第22話 一瞬の勝利

 ヤコとルイはどちらかと言えば仲が悪い。少なくともヤコはルイのことを見下しているし、ルイはヤコのことを小うるさい親のように思っている。そんな二人だが、信頼は確かにあった。

 ルイはあまりヤコの力を使いたがらない。理由はいくつかあるが、この力を公にしたくない、というのが一番とも言える。ヤコの力はそれほど強力だからだ。

 そんなルイがヤコの力を解放する時は決まって『誰かが身の危険にさらされている時』だった。

 ルイは他人の死をよく嫌う。無論、他人の死を喜ぶ者などそういないが、ルイは余計に怖がっていた。

 ルイの意識が薄れれば薄れるほど、ヤコの力は強くなっていく。それはルイがヤコの力を制御しているとも言えるだろう。

 だがケンシロウが負傷し、命を奪われかけた今、ヤコの力を制御している場合ではなかった。ヤコはルイの意識を精神世界の奥深くへと沈めていく。ルイを守り、みんなを救うために――


 ルイの体を乗っ取ったヤコが右手に持った刀を振り上げた瞬間、〝地に住まう者ゲーノモス〟が呻きをあげた。突風が斬撃となって襲い、背中に生えていた草木を落とす。全身に切り傷をつけるが、まだ倒れるまでにはいかなかった。


『やはり武器を使っての攻撃は慣れんな。素手でいくか』


 日本刀を鞘に納めると、右手を〝地に住まう者ゲーノモス〟の前に突き出した。親指と中指をくっつけデコピンの形を作ると、それを空に向かって弾く。指と〝地に住まう者ゲーノモス〟は離れているにもかかわらず、まるで空気砲のように〝地に住まう者ゲーノモス〟に直撃した。

 連続で攻撃を受けた〝地に住まう者ゲーノモス〟は徐々に怒りを溜めていく。そして雄たけびとともにそれを吐き出した。


『グオォォォォ!!』


 背中の森から巨大なつるを伸ばし、叩き潰そうとする。目的はヤコではなくケンシロウだった。


『しまった!』


 完全に意識から抜けていたヤコは慌ててケンシロウを助けようと手を伸ばす。


 一方森の入り口に向かっていたカエデとユウは〝地に住まう者ゲーノモス〟の叫びで立ち止まった。ここからでも〝地に住まう者ゲーノモス〟の動きはよく見える。巨大なつるを地面に打ちつけている様子が。

 二人の危機を感じ取ったカエデは助けに行こうと考えた。


「ユウちゃんはここにいて。うちはルイたちの手助けをしてくるわ」


 ここまで来ればユウを一人にしても安心であろうと結論を出したカエデは、荷物をユウに預けバケモノのいる方に走り出した。


「絶対そこから動いちゃだめだからね!」


 森の奥にカエデが消えたのを確認すると、ユウは遠くにいる〝地に住まう者ゲーノモス〟を見つめる。斬撃でだいぶすっきりとした背中の森の中にきらりと輝く青緑色。ユウの瞳もきらりと輝く。そして小さく呟いた。


生命石ヴァイタラピス



 間一髪ケンシロウを助けたヤコは動けない彼を背負い、〝地に住まう者ゲーノモス〟の死角に逃げる。様子を伺うために上を見上げれば鈍色の雲が空を覆っているのが見えた。雨に降られたら面倒だ、などと思っていると〝地に住まう者ゲーノモス〟が近くの木をなぎ倒し始めた。巻き添えを食らわぬよう、急いでその場から離れる。


『ワタシ一人ならどうとでもなるのに……! おい、いい加減動け! この小童が!』


 ヤコの背中でケンシロウがか弱い息を吐く。


「そうしたいのは、やまやまッスけど……。悔しいことに体が思うように動かないんス……」

『くそぉ、脳の神経でもやられたか? まったく』


 背負ったままただ逃げ回るわけにもいかない。どこかにケンシロウを置いておきたいヤコだったが、このバケモノまるで隙がない。どれだけ死角に逃げてもすぐに見つけては追いかけてきた。このままでは〝地に住まう者ゲーノモス〟に捕まるのも時間の問題だ。


