第17話 市場とカフェ

ハリソン夫人の見立ては、濃いめのクリーム色の上着とスカート、それに深紅のリボンが飾りについている外出着だ。


「よく似合っている。かわいい」


旦那様は早口で言った。今日何回目だ。


「本当に」


後ろからハリソン夫人の営業口が優しく同意した。


「ファーラー様。本日は採寸を済まし、デザインをお選びいただきました。数日内にご自宅へ伺って、本格的にどうなさるか決めていただきますわ」


「よろしく頼む。さあ、大根を見に行こう!」


大根……


ハリソン夫人のメゾンの従業員は、急に貴婦人に変身した私に呆れ返っていたが、旦那様の最後の一言にも納得がいかなかったに違いない。


全員が微妙な笑顔で見送ってくれた。




「ここが市場だ!」


「旦那様、市場の場所はご存じだったのですか?」


丁重に馬車から出されながら、私は聞いた。


「もちろん。若い頃、何回も巡回している。その頃は、市中の警邏けいらに当たることだってあったから」


アンの案内なんか、まるでいらないじゃないの?


「青物市場はあっちの方だね」


なるほど、仮設みたいな大きな建物があって、大勢の人々が出入りしている。


「メアリに借りた服のままの方がよかったですわね」


「そんなことはない!」


旦那様は黒い癖のある髪を振り立てて言い切った。


「こっちの方が断然かわいい!」


「でも、メアリの服もよく似合っているって……」


「あれはあれで、チビっ子が顔をちょんと出しているようで、かわいかった。でも、今の方が何というか、かわいい」


かわいいと似合っているとしか言わない。


……語彙力がないんだ。


それに私は身長がある方だ。ちびっ子って、表現はおかしいだろう。


まあ、旦那様の身長は私より相当大きいので、ちびっ子かもしれないが。だが、その議論でいうと、世の中、ほとんどの人間がちびっ子になっていしまうけど、いいのか?


「では、大根の価格調査を……」


こんな貴婦人風の格好で、あの中へ入っていくのは躊躇ためらいがあったが、旦那様のご希望だから仕方ない。さっさと済ませて早く屋敷に帰りたい。


「実は、市場のそばに、今話題のカフェというものが出来たんだ」


「そうでございますか」


大根調査って、大根を売っている店全部を調べるつもりなんだろうか。


「そこで、アフタヌーンティというサービスをやっているんだけど。どんなものだか知りたいと思って」


「さようでございますか」


結構大きな市場である。下手をしたら八百屋だけでも十軒以上あるかもしれない。全店の大根の値段を調べるだなんて、すごく面倒だ。二、三軒調べたら、納得してくださらないかな?


私は、旦那様の顔を見上げた。


旦那様が真剣に私の顔を見つめている。


「一緒に行ってくれる?」


「もちろんでございます。しかし、何軒調べるおつもりですか?」


「何軒でも。これから、二人で王都のお店全部に行ってもいいと思っている」


「えっ?」


私は真剣に驚愕した。


さっきもちょっと思ったけど、この旦那様は少しおかしい人なのではないだろうか。


王都内に何件八百屋があると思っているのだろう。


旦那様は、ニコリと微笑んだ。


「手始めにここからだね」




強引につれ込まれたのは、八百屋ではなくて、カフェの方だった。




私は一体何しに来たのだろう。


「あなたとこんな場所へ来れるだなんて夢みたいだ」


旦那様が言い出した。


「ずっと探していた。女子修道院の中に入れるだなんて、夢みたいだった。しかも、婆さんたちのところじゃなくて、かわいい女の子ばかりのところへ。そこで、天使に会ったんだ。気持ち悪いと思うかもしれないけど、忘れられなくて」


「…………」


ご自分でも自覚があるようですが、ものすごく気持ち悪いです。


私がターゲットじゃなくて、本当によかったです。


そもそも、婆さんって、修道女の方達のことですよね。婆さんじゃなくってって、それ、なんなんですか。


年を取ったら、嫌いになるって意味ですか?


許せんわ、そんな夫。一瞬でも、いい人だなって思った私は、やっぱり男性を見る目がないのね。男性に詳しくないっていう自覚は昔からあるけど。


でも、見た目だけで妻を選ぼうだなんて、最低だと思います。思いますが、そこは人それぞれ。

私があなたの性癖をうんぬんすることはありません。


「それで……その、あなたの天使は、どんな容貌の方だったのですか?」


チャンスなので、探りを入れてみる。


「シャーロット、どうしてそっちに話を持っていくの? あなたで間違いない。マクスジャージー夫人だって、あなたのことだって保証してくれた」


「でも、どこかに違和感があるのではありませんか?」


旦那様は黙った。


でしょう?


「もう一度、検証しましょう。間違いがないかどうか」


私は物柔らかで優しい調子で話した。


「あの天使の園で出会った運命の人と結婚できたんだ。僕の直感に間違いはない」


直感は正しくても、誤認はあるかもしれないでしょう。


「きっと、修道院での出会いは運命的だったのでしょう」


そこは認めた。


「出逢いに間違いはありません。でも、二度と会うことができなくなってしまった……一度、切れてしまった赤い糸の先を、もう一度確認しませんか?」


アフタヌーンティーのセットを挟んで、私たちは向き合った。


黒い髪、茶色の目の旦那様は、見た目だけなら、そんなおかしなことを言い出す人には見えない。


「構わないよ。だが私は信じている」


旦那様は静かに答えた。


「どうしてあなたは信じないの?」


私は、イラッとした。


だって、よしんば私がその天使だったとしても、惚れ込まれた方の天使には、そんな感知機能ついていないんですっ。


あ、あのひと、今、私に惚れ込んだ!なんていう感知機能があれば、それはそれは便利でしょうよ。

すぐさまマークして、速やかに話をまとめたと思います。こんなにチンタラしていて、婚期逃す寸前だからって、問答無用で出合頭であいがしら結婚する必要なかったと思う。


誤解婚で、実は別の人を思っている旦那様と結婚するなんてしなかったと思う。


思わず、涙ぐみそうになった。


私だって、大事にしてくれる人、私を必要としてくれる人と巡り合いたかった。


こんな勘違い婚じゃなくて。



まあ、多分、もし、そんな機能を持っていたとしても、きっとピクリとも反応しなかっただろうと思うけど。


「あなたは社交界に出てこなかったからね」


何気なしに旦那様が発した言葉は、致命傷を負わせるやいばのようだった。


「探すの、大変だったんだ……」


「そうでしたわね……」


そんな機能を、もし、持っていたとしても、何かに怯えたように社交界に出て行かなかった私は使えなかった。


自分でチャンスを潰していたみたいなものだ。


そして、それは正しい選択だったのだろうか。愛し、愛される伴侶探しを怠ることは、正しかったのか。まるで、男漁りのようだけれど。そして私には不向きで、全く自信が無かったけれど、それはやらなかったことの言い訳になるんだろうか。

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