第44話 ラムゼイ伯爵の死とお披露目パーティー

私はすっかり機嫌を損ねて、ブスッとしていた。


「だって、仕方ないだろう? 毎晩、寝顔を見られるんだ。旦那様特典だよ。手放すわけないじゃないか。ずいぶん辛抱したんだよ?」


私はますますふくれた。


「我ながらいい案だと思ったんだ。あなたをずっと見ていられるし、ずっと一緒だ」


「今晩からは、自分の部屋で寝ます」


「じゃあ、僕もあなたの部屋で寝るから」


「ダメです」


私はあわてて間髪を入れずさえぎった。


「ダメじゃないよ。僕のこと、好きでしょう?」


私は嘘がつけない。


「旦那様のことは好きですけど……」


ちょっと旦那様を見上げた。だって、いつだって優しいのだもの。


「アーサーだよ」


旦那様……ではなくて、アーサーは言った。そして、ペナルティのキスをした。


「アーサーって呼んでほしいのはあなただけだ。家族の誰にも呼ばせない」


私はちょっと目を見張った。


そう言えばヘレンは、ずっとゴードンと呼んでいた。


ああ、それもあったのだ。ヘレンの言葉の中の、細かい違和感が積もり積もって、私を支えてくれた。

ヘレンと旦那様は、決してそんな仲ではないと。



「イチャイチャだな」


誰かが訪ねてきた。


そうそう。来ると言っていたのだ。ファーラー家の兄上だった。リチャード様だ。


「いやもう、いい加減に誰か雇え。ここの使用人は全くダメだな。取り継ぎさえまともにできないのか」


兄上は、背が高く痩せて、灰色の髪と灰色の目をした、アーサーよりかなり年上の男性だった。


彼は抜け目ない商人のはずだったが、それよりどこかの高位の貴族みたいな人だった。


「ただの騎士の家ですから。女中と厩番がいればたくさんです」


アーサーは兄に向かって、笑ってそう言った。兄のリチャードは、アーサーを意味ありげに見た。


「もう、そんなわけにはいかん。うちの弁護士に連絡があった。ラムゼイ伯爵が亡くなったそうだ」


死ぬ死ぬと言われて、だいぶ経つ。


予告が長すぎて、だんだん訳が分からなくなってきていた。


リチャード様はうちの狭い客間の長椅子に、長い脚を折りたたむようにして座った。


「結局、弁護士も隣の部屋からドアを三センチくらい開けて話を聞いて、お前が相続人に指名されたんだそうだな。聞いたよ」


「何度か、顔くらい見に行くと連絡したのですが、断られて……」


アーサーがつぶやくように言った。


アーサーの兄上、ファーラー子爵は肩をすくめた。


「ラムゼイ伯爵は一筋縄でいくように人物じゃない。筋金入りの変人だ。唯一、まともだったのは、お前を伯爵にしてくれたことだよ。お前ならどうにかなるし」


どう言う意味なのかしら。


「お前もよく知っている通り、商売が大きくなると、身分の高い貴族だったり、よい親戚がいることは必要なんだ」


うーん。野心満々ですのね、お義兄様。


「よかったな。シャーロット嬢を妻に迎えておいて。シャーロット嬢の実家から何人か使用人を紹介してもらえ。同格の伯爵家だし、姉上もファーガソン伯爵家に嫁いでいる。今更、行儀見習いだなんだと騒がなくても済むし、そもそもシャーロット嬢自身が、王立修道院付属女学院の出身なんだから、ケチのつけようがない。お前は幸運だよ」


こんなところで学校なんかが役に立つだなんて。そして、私が高評価のなのか。


「私はあなたさえいればいいのだけれど」


私はひっそりとアーサーに向かって言った。


「僕はあなたに身分や財産を渡すことができて、嬉しい。本当に嬉しい」


義兄様は、ニヤリと笑った。弟のことは嫌いではないらしい。


「勝手にしろ。お前らしいな」


彼は後から弁護士を寄こすと言っていた。


「金に糸目はつけるなよ。それくらい援助しよう。派手に、早めに披露の会をしてくれよ。シャーロット嬢がいれば、お前は困ることはないはずだ」





死んだラムゼイ伯爵は、文句を言わない。


葬儀についても、遺言はなにもなかった。


私たちは、それをいいことに、全く普通の、平凡極まりない、ラムゼイ伯爵が知ったらさぞ嫌がるのではないかと思われる葬儀を執り行った。何しろ、女性が大勢参列したのだから。


