16 尸鬼の逃亡

 棺の蓋が見事に飛んでいき、ドアにぶつかった。

 年寄りの神官は少女のようなきれいな悲鳴を上げ、オリンピック級の早さで会場から逃げていく。

 棺の中から、白装束を着た杉田先生の死体が現れた。

 目は死んだときのままの白目で、顔は真っ青。

 首には紐の跡が痛々しく付いて、傷だらけだ。

 死体は両手を横に広げ、空中に浮かんだ。

 会場内に悲鳴が響き渡る。

 運動神経のよい生徒は逃げ、ほとんどの者が腰を抜かして歩けない状態だ。


 死人の白い目が彼女の兄をとらえたようだ。

 兄はというと、気絶したのか、椅子から転げ落ちてぴくりとも動かない。

 ゾンビは紫色の唇を曲げると、彼の方へ近づいた。

 その首筋に噛みつき、肉を食いちぎる。

 新鮮なトマトのような血汁が飛び散り、周囲の女生徒に降りかかった。

 すさまじい悲鳴が場を支配する。


 「杉田、いきなり生き返るんじゃねえよ!

 あ、生きてねえか・・・」


 おれとサーラはゾンビを捕獲しようと走り出した。

 後ろからスズナとダイスケがついてくる。

 杉田の死体は兄の血肉を食らっていたが、こちらに気づくと素早くドアから飛び去ってしまった。

 ドアを開けると、そこは一面死者の群れだった。

 皆白装束に土気色の顔をしている。

 皆、生命のない白目を出し、両手を前にかざして迫ってくる。

 腐ったにおいで充満し、思わず吐きそうになる。


 「ギンコンスの邪術か?

 死人を呼び寄せるなんて、えぐいことをしやがる」


 「どうする?

 死体が多すぎて、先生に追いつけないよ」


 スズナの言葉におれは考えた。

 このまま燃やしたら・・・いや、釜の外で火葬するのはよしたほうがいい。

 

 「ユウマ君、私はダイスケ君と一緒に死人をおとなしくさせてるからさ」


 スズナが空中から数珠を取り出し、話した。


 「先生を追いかけてくれる?」


 「すまん、では頼む」


 おれは軽く頭を下げ、サーラを伴って窓から外に出た。

 キツネ姿のナビが鞄から飛び出る。

 充電完了したようで、元気いっぱいだ。


 「をれが道案内するでしゅ」


 コーンと景気よく鳴き、北方へ飛ぶ。

 サーラとおれはそれに続く。

 飛行術は事前にたっぷり練習しておいたので、問題ない。

 葬儀場の駐車場のところで、足止めを食らった。


 「そこまでだ、悪魔め!」


 白装束の男らが3人立ちはだかった。

 顔をすっぽりと覆っているが、そのうちの一人は間違いなくユウジだった。

 体から発するオーラ、声で見破ることができる。

 

 「ユウジか。

 おまえとは兄弟だったんだな」


 男は白頭巾を投げ捨てると、案の定黒木ユウジの顔が現れた。


 「誰がおまえなんかを兄弟と認めるものか」


 彼は吐き捨てるように言った。


 「この前のお礼参りをしてやる。

 よくも情報を盗み取ったな!

 おまえのせいで、お母さんが・・・」


 「おまえの母さん?

 アオイさんが何かされたのか?」


 答える間もなく。憎悪の矢が飛んできた。

 素早く避けたが、一発で十分致命傷となるだろう。

 ユウジの端正な顔は怒りと恨みで赤黒く歪んでいた。


 「おまえさえ・・・おまえさえいなければ!」


 「仕方ない。

 サーラ、ナビ、お仕置きしてやれ」


 サーラは白い鳥に身を変え彼らの上を舞った。

 雪のような羽が舞い降り、彼らは金縛り状態になる。


 「ナビ、彼らの情報を・・・」


 「邪神なんかに教えるものか!」


 二人の男はそう怒鳴り、ゴリっと音をさせてうなだれた。

 白頭巾で隠された口のあたりから、血がにじむ。


 「やばい。

 舌を嚙み切って自害してしまった!」


 「こいつはそうさせないでしゅ」


 ナビはユウジに電撃を浴びせ、彼は人事不肖になった。

 ユウジは瞬間身体を硬直させたが、目を閉じ気絶してくれた。


 「ありがとう、ナビ。

 憎み合っているとはいえ、こいつは弟。

 傷つけたくなかった」


 「あるじ様。

 でも、この男はあるじ様を殺そうとしたのですよ」


 サーラが非難めいた視線をこちらに向ける。

 

 「そうだな。

 それでもおれは、こいつを傷つけたくなかった」


 おれはそう答え、ため息をついた。

 おれは甘いのだろうか?

