6-4

 五年ぶりに帰ってきた屋敷は思っていた以上に荒んでいた。あの日、村民が火を放ったから、玄関から左の半分以上が黒く焼けこげ、焼かれた部分の多くは崩れてしまっている。

 ジョセフは玄関から屋敷内に入っていく。それについて行くと、ジョセフはある部屋の扉前で足を止めた。

 父様の書斎だ。この部屋には、危ない魔法が書かれた書物がたくさんあるからと、一度も入れてもらったことがない。

「ジルク様はこの部屋だけには結界を這っておられたのですよ。そこまで強いものではありませんが、魔法のつかえないアンプサイは手出しができませぬ」

 よく見ると部屋の扉は透明な膜が貼られているみたいだった。その膜は光を反射して虹のような色彩をゆらめかしている。

 ジョゼフが扉に手をかけると膜は、泡が弾けるように簡単に消えた。

 中に入ると、ぎっしりと中身が詰め込まれた本棚が所狭しと並んでいた。五年も放置されたせいなのだろう。少し埃っぽい。

 本棚の間を縫ってジョセフは先に進む。ついて歩くと少し広い空間が現れた。正面には大きな机。向きは入り口と対面するように置かれている。こちらから見ると、机の脚は板貼りされて隠されている。正面側の板には透明な結晶体が嵌め込まれていた。

 机の背後には、煉瓦の壁が鎮座している。壁一面が煉瓦というわけではない。普通の壁から出っぱる形で設置されている。その光景はあまりに無意味で不自然だった。まるで張りぼてのようだ。

 ジョセフは机の正面に立つと袖を捲った。

 僕は目を疑った。ジョセフの手首に姉の腕輪と全く同じ腕輪がかけられていたのだ。

「これはジルク様からお預かりしたものです。一族代々受け継いできた魔石の埋められた腕輪。これをここにかざすと」

 がこっと何か仕掛けが動く音がする。連続して動き出し、机の真後ろにある壁の一部が前に迫り出してくる。そしていきなり真ん中が割れた。煉瓦の隙間に床から天井にかけて亀裂が入り、割れた壁は横にずれ動いてく。

 人一人分の隙間が空いた。その奥には、地下に伸びる階段がある。

 これは……。僕が呟くとジョセフは淡々と答える。

「あなたのお父様が残したものですよ。ついてきてください」

 秘密の階段はやけにひんやりとしていた。壁も階段も荒く切り出した岩が使われている。

 ジョセフが先頭でランタンを持ち、僕らを導く。降りた先には木の扉が待っていた。その扉を開くとそこは小さな部屋だった。人が十人も入れないほどの小さな部屋で、真ん中に墓跡のようなものが立っている。

 よく見てみると文字が書かれているようだった。だが、現代の文字ではない。かなり古い文字で、とてもじゃないが読めそうにない。

「古代の文字か。なんでこんなものがウチの地下に」

「ロドリゲス家が星の子の見送り人を請け負ったからですよ。星滅の厄災は必ずまた起こる。そう考えたご先祖様がこの地下の部屋に残したんです」

「一千年も前からこの部屋があったていうのか」

「そうです。この部屋は代々領主となってこられた方が秘密にし守ってきたのです。先代からはジルク様がこの任を引継ぎ、そして今度はラルフ様が引き継ぐ予定でした。

 ジルク様はとても聡明なお方でした。亡くなられる前に、やるべきことは終わらせておりました。この古代文字の解読はもう済んでおります。

 ラルフ様、石碑の後ろをご覧ください」

 言われ僕は、石碑の後ろに回った。石碑の裏には板が立てかけられていた。本よりも一回り面の大きいその板を取ると、羊皮紙が杭で打たれていた。そこに綴られている文字は現代の文字だった。


 ……


 ここに書かれているのは石碑に刻まれている文の翻訳だ。これを見た者はロドリゲス家の党首、あるいは見送り人に伝えてほしい。

 星滅の日が近づくころ、おそらくあの男が動き出すだろう。強大な魔力を持った男だ。その男が大地の生命力を集め、星の子を奪いにくる。自らの私利私欲のために星の子の力を手に入れようとするだろう。

 これを防ぎたいのならロタム山脈にある碧い泉に行け。

 そこに私の最後の伝文がある。


 ……


「ここに全てを記さなかった理由は……」

「おそらく強大な魔力を使う男が入り込めてしまうのでしょう。碧い泉は聖なる泉として知られております。そこに誘導するということはおそらく邪気が入ってこられない結界が貼ってあるのかと」

