17 いにしえの人神

 黒い山のようなものが近づいてくる。

 地鳴りがして、近くの谷が土砂崩れで埋まったようだ。

 猛烈な血のにおいで窒息しそうになる。


 「あるじ様、気を付けて!」


 サーラの叫びの後、黒いナニカがおれ目がけて降ってきた。

 後方に飛んでそれを避ける。

 キツネの前足だったようだ。


 「あるじ様、こいつ、をれの同族じゃないでし!」


 ものすごくイヤな顔をしてナビが言った。

 同じキツネ型なので誤解されたくない。

 天界の精霊としてのプライドを守りたいのだろう。


 「よくも、よくもよくも!」


 魔獣はトラック並みの巨大な頭を空に上げ、アオーンと叫んだ。

 よくよく見ると、キツネにも見えるしジャッカルや犬にも似ている。

 真っ黒い鉤爪のついた前足で地面を掘ると、そこから水が湧き出てきた。

 大変だ、また土砂崩れが起こるだろう。


 「貴様は誰だ、名を名乗れ」


 おれが叫ぶと、キツネは舌をだらりと出して嘲笑った。


 「邪神よ、わらわこそが神国の守護神なり。

 名を稲荷大神という。

 死にゆく汝に教えてやったぞ」


 「ああ、嘘ね」


 白い鳥になったサーラが素早く飛びながら、キツネが発する毒オーラを避ける。


 「あるじ様、これは神ではない。

 人霊のなれの果てよ。

 額を狙って!」


 それを聞いた魔獣は怒り、鳥めがけて炎の息を吐いた。

 軽々とよけるサーラは逆に、魔獣のぎらつく赤目を攻撃する。

 苦悶の声が山全体にこだました。


 「ふむ、あそこにナニカが光ってるな。

 どれ!」


 おれは弾丸のように飛び、魔獣の額に光るものに剣を下ろした。

 リンゴを切るような音と共に刺さり、妙な光景が脳裏に広がる。


 村が焼かれていた。

 いつの時代だろうか?

 きっとずっと昔だ・・・、男たちはミズラを結い、女たちは貫頭衣を着ている。

 背の高い目のつり上がった少年たちが村を襲っている。

 先住民らしきミズラは戦うも、ちゃちな武器しかないので負けて殺された。

 女は、若い女はあちこちで征服者たるつり目男らに強姦されている。

 老人や子供は殺された。

 見渡す限り死骸、死骸、死骸。

 聞こえるのは笑い声と断末魔の悲鳴。


 場面が変わり、背の高い男と女が現れた。

 両方色白で目は細くつり上がり、北方人種の形質を色濃く残している。

 彼らが大王とその妃だという。

 その後妃はお産で死に、祀られた。

 先住民がキツネの神を祀っていた祭祀場に、女神として祀られた。

 女の霊はそこで地縛霊となり、か弱いキツネの霊を食い殺して・・・力を得た。

 そして定期的に人間の肝を要求し、血と残虐で身を飾った。


 「なるほど。

 これがおまえの正体か」


 おれは剣を引き抜き、魔獣の後方に着地した。

 魔獣はというと、苦悶の叫びと共に毒ガスをちりばめる。


 「をれの出番でしゅ」


 ナビがコン、と鳴くと、彼とサーラとおれの体は緑色の光に包まれた。


 「瘴気なんか気にしなくていいでしゅ」


 「ありがとう、ナビ。

 ああ、あるじ様!

