第25話 キラキラ

 陰陽師に行き逢った十日後に、私は大江山に登った。

 あのあと、都では鬼退治の武者たちの凱旋があり、酒呑童子をはじめとした鬼の首が四条河原に並べられて晒された。

 そこに茨木童子の首はない。

 その事実にほっとしながら、緑深い山に分け入る。

 いま、彼に会ったとしてもなんの意味もないことは分かっていた。

 会うべきではないのかもしれない。

 そもそも、大江山のどこに行けば会えるのか、その宛ても私にはないのだ。

 ほかにすべもなく、かつて彼と出会ったれ寺にたどり着く。

 日が暮れかけていた。

 なかば朽ちた中門を越えてなかに入り、床板を踏み抜かぬように講堂の外陣から内陣を覗いて、息を呑む。

 ――茨木殿

 内陣の中央、眠っているかのように目を瞑って座す、茨木童子。

 冠は被らず褐衣かちえ姿。腰に太刀こそ佩いていたが、戦の塵芥はすでに祓いおとされて、清らな佇まいだった。

「お待ちしていたような、そうでもないような」

 彼は私の気配に気づき、ゆるりと目を開いてそう言った。


 口を開きかけた私に、「存じていますよ」と、彼は沈黙を促した。

「あなたが気に病むことはなにもありません。わたしの呪が、陰陽師のそれに及ばなかっただけのこと。むしろ、彼女には悪いことをしてしまった。酒呑童子の魂を彼女に寄せておく、そのような呪法に巻き込まねば、負け戦と分かったところで早くに逃がしてやれたものを」

 私の心の澱を除いてくれているのだ。ただそれだけのために彼はここで待っていたのだ、それが分かるだけに哀しかった。

 そして、実際、彼の詞に救われた気持ちになる自分の浅ましさにうんざりする。

「土蜘蛛……この山に棲まう者たちがそう呼ばれていたころから、わたしは生きていたのです。そう申し上げて、あなたは信じるでしょうか」

 私は頷いた。

 彼がそう言うのならば、そうなのだろうと思える程度には、私は彼を心安く思っていたが、「信じられぬ」と否定できるほど、私は彼のことを知らない。

 史書に『土蜘蛛』の名が最初に現れるのは神武天皇のころで、私の生まれたころから遡っても六百年ほど昔のことになる。

 私の生まれたころには、もう土蜘蛛は昔語りのなかの者になっていた。

 山岳に棲み、洞穴を駆使して大王おおきみの軍を幻惑した異形の民。

 大王に刃向かい、亡びていったまつろわぬものども。

「おなじことの繰り返し。あやまつたびに浮かばれぬ者は増えてゆく。わたしはそれに応える術がない。こんどこそは、と、繰り返すことでしか」

 いつのまにか日は暮れおち、内陣は薄紅い闇に閉ざされている。

 茨木童子が立ち上がった。

 彼のまわりに淡い光が浮かび上がる。

 ――たまだ。

 そう思った。

 茨木殿を囲むそれらは、時の朝廷を相手に彼とともに幾度となくった人々の魂なのだ。

 けれども、そうならば。

 ――魂は、還るものなのですよ。

 人は魂となって、根之堅洲國ねのかたすくに妣國ははのくにへ還ってゆくものなのです。

 寄せては還す波のように彼方から来たりてまた去って行く、そういうものなのです。

 それが現世に留まっているのは、亡き者たちの意思ではなくて、きっと――

「また、お目にかかれますか」

 私は詞を呑んで、別の詞を口に乗せた。

 茨木殿であれば、私の言おうとしたことなど、百も承知のことだろう。

 それでも、彼はそうするしか術がないのだ。

「いつかまた」

 茨木童子はそう応えて、夜の闇のなかへ融けていった。

 月明かりの降るなか、振り返ったその横顔に、光るものがあったように見受けられたのは、私の迷いの見せたものか、あるいは彼を慕う魂の輝きか、それとも。

 きらきらと、キラキラと、綺羅綺羅と一筋、彼の頬に涙のように輝くそれがなんであったか、私には分からなかった。

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