第13話 幼馴染はかくあるべき



 夢を見ていた。子供の頃の夢。


 あれは小学校の3年生か4年生か……。


 寒い小雨の降る冬の日。


 


 学校の帰り道。いつもはもう少し騒がしいはずの通学路も、蕭々と小雨が降るせいかシンと静まり返っていて、車の音も、傘に落ちて来る雨音も聞こえない。いつものように一人でトボトボと歩き、家まであと数メートルの所だった。どこからかネコの鳴き声が聞こえた。立ち止まり辺りを見渡す。いない。だけど声は聴こえる。どこだろうと声のする方へ歩くと、どうやら路上に駐車してある車の下から聞こえるようだ。しゃがんで覗き込むと白地にグレーのぶちのネコが震えながら雨宿りをしていた。


 おいで。そう言って手を伸ばす。ネコは躊躇うことも無く近寄って来るとグルグルと喉を鳴らして私の手に頬を擦りつけて来る。両手で首から背中にかけて撫でてやる。かじかんでいたいた私の掌に温もりが伝わる。


 温かい……。


 お腹空いているのかな? 


 待ってて。そう言って家に飛び込むとお母さんに煮干しと鰹節を貰う。急いでネコの元へ戻り、一緒に持ってきた小皿に煮干しと鰹節を乗せてやる。ネコは喜んでそれらを食べ始める。その間私は自分の掌を温めるように、ネコも温まるように、両手でネコの背中を包んでやった。


 小皿の煮干しと鰹節を食べ終わると一度だけ私の手の甲に頬ずりをして再び奥へと行ってしまった。


 なんだ、ご飯さえ貰えたら私は用済みなんだ。


 私に懐いていたのはお腹が空いていただけで、お腹が満たされれば私は用無しなのだ。


 多くの優しさにはタネも仕掛けもある。


 ご飯を貰った事も、掌で温めて貰った事も、一度だけの頬ずりで贖い去ってしまう。少し寂しく思いながらも、ネコの優しさが嘘でも幻でも無かった事と思い直す。


 だって、私の掌には、まだネコの温もりが残っていたから。



 *



 目を覚まして掌を頬に寄せる。スマホのアラームを解除しベッドから出てカーテンを開ける。いつもの癖で目を細めるけれど朝日が瞳を刺激する事は無く、代わりに視界に入るのはねずみ色の空と空気を切り裂く様に流れる雨筋。


 一つ溜め息を零すけれど、その溜め息がどのような心模様から零れた物なのかは良く判らない。




 メーカーのマークの部分だけが黒色で着色された白地のスニーカーを履き、地味な紺色の傘を持ち、お母さんに行ってきますと告げて玄関を出る。もう一度出所不明の溜め息を一つ零し歩き出す。


 玄関の門を出て住宅3軒分ほど歩いた所で、そのお宅の玄関が開き一人の男子高校生が顔を出す。かつてヒロちゃんと呼んでいた子。当然今も弘人ひろとと言う名前だけれど、もうお互い名前を呼び合う事も、挨拶を交わす事もない。



 ――すみちゃん、遊びにきたよ!―― (私の名前は佳澄かすみなのだけど)


 私の家の玄関の前で得意げな顔をして私を誘いに来てくれた男の子はもういない。


 ――美味しそう。早く食べたいなあ――


 胸の前で拳を握りながらお母さん役の私が準備するお菓子に目を輝かせる息子役のヒロちゃん。


 今思うと、彼は男の子なのだから、息子役も何もないのだけれど。どうして旦那さん役ではなく息子役だったのかは今でも分からない。


 ある春の夕暮れ。黄砂で霞む空。オレンジ色の地平線にぽっかりと浮かぶピンク色の太陽。それを背にジャングルジムの一番上に二人並んで腰掛けていた。地面には長く伸びるジャングルジムと私達の影。目の前にある大きな木に向かってヒロちゃんが自分の帽子を投げた。それはフリスピーの様に回転しながら真っすぐ木に向かって飛んで行き、葉を纏った枝の中に消えて行く。だけど帽子は枝に引っ掛かる事無くストンと地面に落ちた。それを見て2人して笑った。


 夕暮れの空に浮かぶ飛行機。それから伸びる飛行機雲がオレンジに染まりとても綺麗だった。「彗星みたいだね」と2人して感動した。


 私がフル活用している小説投稿サイトにも幼馴染モノの物語が結構ある。それらを読むも、羨ましいのかそうでもないのか、あるあるなのか、ないないなのか良く判らない気持ちになる。物語のような幼馴染の関係もあれば、今の私達のような関係もあるのだろう。

 私が孤立しだした小学生の頃に彼も私と距離を置く様になっていった。孤立している私なんかと仲良くしているとイジメられると思ったのかも知れない。太っている私と幼馴染という事を友達から揶揄われたのかも知れない。ただ単に思春期の男の子特有のものだったのかもしれない。だけど次第に素っ気なくなって行く彼を見て切なくなった。ずっと味方でいてくれると信じていた人が離れて行った。でも、そうした彼を責めるつもりはない。


 昔の様に彼と仲良くしたいかと問われれば、当然仲良くしたいと思う。子供の頃のヒロちゃんとの思い出の背景はいつも明るく太陽が降り注ぎ、眩しい思い出ばかりだ。私もヒロちゃんも輝いていた。温かい思い出。ジャングルジムはまだあの頃の私達を覚えているだろうか。時間を忘れて遊んだ私たちを。太陽がもっと高く眩しく感じた毎日を。本当に楽しかった日々を。


 それでもかつて君が私にくれた優しさは嘘でも幻でもなくて、ちゃんと瞼の裏に残ってるよ。


 あの頃は何も考えずに生きていられて本当に幸せだったな。



 きっと幸せと言うモノは感じるモノでは無くて、思い出すモノなんだろう。あんな日々はもう二度と戻って来ないし、訪れる事もないのだろう。




 お互い気まずそうに目を逸らし何も見なかった事にして日常へ戻る。


 駅に着き電車に乗り込む。私が乗る駅ではまだ乗客も疎らで座ろうと思えば座れるのだけれど、太い女が座っていたら迷惑かなと思い座らない。都心へ近付くほど乗客も増え、学校の最寄り駅辺りになるとギュウギュウになる。


 だけど、痴漢に合う事は無い。誰も触って来ない。私に触りたい人などいないのだろう。




 昇降口で傘に付着した水滴を払い丸めて紐で縛る。傘立てには立てず手に持ったまま下駄箱でやっぱり少し濡れた上履きに履き替え教室へ向かう。傘は自分のロッカーへ仕舞う事にした。イタズラされたら嫌だから。


 教室に入り、ひとみちゃんの机を見る。何も書かれていなくて安心する。今朝再び自分の机に書かれた落書きの上にリュックを置く。


 もう一度溜め息を零した。





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