 あれを見て!」


 サーラが指さした方。

 そこには一人の若い女が倒れていた。

 長い黒髪が乱れて顔を覆っている。


 「ううっ・・・。

 神を辱めた報い・・・。

 汝らの肝で償ってもらう」


 女はこちらをみた。

 青黒い顔にねっとりと光る白い目。

 白絹の豪奢な着物を着ているが、様子は亡者そのものだ。

 肉体を失ってもなお死を受け入れられない、愚かで哀れな存在。


 女は両手の指から鉤爪を出し、おれに襲いかかってきた。

 しかし、サーラの金縛り術でものの見事に凍ってしまう。


 「1700年くらい前か」


 おれは静かにつぶやいた。


 「西方から征服者が来て、先住民を虐殺した。

 おまえはその時の首謀者の女だったのだな。

 お産で死んだあと神として祀られた。

 自然霊を食い殺して力を得て、更に人間の血や臓物、魂をも糧にして世界にかじりついていた。

 醜い女、哀れな亡霊だ」


 「おーうっ!」


 亡霊はあーともおーともつかぬ声で叫ぶ。

 もはや知性もあまり残っていないようだ。

 おれはキラナ剣を構え、最後に一言。


 「あの世で罪を償え」


 剣を一振りすると、女の霊は真っ二つになった。

 霊体なので血は出ない。

 幻の黒い炎に包まれ、苦悶の声と共に消え去った。


 「終わりましたね」


 サーラの声に、おれはうなずいた。

 辺りはひどい有様だ。

 水は噴き出て小川になっているし、木々は根こそぎなぎ倒されている。

 ついさっきまで森だったのに、今やほとんど平原と言っていいような感じだ。

 雨はとうに上がっており、死にかけの太陽が最後の光線と共に西に沈みつつある。

 火葬場から出たのが10時過ぎだったはずなのに、今はもう15時半。

 ずいぶん時間をかけてしまった。

 おれは杉田の死体(すっかり腐乱し、首と胴体が真っ二つ)を見つけ、移動の術を施した。

 これで無事、お棺の中に入っただろう。


 「そういえば、杉田の霊やさっきの女が消える時、炎が出てたな。

 あれって何だろう?」


 おれの問いに、ナビはこう答えた。


 「地獄のお迎えでし。

 ああ怖い、ああなりたくないでしゅね」


 「天界でも罪を犯した者はああなります」


 サーラはすごく嫌な顔をして言った。


 「一度見たことがありますよ。

 神を殺そうとした天人が、断末魔の声と共に焼かれて・・・。

 消滅しました。

 一旦地獄に落ちると、脱出するのはほぼ不可能でしょう」


 「これが因果応報か」


 ため息が出た。

 先住民を殺して1700年間神のコスプレをしていた悪霊。

 時間がかかったが、結局は逝くべきところに逝ったのだ。


 「邪神・・・やったのね」


 背後から少女の声がこだました。

 振り返ると、案の定シラネの巫女・土谷ユイが地面に着地するところだった。

 飛行術を操るとは、人間だというのにたいしたものだ。

 黒い装束を着ているが、頭巾はかぶってない。


 「イナリモドキを消した。

 ギンコンスはもうお終いね」


 「なぜここが分かった?」


 おれが詰問すると、彼女はちらりとサーラやナビを見つめた後、答えた。


 「スズナから連絡が入ったの。

 火葬場で死人が暴れてるって。

 邪神が死体を追いかけて、どこかに行ったので助けてやってほしいって」


 「あなた失礼ね!」


 サーラとナビが怒りはじめる。


 「あるじ様を邪神というなでしゅ!」


 「ああ、ごめんね、天の精霊様たち!

 つい出てしまったわ。

 名前はええっと・・・義経様?」


 「ユウマでいい、そう呼べ」


 おれはぶっきらぼうに言った。

 正直、今の心は義経のままだと思う。

 しかし社会的には黒木ユウマ、この肉体の固有名詞を使うべきなのだろう。


 「で、火葬場の死人たちは?」


 「私が行ったときにはすでにスズナともう一人の男子で片付いてた。

 その子腰を抜かしながらも頑張って足止めしてたわ。

 蔓を使った戦法でね、あれは珍しいわ」


 なるほど。

 ダイスケも初陣に成功したのか。

 それはめでたい。


 「シラネの術で、ユウマの位置を見つけた。

 あんたが亡霊を斬る所を見たわ。

 剣の使い方、独特なのね」


 褐色の美しい瞳がじっとこちらを見る。


 「助太刀しなくても大丈夫みたいだったし」


 その時、すさまじい地震が場を支配した。

 よろめいたユイは、思わずこちらのほうに倒れてしまう。

 おれは彼女を抱きとめた。

 ふわりと石鹸のにおいがする。


 「地震?

 地すべりしたら大変だ」


 「ああっ!」


 ユイとおれは同時に声を上げた。

 サーラとナビはおれたちを守るようにくっつき、周囲は急速に闇に染まっていく。

 ついに真っ暗になった。

 しかし自分たちの姿だけはほんわり光って見える。


 目の前の空間がぱっくり割れ、ぎらぎらした金の光球が現れた。

 心臓が脈打つように大きくなり、鳥の形になる。

 金色の鳶だ。


 「亡国の邪神よ」


 低く轟く声がこだました。

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