『ケン、おも……ってか、ルイの体が貧弱なのだ! このもやしっこが!』


 息があがり体力も底を尽き始めたヤコは足がもつれ、バランスを崩して倒れた。ケンシロウの下敷きになって身動きのとれなくなったヤコは死を覚悟する。

 〝地に住まう者ゲーノモス〟が前足を振り上げた刹那、天から一筋の光が〝地に住まう者ゲーノモス〟を貫いた。何が起きたのか理解できずにいると、動きを止める〝地に住まう者ゲーノモス〟の脇を抜けて、カエデが走ってきた。


「ルイ、大丈夫!?」

『半妖! オマエは遠距離からの攻撃だろう!』


 声も姿もルイと同じ。だがいつもとどこか違う雰囲気のルイを訝しみ、カエデは足を止める。


「は、はんよう? ルイ……や、てか、誰……?」


 カエデはヤコのことを知らない。だが説明している時間も余裕もなかった。止まっていた〝地に住まう者ゲーノモス〟がゆっくりと動きだしたことに気づき、ヤコは起き上がる。


『話はあとだ。こやつを倒すぞ!』


 カエデが振り向けば〝地に住まう者ゲーノモス〟の口はもう目の前に迫っていた。


閃光の槍フラッシュスピア!」


 咄嗟に槍を放つが威力が足りず、足止めさえできない。食べられそうになるのを間一髪避けたカエデはそのままヤコの背中にまわる。


「ムリムリ! こんなの倒せるわけない!」

『弱音を吐くな! 優勝者チャンピオンだろう!』

優勝者チャンピオンだからって無敵なわけじゃないんだから!」


 そんな軽口をたたき合っている場合ではない。敵はまだ目の前にいるのだから。


『とりあえずヤツをひるませるために最大火力で技を打て! なんでもいい! 少しでも隙ができればあとはワタシがやる!』


 言われるがまま、カエデは技を打つためのモーションに入った。両手を前に広げ、力強く詠唱する。


破裂する雷光ライトニングバーストッ!」


 轟音とともに雷が落ちた。途端に悲鳴をあげる〝地に住まう者ゲーノモス〟。直撃したことで背中の森の火がつき、どんどんと木々が焼けていく。体を震わせ一生懸命火を消そうと試みていた。

 一瞬の隙をついてヤコが動く。力強く地面を蹴りあげると、刀を持つように両拳を握り合わせる。


『宝刀・鏡花水月』


 詠唱とともに乳白色に光る刀が現れ、全身全霊をこめて振り下ろす。


ざんッ!!』


 〝地に住まう者ゲーノモス〟の脳天に綺麗に突き刺さる刀。


『グガァァァァ!!』


 けたたましい叫びをあげながら〝地に住まう者ゲーノモス〟は遂に倒れた。

 ヤコの手にあった刀もすぐに消え、ヤコは〝地に住まう者ゲーノモス〟から離れる。ぴくりとも動かない〝地に住まう者ゲーノモス〟を見てカエデは勝利を実感した。


「やったぁ!」


 こんな大きさのバケモノを倒せたのか、と穴があくほど見つめている。そして得意げに鼻を鳴らすのだった。

 子どものようにはしゃぐカエデとは裏腹にヤコは静かに喜んでいた。バケモノを倒せたことにではなく、死者が出なかったことにだ。


『ルイ、勝ったぞ。誰一人命を落とすことなく、な』


 精神世界に沈んでいたルイはゆっくりと目を開ける。まだ体を入れ替わることはできないが、精神世界から外の様子を伺う。

 夢現なルイを気遣いながら負傷したケンシロウの元へと駆け寄るヤコ。

 その時だった。突然ヤコの脇を抜け、カエデが吹き飛んできた。木の幹に強く体を打ちつけられ、あまりの痛みにカエデは声も出せずただ体を震わす。


『半妖!』


 何度か咳をするたびに吐血している。強く打ちつけられた頭からはとめどなく血が流れ出ている。カエデを吹き飛ばした犯人の方を向き、ヤコは青ざめた。


『なんで……』


 確かに脳天を貫いた。ぴくりともしなかったはずだ。それなのに……。



 〝地に住まう者ゲーノモス〟は再び彼らの目の前に立ちふさがった。

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