第43話 ドアの秘密
「ちょっっと! ダメです!」
「それはこっちのセリフだ。もう許さないし、待たない」
そのまま寝室へ連れ込まれて、のし掛かられた。
「証明してもらわなくっちゃ」
一本一本指を絡めながら、熱烈に旦那様が言った。
「イイですね?」
「よくないです!」
「違う。僕の話を聞きなさい!」
私は黙った。
「そのイイではない。これから、否が応でも噂は広まります。というか事実が広まります。モリス氏があなたを狙ったという」
体勢に文句をつけたかったのだが、仕方なく私はうなずいた。この体勢はすごく心臓に悪いんです、旦那様。お願い。
「あなた自身が、前に言いましたよね? 証拠は、噂が広まってからの方がいいんじゃないですかって」
はて? なんの話やら?
本気で首を傾げていると、旦那様に一喝された。
「ほら! オペラハウスでヘレンに初めて会った日の翌日! ここで! 約束したでしょう」
愛おしげに、そして嬉しそうに旦那様が言った。
「証明が必要だから。あなたを抱かなくちゃいけないって、あなたが言いました! 僕の義務なので!」
義務の割に嬉しそうじゃないか!
「覚えていないのですか?」
これは……返事をしたら負けなやつじゃないだろうか。
覚えていますと言えばこのまま流されるし、覚えていないと罰ゲームになって更に一層まずいことになりそう。
「愛しているよ、シャーロット。こんな回り道をしないといけなかっただなんて」
大好きだよ、大好きだよと言われて、思い出したことがあった。
私も大好きでした。
なんだかよく覚えていない。いつからそんなふうになったんだろう。男なのに。
旦那様の顔は、特別なものになって、美男子だとかそうじゃないとか、そんなことどうでも良くなって、あのヘンリー様すらどうでもよくて、そんなことより、旦那様の目を見たい。会いたい。一緒にいたい。
ヘレンの言葉なんか信じちゃいなかった。
だって、全部、あなたの目が打ち消していったのだもの。
遠くに離れていたら、疑いを持ったかも知れないけれど、いつも一緒だった。
だから、ヘレンの言うことなんか一言も信じなかった。
「旦那様、大好きです……」
口に出して言うと、旦那様の目が大きく見開かれて、とろけるように笑った。
そして、キスされた。
「アーサーだよ、シャーロット」
旦那様と言うと、ペナルティがあるっていう規則はかわっていないのね。
でも、今日のキスはただのキスじゃなかった。
深くて甘くて、私は気を失いそうになった。酸欠だ。
その上、アーサーの手がえげつない。
「じゃあ放して欲しいっていうの? シャーロット」
ものすごく意地悪そうにアーサーが聞いた。
口から正直な言葉がするりと出てきてしまった。
「……いいえ」
私は真っ赤になってしまった。何を言ってしまったのかしら。
「こんな方法で証拠立てないといけないなんて、僕は……嬉しいよ」
◇◇◇
疲れてぐったりしていると、着替えをとってくるよと旦那様はウキウキとベッドから
あんな所にドアがあったんだ。初めて気がついた……
旦那様を目で追いながら、私はぼんやりと考えた。
そのドアは全面に壁紙が貼られていて、よく見ると確かに四角く切れていたが、ドアノブは決まったところを押すと飛び出してくるタイプのものだった。
ぼーっとしたまま、見ていると、旦那様は、私の部屋着を抱えて戻ってきた。
「はい。シャーロット」
「ん?」
この部屋着は……もしかして、私が結婚の前に準備して持ち込んだもの?
「気がついた?」
旦那様は笑っていた。
「隣はあなたの部屋だよ」
私はガバッと起き上がった。
体が痛い。でも、どうでもいい。
もたもた駆け出してドアノブを探していると、後ろから旦那様が近づいてきて、手際良く秘密の場所を押して、ドアを開けてくれた。
一ヶ月ぶりの私の部屋!
そこはいかにも使っていなかった部屋らしく、物寂しげな空気だった。きちんと整理されていたが、空気が動いていなかった。
そして、廊下に通じるドアを見た時、私は愕然とした。
ドアの前には、なにも置かれていなかった。
あんなに苦労して、毎朝、ドアを押し開けようとしていたのに?
どうして鍵もかかっていなかったのに、ドアは開かなかったの?
「違うよ。ドアに鍵がかかっていたからだよ」
「えっ?」
旦那様が説明した。
「僕の部屋からは、いつでも自由に出入りできるからね。奥さんの部屋に通じるドアに鍵なんかない。廊下への鍵はすぐに閉めたよ。ほら」
そういうと、ドアの鍵を回した。鍵穴に鍵は挿しっぱなしだった。
そして、ドアを開けた。
見慣れた廊下、見慣れた風景がそこにあった。
自分の部屋の方がよっぽど初めてみたいだった。
「だ、騙したのね」
旦那様はおかしそうに笑い出した。
「だって、あなたときたら、部屋に閉じこもりたがるのだもの」
彼は言った。
「僕の気持ちなんか、気がついていなかったか、気がついていても無視するつもりだったでしょ?」
ひ、否定できないけど。
旦那様は私の顔を見た。
「結婚した当初より、ずっとずっと好きになった」
愛しそうに指で頬を撫でる。
「子どもみたいに、僕から逃げようとして部屋から飛び出して行って、その時は嫌われたと思って悲しくなったけど、顔を見たら、吹き出してしまった」
「どうして?」
「あなたは僕を嫌ってなんかいなかった。僕を人間として嫌ってたんじゃなかった。なんて説明していいかわからない。樋をよじ登るだなんて。そして屋根裏部屋でも何かに一生懸命だった。恋に背中を向けていたけど、きっと好きになってくれる、好きにさせたい、そして、その値打ちのある人だと思った」
なんの話か全然わからない。
でも、指先は執拗で、とても愛しそうだった。
「この部屋は……?」
旦那様はまた笑い出した。
「毎朝、あなたが一生懸命、疑いもせず、鍵のかかったドアを力一杯押しているのを見ていると、おかしくておかしくて……」
私は顔があからむのを覚えた。
「アンとメアリは?」
「教えていないよ。僕だけの秘密さ」
真面目くさって旦那様は言った。
「でないと、あなたは自分の部屋に行ってしまう。僕は毎晩あなたと話をするのを楽しみにしていたのに」
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