6-3

 北に二十キロほど進んだ森の中で僕らは止まっていた。ここから先、北側に向かうには山間の道を進まないといけない。その前には色々と準備が必要だった。寒さを凌ぐなら大きな毛皮も必要だろう。峠を越えるなら尚更だ。

 残念なことに人が住んでいる街は、ここから二キロのところにあるのが最後だ。そこから先は教会のあるフィーネラル村しかない。そこから以北は再開拓指定地域だ。ここいらは何度か人が入り作物を育てようとしたが結局育たず、いまだに人が住み着かない地域である。

 それなのに僕らは、乾燥した野菜や肉穀物はあれど、調理用の鍋すら持っていない。これでどうやって二ヶ月近くにわたる旅ができようか。

 街に寄って準備が必要だ。

 だけど、その前に追手が来ていないか調べる必要がある。街中で馬を連れて逃げることは不可能だからだ。

「待ってな。今、追手がきてないか確認するから」

 この時期はコマドリが越冬のため、ここいらで見られる。全体的に灰色の毛を纏い、顔と胸の部分だけ鮮やかな橙色という洒落た見た目のその小鳥は見回すだけですぐに見つかる。

 そばの木の小枝にちょんと止まっているコマドリがいた。

 やることはテレパシーと変わらない。対象と動線を繋いで意識を仮見ることだけだ。戦場では鷹を使ったが、使う鳥は別になんだって良い。

 僕はコマドリに導線を伸ばすとすぐに意思を伝える。僕の意志を伝授したコマドリは高く飛び上がった。僕は目を閉じる。

 色味のない世界が頭の中に広がっていく。そのどこを見回してもバーバスカムの兵と思しき姿はどこにもなかった。

「追手はきていないみたいだな」

 コマドリに戻ってきてもらうとお礼に小麦の実を何粒か袋から取り出す。手のひらの上に載せるとコマドリが嘴でつまみ飛び上がった。

 コマドリが元の木に戻ったのを見て、僕らは出発した。

「とりあえず、次の街で長旅に必要なものは全部揃えよう。今日は一泊して出発は明日だな」

「泊まるのって、皆おんなじ部屋?」

 リオラが訊いてくる。 

「そうだな。三人で一部屋使えば良いだろう。これからいくらかかるのか全くわからないから、節約しないといけないしな」

「あんたそれ本気で言ってるの?」

「言ってるさ」

 エミリーは少し嫌そうに顔を顰めるが、リオラは嬉しそうに頬を上げる。

「三人で一緒に眠れるの嬉しい」

 まあ、リオラと一緒に眠れることなんて今までなかったんだ。残りの期間一緒に寝たって問題ないだろう。

 僕はそう思っていた。

 だが、街の宿場についていざ寝るとなった時、問題が起こった。部屋にあったベッドは大きいのが一つだけ。三人で寝られるくらいの大きさがあったから大して問題ではないと思ったのだが、いざ眠りにつこうとベッドの上、僕らはリオラを真ん中にして川の字で横になると、リオラが背中にべったりと引っ付いてきたのだ。

 しばらくすると今度はエミリーに抱きついた。最初は寂しかった反動なのかなと思って、向き合って頭を撫でたり、抱き締めたりしてあげたが、何度もくりかえされたせいで、結局その日は眠れない夜になってしまった。


 ◇


 小鳥が囀る早朝に僕らは街を出発した。山林が近く、なだらかな登りが続く。たまに道が渓流の近くを通る。木々のない開けた場所から見えたのは見覚えのある白い建物だった。建物の正面から塔のようにタレットが上に突出し、赤土色のとんがり屋根の先端には十字架が取り付けられている。

