第13話 人違いを正す

「おか、おか、おあありんさせ……」


私は毅然として、帰ってきた旦那様をお迎えした。


残念ながら、少々口の方はトチってしまったが。


旦那様の方は、なんだかちょっと不機嫌だった。


無理もない。


こんな女性が、妻として家で待ち受けていたのでは、不機嫌にもなるというものだ。


しかし、あとちょっとの辛抱。


目下の目標は、マーガレット様の披露の会までの間に、旦那様の本当に思う女性を探して差し上げることだ。


ヒントは、あの時、女学院にいた女生徒のうちの誰かだということ。


講師役を務めた旦那様は、あれ以来女学院には出禁となっているが、私なら大丈夫。


いくらでもツテはある。


問題は、アレだ。すでに売却済み(結婚済み)の可能性が大きいということだ。


売却済みの次は出遅れ(婚約済み)という可能性が高い。内心、かなり心配だったが、とにかくまずは正解に辿たどり着かないと。


その後、すでに既婚者になっていたとか、婚約していたとか、その問題は旦那様が自分でどうにかしてもらったらいいと思う。あきらめるなり、なんなり。



旦那様という人物は、私が大根とじゃがいもの購買価格の適正化を図るにあたって、その自由を与えてくれた。

そう悪い人間ではないと思う。


しかも既成事実がある。私が(名目上)妻になってしまったという、生涯にわたって残念な大失敗だ。


お陰様で、今後、私は堂々とモテる女風を装えるが、旦那様の方はそうはいかないだろう。


真相がバレたら、結婚勘違い男という称号を得てしまい、生涯の恥だ。


でも、安心してください。勘違いで結婚しただなんて、私にとっても恥だから、そこは未来永劫みらいえいごう黙ってますわ。




「おかけになって。旦那様」


私は、声が震えなければいいがと思いながら、食堂で話を始めた。


「いや、疲れたから、自室の方がいいな」


「では、また明日」


私はしとやかに礼をして、その場を去ることにした。


引き伸ばしにしてはいけないことはわかっている。わかっちゃいるけど、旦那様が怖い。密室でお話なんて、とんでもない。


「待ちなさい」


待ってなんかいられるか。正直、旦那様と対決することを思うと、胃が痛くなる。


聞こえないふりをして、食堂を出ると、スカートをたくし上げて階段を三段飛ばしで駆け登った。


「振り切った!」


そう思ったが、自室の前で立ち止まった。


ドアが閉まっている。


そういえば、あのままだった。


「あなたはずいぶん足が早いな。さあ、私の部屋に行こう」


旦那様に手を取られると、ぐいっと引っ張られて、旦那様の部屋にひきずり込まれた。


「あなたの部屋は入れないからね。しばらく、ここで我慢してもらうしかないな」


冗談ではない。


「いえ」


私は蚊の鳴くような声で言った。胃が痛い。


「屋根裏部屋で……」


「妻をまるで虐待しているようではないか」


生意気な妻を虐待する夫って、世の中に多いそうなので、多分、屋根裏部屋で寝起きするくらいなら、レベル的に大したことじゃない。大丈夫です……などと余計なことを言いそうになったが、本論に入った。


私は息を吸って、意を決して、旦那様に向かって言った。


「旦那様は、勘違いされています」


旦那様は、へっ?みたいな顔になった。


そうよね。そうですわよね。


「マクスジャージー侯爵夫人からお手紙をいただきました。誤解の理由がわかりましたわ」


私は旦那様の顔が目に入らないように横を向いた。

これなら、旦那様も私の顔を見ないで済む。あんまり見られたいような顔ではない。


「誤解の理由?」


「はい。なんでも旦那様は、女学校の講師を務められた時、声を上げた美少女がお気に召したそうで……」


旦那様は黙っていた。


「あの時、声を上げた生徒はたくさんおります。どの女性なのか、調べることができます」


私は、耳寄りなニュースを披露した。


旦那様は一言も発しなかった。


沈黙の中、緊張しながら私は旦那様が喜びそうな言葉を必死に探した。


「旦那様がお気に召したという女性とは、声を上げた中でも、美少女だったそうですね。私でないことだけは確実です。私は一緒に声を上げた女性全員をよく知っておりますが、美人はたくさんおります。ですから、私ではないでしょう」