「そこに行けというのか?」

 はい、とジョセフは僕の心理を見透かすような眼を向けて言った。

 ロタム山脈というのはテトフス帝国とヨサ王国の間を跨る山脈だ。両国の北側に位置し、星見の台座までの最短ルートとは大きく遠回りすることになる。しかも険しい峠道だ。越えるのに何日かかるのかもわからない。最悪の場合、星滅の日までに星見の台座にたどり着け無くなるだろう。

 そんな懸念があってもジョセフは行けと言っているのだ。

「しかし、そんな危険な男がいるのか。第一、今まで何か起こったか?」

「四年前、ディアトロスが王都を襲撃したと聞きました。前の星滅の厄災の時、ディアトロスは衝突の当日にしか姿を現さないかったといいます。誰かがディアトロスを呼び起こし、王都に導いたのでしょう。

 さあ、私が伝え残したことはもうありません。早く出発を。ここに留まっている時間はありません」

 このとき、男の太い声がここまで届いた。

「ジョセフ。ここにいるのはわかっている。すぐに姿を表せ。定期報告の時間だ」

「おかしいですな。今日は兵士が来る日ではないはず」

「まさか、追手が来たんじゃ」

 エミリーが不安そうに言うと、ジョセフは首を横に振った。

「そんなはずはありませぬ。御三方はここでお待ちを」

 ジョセフは部屋を出ていった。

 しばらく経っても戻ってこないので、僕らも部屋から出た。戻ってこないということは揉め事になっている可能性が高い。

 裏から逃げるという選択肢も思いつきはしたが残念なことに馬を表に置いてきてしまっている。ロタム山脈を経由するなら人の足では確実に間に合わない。さらに馬には長旅のための荷物を積んでいる。馬を置いて行くという選択肢はなかった。

 部屋を出て玄関の脇にある窓から顔を少し覗かせ外の様子を見た。外にいる兵士は二人。二人とも着ているのは動きやすい皮の装備で、その装備から推測するに二人ともどこかの街の衛兵なのだろう。

 ジョセフが兵士と何か話していた。僕はなにも起こらないことを願って静かに見守った。

 

   *


「どうなされましたか今日は来る日ではなかったはずですが」

 ジョセフは平静を装い兵士に近づく。兵士はいかにも苛ついた様子で睨んできた。

「どうしたもこうしたもない。国の上等兵が城で匿っていた星の子を連れ逃亡した。名はラルフ・ロドリゲス。貴様が五年前まで教育を施していた男だ」

「ラルフ様がそんなことを……」

「一応訊いておくが貴様、奴らを匿っているわけではないよな?」

「何をおっしゃるのです。私はラルフ様ともう五年も会っておりません。村の反乱があったあの日以来です」

「とぼけるな!」

 兵士のけたたましい大声がジョセフの頬を突っ張らせる。しかし、それでもジョセフはしらを切り続けた。

「あそこの馬は城の馬だろ。なぜあそこに停めてある。それに背中に積んでいる荷物もあれは遠征用のものだろ」

「あの馬はですね、私がここに到着した頃にはもうすでにいたのですよ。あの馬で遠征しようとしていた誰かが、誤って逃してしまったのではないでしょうか」

「話にならぬな、ジョセフよ。貴様ここで死ぬ覚悟はできているな」

「死ぬのはあなたがたですよ。昨日きた憲兵はラルフ様をもう追わないと仰っておりました。それなのにあなたたちの主張はあくまでラルフ様が国に対して謀反を起こしたと……。彼の方はただ、星の子の見送り人としての勤めを果たそうとしておられるだけなのにです。

 あなたがたこそ愚弄者だ。あなたがたにラルフ様を明け渡すわけには行きませぬ」

 ジョセフはロドリゲスの血を引くものとして微弱な魔力でありながらも目の前の兵士が人間ではないことを察知していた。生命力を感じない眼は国の兵士が持つそれとは全く違う。虚だ。

 彼らは虚そのもの。

「ジョセフ。貴様の運はここで尽きたな。死んでもらおう」

 兵士が腰に手を伸ばす。金属の擦れる音を響かせながら細身の剣を引き抜く。柄に華美で細かい装飾を施されたその剣は王国の憲兵の印。だが、目の前の二人が持っている剣は偽物。そこに名誉や誇りなんてものはない。

