなの力を借りよう」


 提案したのはルイだった。精神世界の奥深くで沈みながら呟いた言葉にヤコが反応する。


『オマエ、本気で言ってるのか? こんなボロボロの体でやったらただじゃ……』

「俺は平気だ。神様たちとの連携はどれくらいかかる?」


 神の力を借りるということは、当然また前のように副作用が伴う。しかも今回は複数の神の力を借りようという話だ。副作用は今までの比ではないだろう。それを今の体で受け止められるとは到底思えなかった。

 だがヤコにはこれ以上止める義理はない。〝地に住まう者ゲーノモス〟のつるを華麗に避けながら、ヤコとルイは作戦を練り始めた。


『早くても十分はかかる見込みだ。こやつを倒すためにはそれなりの柱数が必要だからな。その間、オマエだけで対処しなきゃいけない。それはできるのか?』


 ルイは拳を握りしめ、鋭い眼差しでヤコを見つめる。


「みんなを守れるのなら、痛くも痒くもない」


 ルイとヤコの精神はつながっている。それが虚勢で、本当は怯えていることもヤコには伝わっていた。


『どうなっても知らないぞ』


 怒り混じりに吐き捨てると、ルイを精神世界から体へと引き戻した。そしてそのままルイの体から抜けると、胸をおさえ咳き込むルイに叫ぶ。


「なるべく早く戻ってやる! それまで死ぬんじゃないぞ!」


 くるくると揺らめく尻尾を見つめながら、ルイは腰につけていた日本刀を引き抜く。


「任せろ!」


 〝地に住まう者ゲーノモス〟は頭部から出血している。間違いなくダメージは蓄積されているはずだ。

 しゃらんと鈴の音が鳴り響く。ルイはぐっと腰を落とすと、真っ直ぐ〝地に住まう者ゲーノモス〟の方に向かって走り出した。

 神の森に立つ木々たちが揺れ、淡く緑色に光り始めた。とても幻想的なそれはそこに住む神たちが起こしている出来事に他ならない。

 神の森の中央付近で少年の神様がほくそ笑む。


「ルイ君自ら望むか。ならばその願い、聞き届けてやる」


 刃のない刀を取り出すと立派な刃を生成し、地面に深く突き立てる。シャン、という音とともに周りが一斉に黄色に光った。


 〝地に住まう者ゲーノモス〟の振り下ろしたつるを刀で切り裂いていくルイ。そして深手を負っている〝地に住まう者ゲーノモス〟の脳天をえぐった。痛みのあまり〝地に住まう者ゲーノモス〟は暴れ出す。

 叫びながらつるで周りの木々を薙ぎ倒していく。負傷した二人が巻き込まれないように、ルイは必死に誘導していった。

 空から降り注ぐ雨粒がルイの体温をどんどん奪っていく。息も絶え絶えの中でルイは、遠くの方に希望の光を見つけた。あちこちから生まれた幾つもの光が一点に集中している。光の中心にいるのはヤコだった。たくさんの神たちからもらった力を蓄えている。

 もうすぐだ。ルイは強く地を蹴り〝地に住まう者ゲーノモス〟との距離を詰め、足元にまわるとそのまま腹を切り裂いた。うまく力が入らず深くは刺さらなかったものの、余裕のない〝地に住まう者ゲーノモス〟にとってはそれすらも目障りのようだった。

 雄たけびをあげながらルイを潰そうと地面を踏み鳴らす。ルイは避けながら準備が整うのを待った。

 雨足が強まってきた頃、待ち望んだ声がルイの耳朶に響いた。


「ルイ!」


 たった二文字。自分の名前を呼ばれただけ。それでも小さな勇者の気持ちを高ぶらせるにはじゅうぶんだった。

 〝地に住まう者ゲーノモス〟を切りつけながらルイは高く飛んだ。最高到達点に達した頃、あたかも浮遊しているかのように錯覚させる。そこに光をじゅうぶんに纏ったヤコが猛進してきた。すぅっと体に溶け込むと、ルイの瞳が黄金色に光る。大きく体を反らせ、刀を持つ手に力を込めた。


『グルガァァァァ!』


 危険を察知した〝地に住まう者ゲーノモス〟がかつてないほどの雄たけびをあげながら背中の木を一気に成長させ、身を守ろうとする。

 今まで攻撃しかしてこなかったバケモノがこの土壇場で防御に徹したことに、ヤコは慌てて叫ぶ。


『だめだルイ! これじゃあヤツには通らない!』


 だがルイはもうすでに攻撃体勢に入ってしまっている。戻ることはできない。


『グガッ!?』


 突然〝地に住まう者ゲーノモス〟が奇妙な叫びをあげた。全身を震わせ、成長させたはずの木々たちは弱々しく枯れ果てている。

 直線距離二百メートルほどのところに倒れているカエデとケンシロウが、〝地に住まう者ゲーノモス〟に手を向けている。ケンシロウは背中の木々から養分を取り、自分の傍にある木に送ることで〝地に住まう者ゲーノモス〟を弱らせていた。カエデもまた、わずかに残った妖力を使い〝地に住まう者ゲーノモス〟を痺れされ、動きを封じていた。

 二人が切り拓いた道をルイは迷いなく突き進む。


「神力・旭日昇天きょくじつしょうてん


 黄金色に輝いた日本刀が〝地に住まう者ゲーノモス〟の脳天を貫く。ぐしゅりという音とともに血しぶきが舞う。その勢いは凄まじく周辺の地面は大きくへこみ、雨を降らせていた雲を真っ二つに切り裂いた。

 ルイは風圧で浮きそうになる体を必死に制御し地面に降りた。


『カッ……ガッ……』


 抵抗するかのように口をわずかに動かし、目の前のルイを咥えようと首を伸ばす。だがそれは叶わず、〝地に住まう者ゲーノモス〟は地面に倒れた。黒い目から光が失われ、絶命したことを知らせる。


『やった……のか……』


 未だ半信半疑で〝地に住まう者ゲーノモス〟の様子を伺うヤコ。ルイは無言で日本刀を鞘に納める。なんとか動けるようになったカエデがゆっくりと立ち上がり、〝地に住まう者ゲーノモス〟の死を確認した。


「大丈夫、もう息してないわ。良かった……勝ったのね。やるじゃない、ルイ」


 安堵が涙となって零れ落ちる。勇者であるルイに目を向けた瞬間、ルイの体がぐらりと大きく揺れた。


「ルイ……?」


 カエデが抱きかかえる余地もなく、ルイはその場に倒れた。慌てて顔を覗き込むとまるで眠っているように表情が固まっていた。少し空いた口から息は出ていない。胸部も上下しておらず、首や手首を触ってみても脈は感じられない。


「ルイ! ルイ!」


 カエデがどれだけゆすっても、ルイが起きる気配はなかった。事態に気づいたケンシロウも痛みを堪えながら立ち上がり、駆け寄る。

 遠くから様子を見ていた少年の神様は、全く動かないルイに冷徹な笑みを向けた。


「あーあ、

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