第24話 絶叫

 大江山の鬼の悪行甚だしく、征伐の武者が集められたという噂を聞いた。

 茨木殿は無事だろうか、と気を揉んではみても私に出来ることはなにもない。

 犬狼を連れた女を捜しに京の都を出るべきだと思っても、大江山のことが気に掛かってそれもできないままぐずぐずしていた晩夏のことだ。

 夏もそろそろ終わるというのに、うだるような暑さの真昼だった。

 私はかつて大王おおきみが御幸された紫野を歩いていた。ここにはかつて紫草を始め、多くの生薬のための薬草苑があったと覚えている。たしか我が君の苑もあったはずだ。私の命もなんどここの煎じ薬に助けられたかしれない。

 いまは蝉の鳴き声すらしんしんと聞こえてくるような物寂しいばかりの地で、なかでも風葬の地の蓮台野は、あわれを催すこと限りない寂寥に閉ざされている。

 膝まである草群を掻き分けて進むと、不意に骸が転がっている。

 死ねば、だれでもおなじ。ここに横たわって土に還る。

 貴族のなかには火葬を執り行う者もあるが、そのような者の墓は船岡山に固められていた。

 私はその場所で、新しい屍を探して歩いている。

 生きた人を喰うのは、いまだにできない。

 屍とはいえ人を喰ううしろめたさと、魂離たまがれの時期の物憂さを持て余しながら彷徨っていると、ふと、童歌わらべうたを聴いた気がした。

 かぼそく、遠く、聞こえてくる。


ひい、ふう、みい、よ、すごろく遊び

乙夜いつや無道むどうの鬼退治

一の大臣おとどは二条の橋にて三ツ目の鬼と骰子遊び

さては賭けたり鬼は弓手ゆんでを大臣は太刀を

からりころころことこととん


 からから、ころろ、からから、ころろ

 不思議な声だった。すずろに悲しい童女の声。

 どこから聞こえてくるのか分からない。北に向いても西でも、はたまた東に向かっても、近づくことも遠ざかることもなく、同じように聞こえてくる。

 気になった。

 背の行李で、主殿がくうくう、くうくうとせわしく鳴いている。

 ――これは、良くないものだ。

 そう予感したが、耳を塞ぐことが出来ない。

 囚われた、と、戦慄する心もまた、どこか人ごとのように感じていた。


いつ、むう、七夜に神頼み

八坂やさか巡って北野で九度くど踏み

二位の姫宮三条寝所で五道の鬼と骰子比べ

さあさ娘御観念給いて今宵臥所ふしどの厄払い

からりころころことこととん


 からから、ころろ、からから、ころろ

 気がつくと卒塔婆の立ち並ぶ千本通を南に下っていた。

 童の声が耳にまとわりついている。

 ずいぶん内裏のほうへ向かって歩いたはずなのに、近くはならない。遠くもならない。


「もし、そこの方。骰子遊びにお付き合いいただけませんか」

 土御門大路に立っていた。

 目の前には狩衣姿の公家らしい男がいる。

 公家か? どことなく違う気配もあった。

 その姿は、ずいぶん年老いているようにも、まだ若いようにも見えて得体が知れない。

 行李のなかで主殿がしきりに羽搔きしている。

 くるる、こうこう、こうこう、くるる

 嗚呼、これは。

 これは良くない。

 この男は――

 ――ここは一条戻橋。こわい陰陽師の式神が見張っておるゆえ、鬼にとっては良くない場所じゃ。

 耳の奥で茨木殿の声が甦った。

「――陰陽師」

 目の前の男の紅い唇が、に、と吊り上がった。


 なにゆえ、私が双六をせねばらなないのか。

 私は陰陽師の屋敷、庭の見える部屋の片隅で男と差し向かいで座っていた。

 いや、座らされていた。

 背に負っていた行李は私の左手においてあり、腰に佩いた履柄守くつつかのもりの剣もそのままある。

 剣は使おうと思えば使えたが、行李にはいつの間にか不動明王の封印が施されていた。

 なかの主殿は、ひそりともしない。

「ご安心なさい。なかのものは無事です。ただ、しばらくおとなしくしていただきたいだけです」

 陰陽師は私のまえに双六盤を置いてそう言った。

「大江山を攻めあぐねているのです」

 陰陽師が木に漆を塗った壺と骰子を私に手渡した。

「先手はあなたで」

 からから、ころろ