「あの建物って……」

 エミリーが呟くように言った。

「フィーネラル村だ。ここは五年前とあまり変わってないな」

 僕が馬をそのまま走らせ、止まらずに行こうとするとエミリーが声を掛ける。

「待って。お墓に行かなくていいの? もう戻って来れないかもしれないんだよ」

「僕はもうとっくにお別れしたんだ。今更する必要なんてないよ。それに今日中にパラナ村に行かないとどこかで野宿することになるよ」

「ラルフ。嘘ついてる。本当は行きたいくせに時間がないからって言い訳してる」

「おい、リオラ言うなって」

「ラルフも学習しないね。リオラに嘘なんてつけないんだから」

 と、茶化すエミリー。エミリーは先に馬を降りて教会の方へ歩いていく。どうやら教会に寄ることは決定事項らしい。

 僕も馬を止めた。

「おい、野宿でも良いのか」

「良いわよ。どうせ何処かで野宿する羽目になるんだから」

 エミリーは先にスタスタ歩いて行ってしまった。

 僕も馬を降りるとそばにある木に手綱を縛ってからリオラと一緒に跡墓地に向かう。

 教会の表にある墓地にはたくさんの墓石が並んでいる。その並んでいる中にロドリゲス家の墓もあった。

 前来た時、墓標は木材を組み合わせたものだったが、今は台形に石工され、綺麗に磨かれた墓石になっている。

「いつの間にか綺麗にしてくれてたんだな」

「よかったね」

 隣でリオラが微笑んだ。

 立派な墓石を見たとき、父様も母様も姉様のことを、恨んでいる人ばかりじゃないってことがわかってすごく嬉しかった。

 不意に近づいてくる足音がした。エミリーのものではない。エミリーが履いているブーツとは違う革製の靴の硬い足音だった。

「ぼっちゃま、なのですか?」

 掠れた老人の声。だけど柔らかさと温かみのある声は、どこか懐かしさを感じた。僕の知っている声だ。

 振り向くとそこには、長髪でタキシードを着た初老の男が立っていた。白髪が混じって灰色になった髪と顎からも長い髭をたらしている。

 その見た目に見覚えがある。懐かしい。五年前まで毎日勉学を教えてもらっていた。

「ジョセフ……なのか……」

 その男は信じられないという顔をしていた。ただ呆然と僕を眺めている。けれどその目は何か過去の懐かしい記憶を探すように泳いでいた。その目が止まった時、男はおぼつかない足取りで駆け出してくる。

 そばまで駆け寄ると僕の手を握って目に涙を浮かべた。

「良かった。生きておられたのですね」

「ジョセフも無事だったんだな」

「ええ、この通りピンピンしてますよ」

 再会の喜びもほどほどに僕はジョセフに事情を説明した。さすがは、教人をしていたとだけあって、ジョセフはすぐに理解を示してくれた。

「なるほど、星の子を連れてヨサ王国に向かうのですね。ということはもうすぐ彗星が見られるということですね」

「それに追手が来るかもしれない。なるべく早く国を発ちたいんだ」

「でも今日はもう日が傾いております。私の家にでも泊まってくださいな」

 確かにあと少しで夕暮れになる時間帯だ。それにここから先、人のいる村はない。僕らはジョセフの家に厄介になることにした。


 フィーネラル村から少し離れたところに大きな家が見えた。木造の立派な建物。さすが教師なだけある。地主の屋敷ほどの大きさはないがそれなりの広さはありそうだった。

 その日の夕食は豆と野菜、燻製肉を一緒に煮炊きしたスープだった。元々畜産と野菜の栽培が盛んだったボリオス地方ではよく食べられていた。懐かしいスープのおかげもあってか、話に花が咲いた。

 聞いたところ、ジョセフは今、この辺りの植物の研究をしているそうだ。国から公に任命された研究で、監視の兵が週に一度尋ねてくるそうだが、それ以外の待遇がとても良いという。

「ラルフ様。あと衝突まで何日と聞いておられますか」

「あと一月半はある」

「まだ少し余裕がありますな……」

「何かあるのか?」

「ええ、実はジルク様からラルフ様に伝えて欲しいと頼まれていたことがあるんです。明日、屋敷にまで来ていただけますか?」

 正直、自分の家が襲われた跡なんて見に行きたくない。だけど、父様が僕に残したものがあるというのなら話は別だ。

「わかった。行こう」

父様の遺言。父様が僕に将来伝えたかったことがようやくわかる。

 明日は早く出発するという話になり、僕もリオラもエミリーも早く寝ることにした。

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