「偽物不勢が、王国の兵士を名乗るとは! 恥を知れ!」

 ジョセフは手に熱を意識した。心から燃え盛るその炎が腕を伝って手から出ようとしたその時。兵士の剣が振り下ろされた。


 *


「ラルフこっちへ」

 リオラが玄関から東側の部屋の前へ身をかがめながら移動した。

 玄関の隣の部屋は、表の壁が朽ちている。廊下とつなぐ扉も外れていた。リオラは屈んだまま部屋に入ると手招きをする。

 何をしようとしているのか検討がつかないまま、僕はリオラのもとへと近づく。リオラと同じく身を屈ませ、入ったその部屋の南側の壁は僅かに残っていた。リオラはそこに張り付くようにして身を隠した。僕もリオラの後ろにつく。崩れた壁の向こうにジョセフと兵士の言い争っているのが見えた。両者の争いは加熱して行く一方だった。

「このままだとジョセフが斬られちゃう。ラルフ。機会を見てあの兵士二人を斬って」

 僕はリオラが何を言っているのか一瞬理解できなかった。あのリオラが……、人に対する思いやりができるリオラがいきなり兵士を斬れと言っているのだ。それも自国の。

 いくら様子がおかしいからといってもあの二人は味方である。身内が切られそうだからといって斬ってしまえばそれこそ反逆行為になってしまうだろう。確かにジョセフを守りたいのは事実だ。だが、だからといっていきなり自国の兵を殺すという選択をするのはあまりに安直すぎる。

「リオラ。なんであの二人を斬らないといけないんだ。僕が出て話し合いで解決はできないのか?」

「あの二人は人じゃない。ただの人形。誰かが操っているの。強大な魔力を持っている誰かが」

「誰かって誰なんだ?」

「わからない。そこまでは見えないの」

 僕は決心できずにいた。自国の兵士を殺せば僕だけじゃない。エミリーも共にその罪を被ることになる。

「ラルフ早く!」

 リオラの焦る声に背中を押され僕は飛び出した。

 兵士が剣を抜くのを見て僕はさらに身体を加速させる。

 風を切って走り、ジョセフの横を通って前に出ると、剣を振りかざす兵士に剣を振り払った。

 兵士の動きに対し自分の動きは圧倒的に早い。捉えた。滑らかに剣が通る。兵士の胸を水平に斬り払った。

 一人が力無く倒れる間にも今度は、隣の兵士に剣を向ける。そいつが剣を引き抜き振り払おうとしたのを見て僕は咄嗟に剣を振り上げた。剣身が兵士の右腕に入り込む。兵士の右腕跳び上がった。

 男の大絶叫が響き渡る。男は左手で右腕を抑えている。

 その右腕に剣を握る手はなかった。さっきまであったはずの男の腕は肘より下のところからなくなっている。 

 味方兵を斬ってしまった罪悪感に苛まれながらも僕はある違和感に気がついた。

 それは骨を切った感触がなかったことだ。

 一人目を切り伏せた時も二人目の腕を切り飛ばした時も骨を断ち切る鈍い硬さがなかったのだ。

 ——こいつらは本当に人ではないのか。だとするなら……。

 僕はリオラが前に蝋燭で自らの分身を作ったのを思い出した。あの時みたいに魔法で人形を作れるのだとしたら、強大な魔力を持っているその人物ならこうやって動く人形をあたかも本物の人と同じように動かすことも可能なのかもしれない。だったら……。

 もう迷いはなかった。僕は片腕を無くした男の胸に剣を突きつける。そのまま差し入れても革鎧の感触も骨の感触もなかった。ただ、何かパンのような柔らかいものを切っているような感触だった。

 二つの体が息絶えた時、その化けの皮が剥がれた。

 切り伏せた二人は本当に人ではなかったのだ。泥の塊。二人の死体はその姿を、石、枝、葉が混ざった泥に変えて跡形もなく崩れ落ちたのだ。

 それは異様な光景だった。だけど、ジョセフはどこか納得した面持ちで言う。

「魔法ですな。やはり国内に星の子の見送りを阻止しようとする者がいますな」

 それはもう明白だ。この光景を見てしまったら、リオラが警戒するその強大な魔力を扱う人の存在を認めざるを得ない。

 しかし、それが誰なのかリオラにいくら訊いても答えてくれないのだ。

「リオラ。誰とは聞かないけど、特徴だけでも教えてくれないか?」

「それが見えないの。なんかモヤがかかっているみたいでその人の特徴が全く見えてこないんだ」

「そうか……」

「その人物の特定なら後でも良いでしょう。それよりも早くここを出た方が良いです。また追手が放たれるかもしれません」

「それもそうだな。早くここを出よう」

 その後、すぐ馬を走らせた。国内を北東方向へ山間を縫うように進み、僕らは国境付近の村、パラナ村に到着した。着くまでに二日ほどかかったというのに、僕らのもとに新たに追手が来ることはなかった。


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