まあ、唯一もしかしたらラムゼイ伯爵が喜ぶかもしれない点としては、もったいぶらずに早めに済んだことだ。


故ラムゼイ伯爵は、社交的には影響が少ないと言うか、ほぼゼロで、しかも全人口の半分を敵に回していたせいで参列者も少なかった。



「最後の頃はさすがの伯爵様も、お体の具合が悪かったようで、以前にお話しした以上のご指示などはありませんでした」


ラムゼイ伯爵の弁護士は、まともだった。


なんでも、先代のラムゼイ伯爵の代からついている弁護士一家だそうだ。にもかかわらずラムゼイ伯爵とは不仲だったらしい。


「残念ながら、ご意向に沿うことが出来ない場合の方が多くて、常にご不興を買っておりました」


ラムゼイ伯爵は、誰とも、うまくいかないと思うんだけど。


まさか、ごもっともですとも、言いにくくて黙っていたけど、苦労されたのではないかしら。


「決して頭が悪いとかそんな方ではなかったのですが、方向性がちょっとばかり変わっていましたねえ」


葬儀の後、狭い我が家の客間で、お茶を飲みながら弁護士は言った。



唯一、助かったことは、思ったより伯爵家の領地からの収入が多かったことだ。


「その分、勝手なことができて、被害が甚大になったわけだがな」


アーサーは書類を見ながら、苦々しげに言った。


まあ、あの邸宅の惨状を見たら、そうも言いたくなる気持ちはよくわかる。


「まあ、そうですねえ……とりあえず、あの状態では、披露の会も難しいかもしれません」


お義兄様は派手にしろと言っていたけれど。


「どうしたものか」


もうすぐ、マーガレット様の侯爵位襲名の盛大なパーティが開催される。その線で行くと、ラムゼイ伯爵家だって、何かしないわけにはいかなかった。


「そうだわ。いいことを思いついたわ」


私は言った。


「諦めて野外パーティをしたらいいのよ」


弁護士とアーサーが解せないと言った様子で私の顔を見た。


「おもてなしをしようと思うから、無理が生じるのよ。あの変人伯爵のしたい放題の、手の施しようのない庭と屋敷内を披露したらいいのよ。私たちのせいじゃないし、ラムゼイ伯爵が墓からむっくり起き上がって抗議するとは思えないわ」


「あんな汚い庭、誰も見たがらないだろう。おもてなしどころか、嫌がらせだぞ?」


アーサーは言ったが、私は主張した。


「昔懐かしの幽霊屋敷よ。それからあなたなら、塹壕の解説ができるでしょ?」


アーサーはちょっとびっくりしたらしかった。


「そりゃ、あの人の塹壕に関する研究は……まあ、確かに一部は実用化されてるけど、本人が言う通りの利用方法じゃないよ。だって……」


「男性はいつでも武器に興味があるんだって、修道院で教わったわ」


「大体、あなたのところの修道院が教える男性像って、僕に言わせれば嘘が多い……」


「男性は、口の多い、意見を述べる女性が嫌いなものだ、とか?」


「そうだよ」


私は笑った。


「それはとにかく、珍武器展示会も一緒にやればいいと思うわ。みんな退屈しない上、盛大な言い訳大会になるわ」


「恥晒しなだけかもしれないよ」


アーサーは心配そうだった。


「マーガレット様と騎士団長様に聞いてみましょうよ」


私はアーサーにキスした。


彼は、みるみる真っ赤になり、小さな声であなたがやりたいなら、僕はなんでも考えてみるよと呟いた。



結論から言うとパーティは大成功で……普通の意味の成功ではもちろんなかったけれど、むしろ、面白いものを公開してくれてよかったという感じが来客の中には漂っていた。


「面白いイベントだったわ!」


「勉強になったしね」


男性はやはり古い武器などに興味のある人が多く、女性は昔の上質な、ノスタルジーを誘うカーテンや調度品に興味を惹かれていた。


「この模様の茶器、私の祖母の家にもありましたわ」


ハッとしたように、茶器を手に取って眺める令嬢もいた。


「懐かしいわ! 祖母を思い出します。とてもやさしい人でしたのよ」


「昔のものの方が何でもいいって意味ではないと思うの。幾世代を経ても、残っていくものは、それだけの値打ちのあるものなのだと思うわ」


だた、全員が前庭の真ん中に掘られた塹壕には興醒めで、これをどうにかしないと、本当のお披露目ができませんのと言う我々に同情してくれた。


「それに、いつになるか、ちょっと予定が立たないんですの」


全員が黙ってうなずいた。


よし。当分、パーティは開かなくて済みそうだ。




「もう、完全に見世物だったかもしれないけど」


夕方になり、野外園遊会?が終わって、お客さま方が全員お帰りになった後で私はアーサーに言った。


「まさに逆の発想ね。体裁を取り繕うのではなくて、内情を皆さま方に披露してしまう」


「僕たちのせいではないからね……武器の方は騎士団の連中なんかは興味津々だったが、軍の関係者以外は腹を抱えて笑っていたよ。特に予算がなくても作れるという、紙と木でできた大砲がバカ受けだった」


そんなもの、中に砲弾を入れただけで砲弾の重量で自滅するんじゃないかしら? 逆に軍の関係者がバカ笑いしなかったのが不思議だ。


「単なる試作品モデルだと思ったらしい。伯爵は紙製でもイケると本気で思っていたらしかったけど」




伯爵邸の一画に、伯爵の母君が隠居していた思い出の別棟があった。母君が亡くなってから、一切手を付けなかった区画だ。


彼の母君は、もう何十年も前に亡くなっていた。


石造りの、二階半くらいの高さの古い建物で、打ち捨てられてもよかった筈だのに、よく見ると手入れされていた。

ちょっと不思議だった。


「こちらへ入ったことはなかったね」


あのラムゼイ伯爵が唯一残していったまともな建物だった。


あの気持ちの悪い執事は解雇されていたので、旦那様自らがカギを開けた。



「階下に客間と食堂、それに台所がついている。二階には寝室と書斎。厩は元からあったな」


その建物前の庭だけは、普通の庭園だった。花と木が植わっている。


伸びすぎた木々の間から、まだらになった光が差し込み、昔ながらのなつかしい花々が風に揺れている。


ドアを開けると、森閑と静まり返った室内には、古めかしいが、上等の家具が残されていた。


「本館の方が住めるようになるには、まだまだ時間がかかると思うけど、ここなら少し手を入れればすぐに住めるね」


アーサーは思いついたらしかった。


「ねえ、シャーロット、ここで暮らそう」

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