第12話 悪意は移る
翌日も30分早く家を出る。
家を出る時にお母さんが、「なんでこんなに早く行くの?」と訊いてきたけれど、曖昧に応えて玄関を出た。
昇降口から下駄箱に向かい上履きを取ろうとして違和感を感じた。
なんか少し重い?
何か入れられただろうかと中を見てみるも何もない。首を傾げながら上履きに足を入れて違和感の正体に気付く。
中敷きが濡れているのだ。
なんで濡れてるの?
一瞬考えて、すぐに腑に落ちる。濡らされたのだ。上履きを手に取り臭いを嗅いでみる。特に臭いはしない。水なのだろう。
登校してきた別の生徒が怪訝そうに私を見ている。
あ、そうか。自分の上履きの臭いを嗅いでいたら変な人だよね。
慌てて床に置き、何食わぬ顔で上履きを履く。ジュワっと水分が染み出し靴下を濡らした。小さな悪意はどんどん形となって攻撃してくる。背中を冷たい物が伝い心臓に棘が何本も刺さったような痛みと共に恐怖を感じた。
不安を募らせ教室へ向かおうとして足を止める。ひとみちゃんの上履きは大丈夫だろうか。ひとみちゃんの下駄箱を開けて上履きを取り出し中を調べてみる。彼女の上履きは無事の様だ。ひとまず安心してあらためて教室へ向かった。
教室へ入ると昨日と同じように清香ちゃんら3人が窓際にたむろしていた。彼女らは教室に入って来た私に気付くと、昨日とは違い厭らしく口角を上げた。
やっぱり清香ちゃん達だ。
ぎゅっと口を結びひとみちゃんの机に向かう。
はたしてそこには、やっぱり昨日と同じように落書きがされていた。
――コジキ――
――乞食――
今日も二つだ。次に自分の机を見る。
――デブ――
――ダルマ――
こっちも二つ。
私は黙って消しゴムを出すとひとみちゃんの机の落書きを消し始めた。
結局落書きを消し終えたのはやっぱりひとみちゃんが登校してくる直前で、自分の机の落書きは消す時間がなくて。
登校してきたひとみちゃんは真っすぐに私の机に向かって歩いてくると机の落書きを見る。彼女の表情に恐怖の色が浮かぶ。私がイジメられていると確実に認識したのだろう。ひとみちゃんは挨拶をすることも無く肩を落として自分の席に座った。
その日のお昼。いつものようにひとみちゃんの前の席に座ろうとすると、
「ご、ごめん、今日は一人で食べるから」
そう言ってお弁当袋を手に持って廊下に出て行ってしまった。
え? あっけにとられて固まっていると教室の前方からクスクスという忍び笑いが聞こえる。そちらを見ると清香ちゃん達3人がこちらを厭らしい顔で見ていた。もう敵意を隠そうともしなくなっている。
始まったのだ。あらためてそう確信した。何が彼女達をそうさせたのだろう。ひとみちゃんを庇ったからだろうか。元々私が気に入らなかった清香ちゃんがターゲットをすぐに私に移す事くらい容易に理解できる。
仕方なく自分の席に着きお弁当を広げる。一人で食べる食事は味がしなかった。
放課後になり、また一人残って自分の机の落書きを消す。薄暗くなった教室で一人机の上を擦っているとポタっと水滴が落ちる。ズズっと鼻水を啜りながらひたすらに机の落書きを消した。
さらに翌日のお昼。恐る恐るひとみちゃんの机に向かおうとすると、
「ひとみー、コッチで一緒に食べよう」と声がする。視線を向けると清香ちゃんがひとみちゃんに向かって手招きをしていた。
「う、うん……」
ひとみちゃんはそう返事をすると私を見る事無く3人の方へ歩いて行った。
「うわ、ひとみぃ、それだけで足りるの? あたしのおかずも食べなよ」
そんな清香ちゃんの声を遠くに聞きながらお弁当袋を持って教室を後にした。
一人トボトボと歩いてシュウカイドウのある花壇へ向かう。シュウカイドウの花壇は一番奥にあるからか他にお弁当を食べている人はいなかった。花壇のベンチに座りお弁当を広げる。ひとみちゃんの為に多めに作ってきたおかずは全て無駄になりそう。
持ってきたお弁当の3分の1も食べられずお弁当箱をしまう。溜め息を零すと涙が出てきた。
きっと……イジメられている私といると自分もイジメられると思ったのかも知れない。
そっかぁ……
確かに初めはひとみちゃんに向けられた悪意だったけれど、私に移ってひとみちゃんがイジメられないのならそれで良いのかも知れない。太っているのは自分の努力不足。だけど、ひとみちゃんの家庭環境は努力ではどうにもならないものだもん。それをイジメのネタにするのは絶対に許せない。
だったらこれで良い。
ひとみちゃんさえ悲しまなければそれで良い。
シュウカイドウの蕾は相変わらず私の様に下を向いていた。
放課後。誰もいなくなった教室でまた自分の机の落書きを消している。先生に見つかる訳にはいかない。問題になればお母さんに知られてしまう。
イジメは表面化しない。イジメられている本人がそれを隠しちゃうからだ。
一心不乱に落書きを消していると人の気配を感じた。振り向くと目を点にした宮田君が立っていた。
――ああいう子ほど優しくすると簡単に股を開くんだよ――
以前聞いた宮田君の本音を思い出し警戒するように少し身を引く。だけど彼の表情からはそんな邪は色は見えない。
「館山さん、こんな時間まで何してるの?」
そう言いながら宮田君は私の方に歩いてくる。私はすぐにリュックを落書きの上に置いたけれど間一髪間に合わず落書きを宮田君に見られてしまう。私は口を真一文字に結んで俯いた。
「これ……」
宮田君は落書きを手でなぞりながら私の顔を覗き込む。
「だれが?」
私は首を横に振る。
「先生に報告しよう」
私は今度は全力で首を横に振る。こんなの先生に知られたら絶対にお母さんに連絡が行くに決まっている。
「でも、報告しないと!」
そういう宮田君を私はキっと睨むと、リュックを片手に教室を飛び出した。
きっと宮田君は本当に心配して言ってくれたんだ。彼の本音は意図せずに聞いてしまったけれど、そんな事はもうどうでも良くて。私は彼の優しさを踏みにじったのかも知れない。
心の中に宮田君の優しさの花が咲いていた。だけど何故か痛んだのは踏みつけた私の足の方だった。
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