 私は壺を振って骰子を転がす。陰陽師の声に、逆らえない。

「二、五」

 出目の通りに駒を進めた。


ひと夜、ふた夜と深山みやまで難渋

鬼の迷い十重とえ二十重はたえ

三門守護さんもんしご武者むしゃ揃え、七夜の空に護摩焚いて

よいよ八部衆ここが急所と心得給え

からりころころことこととん


 どこからかまた童女の声が聞こえてきた。

 からから、ころろ、からから、ころろ

 私は詞もなく、骰子を振る。

 最初は私が先んじていたが、陰陽師の出目に次第に追いつかれそうになっていた。

 追いつかれ、追い抜かれる。

「大江山にはしゅがかかっている。加えて、酒呑童子のたまにも。魂なき鬼の魂とは、言葉遊びのようなものですが、人とは違う因果があるに違いない。おそらくは我々のこの征伐があるのを予見して、幾日もかけて茨木童子が施したものです。それが骰子にかかわる呪だということは、はやくに見切っていました。けれども、解けなかった」


 からから、ころろ、からから、ころろ

 私の手が、骰子を振る。

 気が狂いそうなほど焦り、苛立っているにもかかわらず、表情すら自分の意に沿っては動かせない。


ひと、ふた、みい、夜ごと五穀の酒醸し

八幡菩薩の功徳くどくあり、授けられしが神変奇特酒しんぺんきどくしゅ

四神宿せし頼光殿、酒呑しゅてん相手に呑み比べ

やあや楽しき宴も果つるよ

からりころころことこととん


「そう、茨木童子の呪には、あなたが絡んでいた。おそらくは意図したものではなかったでしょう。偶然の出逢い。だからわたくしにも読み切れなかった」


 からから、ころろ、からから、ころろ

 私の駒は次第に引き離されつつあった。こころを籠めて骰子を振っても、よい出目が出ない。

 この骰子遊びを上がってしまうとどうなるか、震えるほど恐ろしかった。


 ――おのれ頼光、鬼に横道はなきものを鬼だとてそこまでの卑怯はせぬものを――

 几帳の影が動いた。

 鎧武者の影に伐り飛ばされるひとつ角の男の影。

 だが、鬼は首だけとなってもなお、武者に襲いかかる。


「酒呑童子は魂魄を分かち、魂をどこかに隠している。そしてそれをあなたは、きっと知っている」


 知らない。

 そんなものは知らない。

 私はようやく動かせるようになったのを感じて、首を横に振った。

 けれども――そう、私は、きっと知っているのだ。


ひい、ふう、みい、よ、すごろく遊び

――黒装束ぞ美しき、鬼に引かれて根の御殿ごてん

五色の領巾ひれ帯び化身せし、鬼女を捕らえて渡辺綱

――白無垢女御しろむくにょうごぞ、上がりけれ

そっ首刎ねて――


 私の脳裏で、あの日、茨木童子と娘が交わしていたすごろく歌が甦る。

 あの歌では、娘は鬼の嫁となって――


「綱殿、その女です!」

 陰陽師が几帳の影に向かって武者の名を呼ばわった。

 武者の影の三歩先に、ひとつ角の娘の影。

 いけない。

 いけない。

 あの娘の命が失われてしまう。

 茨木殿はあのとき、あの娘の身体になにごとか呪をほどこしていた。

 それが断ち切られれば、きっとあの娘も酒呑童子も、命を失ってしまう――

 私は満身の力で立ち上がり、履柄守の剣を抜き放って、几帳の影に斬りかかる。

 几帳が断ち切られた。

 影の武者はよろめいたようだった。

 しかし、その刹那、娘の胸に矢が三本、同時に突き立った。

 娘の身体がくずおれて、頼光に襲いかかっていた酒呑童子の首は精気を喪い腐れ果ててゆく。

「おのれ、よくも――!」

 私の耳を貫く叫び。

 その声は、紛うことなく茨木童子――


 私は紫野のまなかに立っていた。

 土御門大路も、陰陽師の屋敷も、どこにもない。

 右手には履柄守の剣を抜き身で持ち、地面に主殿の行李を置いて立っていた。

 行李には、不動明王の封印が貼られていた。


からりころころことこととん

からりころころことこととん


 どこかで童歌わらべうたの声がする。

 すずろに悲しいその声音。


 絶叫

 それは私の――

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