なんとも情けない。

美人じゃない、選ばれるような女性ではないと、自分で言うのは、やっぱり悲しかった。


誰にも求められない……悲しいけど、事実なんだから仕方ない。


でも、今は、それより旦那様よね。


誤解で結婚だなんて、申し訳ないわ。


「間違って結婚なさったとあっては、きっとさぞお怒りでございましょう。申し訳ないと思ってはおりますが、とにかく今は最善を尽くして、その方を探したいと思っております」


正直言うと、間違えたのは旦那様なので、むしろ私は被害者なのだけど、今後、円満離婚と慰謝料を頂戴する算段なのだ。あまり刺激したくない。


「私の気に入った女性があなただという可能性はないのかね?」


私はうなずいた。


講師にかみついた女性なんか、絶対、好まれないことはわかり切った話だ。


当然それ以外の女性になる。


大体、女がそんなことをしたら、家にとっても大恥なのだ。私も後で散々叱られて、両親や姉たちから、このことは絶対の秘密にしろと固く命じられたもの。絶対に結婚出来なくなるからって。


旦那様にも、私がその論破者だって教えるつもりはない。出来れば内緒にしておきたい。


なぜなら、旦那様はきっと顔を覚えていないから。


そんな5年近くも前のたった一回だけあったことがある女性の顔なんか、覚えられるわけがない。


声を上げた連中の中の誰かを気に入ったのだ。


旦那様の恋物語はロマンチックなのかもしれなかったが、思い込みだけの話だろう。だから、私をあてがわれても黙っているのだ。マーガレット様はじめ、皆様の誤解って怖いわよね。



「その女性はあなたなのだよ」


だから、その可能性はない。


嫌われたくないから、私じゃない理由は言わないけど。


私は、周りで喝采していた少女たちの中のうちの一人ではなかったと言えばいいのだけど、どうせ離婚するのだ。どこの男性でも絶対に嫌うに決まっている、論戦を張った張本人だなんて知られたくない。


私は情けない思いで立っていた。


殿方のお好みに合わない型の私は、多分、損。


自分ではいいところもいっぱいあると思っている。


はっきりモノを言うことも、しっかり考え抜くことも必要だと思うの。目的をもって計画を立て、修正し、目的に近づく。


でも、そんなことをしていてはダメ。殿方はもっと頼りなくて、殿方を立てて、私の方が劣っていますのとアピールする女性を放っておけないと心配なさるのだ。

結婚後は夫を支えなくてはいけない。でも、結婚前は……


父にも母にも姉たちからも、何回も諭された。もっとしなを作るようにと。男性は顔や胸を見ているのだと。いちいち殿方の意見に反応するなと。


わかっている。結婚しなくてはいけないのだ。


だけど、どうしても自分を捨てられない。



それに、毎日は無理だと思うの!


どうでもいい時は、いくらでも誤魔化せる。


だけど、いつも一緒だと誤魔化しきれない。旦那様にはきっとバレてしまう。


私には私の生き方があった。それは男性には嫌われると思う。


いつだって、正々堂々としてしまう。


「相手のことも考えなさいよ」


母や姉にはよく叱られた。


「あなたは女の子なのよ? いくら正論でも、面目をつぶされたって男の方は感じるでしょうよ。別の言い方ってものがあると思うわ。男性同士なら、お友達になれそうだけど」


こんなことではダメなのだ。マーガレット様は、そんな私を愛してくださったけれど、万人向けではない。




この結婚、ダメになるにしても、あの時、コテンパンに叩きのめした張本人だとバレたくない。だって、嫌われるもの。









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