 義経だったころの過ちをトレースしてしまうのだろうか?

 そう思いつつ、杉田の後を追う。

 

 「急ごう。

 今は杉田の死体を取り戻すだけだ」




               ―――



 杉田が逃げた先はA山の奥だった。

 ここは自殺の名所で有名だ。

 事実、奥に行くにしたがって首吊り死体のなれの果てや、白骨が転がっている。

 獣に食い荒らされたらしい、内臓の残骸。

 血と死臭が鼻を襲う。

 しかしおれは平気だ。

 昔、おれは、義経は処刑されて死んだ。

 自分は元死人だ。

 梶原の野郎がおれの首(腐乱して目も当てられなかった)をドブに捨てたのを覚えている。

 きっと微生物や魚のエサになったろう。

 

 山中を飛び回り、ナビの案内通りに北へ北へと昇っていく。

 道路はない、完全なけもの道だ。

 おどろおどろしい黒い木々が邪魔するように生えている。


 「あそこでし」


 ナビの尻尾が示す方。

 杉田の死体が自殺して間もない女の遺骸を貪り食っている。

 口は血だらけで、せっかくの白装束も赤黒く染められている。


 「杉田、もう一度死ね」


 おれは空中からキラナ剣を取り出した。

 かつて愛用していたというが、記憶にない。

 それはするりと掌に収まり、重さを感じないほどだ。

 ほんわりと虹色に輝いている。

 秋だというのに春めいた暖かな風が周囲に吹いた。


 「黒木ィ・・・」


 杉田は喰っていた肉塊を手放し、白濁した目をこちらに向けた。

 呼吸のまねごとをしようとし、鼻と口から黒いドロドロを出す。

 肺のなれの果てだろう。

 動いていてもこれは死骸、しかもかなり腐敗が進んでいる。

 

 「うおーっ!」


 死体はおぞましい声と共にこちらに向かってきた。

 おれはキラナを持って構え、杉田の首と胴体を切り離した。

 ゾンビの首が苔だらけの地面に落下すると同時に、体の動きも止まった。

 あっけないほど唐突に。

 まるで糸を切られたマリオネットのようだ。

 としたら、死体を操っていた者は・・・? 


 『ふうん、結構やれるのね』


 目の前にすーっと霊体が現れた。

 杉田美也子だ。

 生前そっくりの姿だが腰から下がなく、ガスで出来ているかのようにゆらゆらゆらめいている。


 「おい杉田、おとなしく死んでてくれ。

 マスコミの餌食になっちまう。

 女子が気絶してたぞ」


 おれの言葉に、杉田の霊は唇を曲げた。


 『ふん、そんなの知らないわよ。

 だってあのとき、私はこの中にいなかったんだもの』


 「体の中にいなかったって?

 まあそうだな、死んでるからね。

 で、おまえを殺したのは誰?

 死体を操ってたのは?」


 杉田の霊は急にそわそわしはじめた。

 きょろきょろと周囲をうかがう。


 『黒木ユウマ・・・結局あんたには敵わなかった。

 残念、でも人間は神に敵わないもの。

 たとえそれが魔神だとしてもね。

 いいわ、忠告してあげる。

 担任教師としての最後のアドバイスよ。

 黒木、ここから早く立ち去りなさい。

 あんたでもあいつに敵わないだろうから・・・』


 「待て!」


 おれの叫びも空しく、杉田の霊は幻の炎に包まれ、苦痛の叫びと共に消滅した。

 それと入れ替わるように、地震が場を襲った。

 

 「あるじ様、これ地震じゃない!

 あれを見て!」


 サーラが指さした方向。

 そこには巨大な黒いキツネが木々をなぎ倒しながらこちらに迫ってきていた。

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