第7話:光のために

「じゃあみんな、また後で」


「うん。また」


 コウ達と別れ、いつもの三人になる。彼らの姿が見えなくなると、夕菜が呟いた。「びっくりしたね」と。


「うん。けど……良かった。また会えて」


「そうだね」


 やはり明凛と夕菜は、彼を私達の親友として受け入れているようだ。受け入れられないのは、私だけ。そのことを二人に正直に話す。

 コウという見知らぬ男性に、親友を殺され、さらに顔と記憶を奪われたような気分だと。二人は私を責めなかった。


「分かってるの。ヒカリは殺されてなんかいない。彼の中で生きてるって。私達と過ごした時間は大切な思い出だって言ってくれたこと、嬉しかったの。だけど……すぐには割り切れない……」


「……この後の同窓会、どうする? 欠席する? あたしは悪いけど行くよ。ヒカリと——コウともっと話がしたい。あたしの知らない、親友の本当の素顔を知りたいから」


「私も行くよ」


 正直、彼の姿を見るのは辛かった。だけど、今ここで彼を拒絶したら、私は一生彼を受け入れられないと思った。私はヒカリが好きだった。そのヒカリはもう居ない。だけど、彼女の記憶と思い出と顔を引き継いで生きる彼のことを憎しみながら一生生きるのは嫌だった。受け入れたかった。私が恋した女性の、本当の姿を。私の恋を醜いまま終わらせたくなかった。


「行く。ここでコウから逃げたら、私は一生彼を受け入れられないままだから」


「よし、よく言った。じゃあまた後でな」


 一度二人と別れて家に帰り、化粧を直す。鏡を見ながら、表情を作る。私はずっと、自分の本心を隠して生きてきた。だから、偽ることには慣れている。慣れてしまっている。きっとヒカリも、そうだったのだろう。私の恋したヒカリは偽りの姿だったのだろう。だけど……


『お守り代わりにしてた。みんなとの思い出だから』


 あの言葉は——私達と一緒に居た時の笑顔は偽りではなかったと信じたい。


「二人とも、お待たせ」


「大丈夫?」


「……うん。大丈夫」


「ん。じゃあ、行こっか」


 明凛達と合流し、駅へと向かう。すると駅前には既にコウの姿があった。その隣には鈴木の姿も。思わず隠れて、会話に耳を傾ける。


「ホルモン治療をしたら声も低くなるの?」


「あぁ、うん。個人差はあるけど、大体半年くらいで低くなり始めたよ。しばらくは声出しづらくて、変声期ってこんな感じなのかなーってちょっと嬉しかった。女にはないからな。変声期。安定したらどんな声になるんかなーってちょっとわくわくしたよ」


「イケボになったね」


「だろ」


 普通に話してる。デリケートな話題を。その会話の内容と雰囲気から『夜明ヒカリとして生きた過去は捨ててないつもりだよ』という彼の言葉は本心だったことが伝わってくる。


「あれ、三人とも何してるの?」


「しー! 今、鈴木とヒカリが良い雰囲気なの」


「良い雰囲気って」


「あー……でも確かに。合流しづれぇな……」


 安藤と滝も加わって一緒になって二人の様子をしばらく見守っていると、二人がスマホを気にし始めた。私もスマホを見る。約束の時間はすぎている。

 すると、滝のスマホから着信音が鳴り始めた。その音で二人もようやく私達に気付く。


「おいおい。いるなら出てこいよ。いつからそこに居たんだよ」


「だって! なんか良い雰囲気だったから!」


「ったく……揃ってんなら早よ行くぞ。遅刻すんぞ」


「コウが湊といちゃついてるのが悪い」


「いちゃついてねぇよ。変な気使うなバーカ」


 言い争うコウと滝の後に続き、地下への階段を降りていく。その雰囲気は、本当に普通の男友達だ。ヒカリの頃は男友達なんて安藤と鈴木くらいだったのに。滝とヒカリが二人で話していたところなんて、ほとんど見たことがなかった。

 胸のもやもやを隠しながら、最後尾を歩く。時々振り返るコウと目が合う。ついてきてるか確認してくれているのだろうけど、そのまま置いて行ってほしかった。

 重い足を必死に動かす。


「月華ちゃん。何飲む? ビールで良い?」


 夕菜に突かれてハッとする。気付いたら会場についていて、席についていた。


「あぁ、うん。ビールで良いよ……」


「ん。分かった。ビールで良いって」


 私の隣に夕菜、その隣に明凛が座っていて、正面に男子達が座っている。安藤、鈴木、滝……そしてコウ。男子達の中に混じる彼は違和感なく溶け込んでいた。

 コウが笑うたび、ヒカリの笑顔が蘇る。だけど、彼女はもう居ない。ここには居ない。声も聞こえない。ヒカリに会いたい。声が聞きたい。だけどもう、それは叶わない。

 雑踏に耳を傾けて、この現実から逃げるようにひたすらビールを流し込んでいると、ふと何処からか声が聞こえてきた。


「そういやさ、夜明さんっていたじゃんね」


「あー、あのおっぱいでかい子?」


「そう」


「あの子さ、男になったらしいよ」


「マジで? え? どういうこと?」


「トランスジェンダーってやつらしい」


「今日来てんの?」


「確か、日出さんと仲良かったよな。あの辺にいるんじゃね?」


「もしかして、鈴木の隣の奴?」


「えっ、嘘。あのイケメン、夜明さんなの?」


「確かにイケメンだけど……もったいねぇなぁー……あんな良いものもってたのに」


「おい、その言い方はないだろ」


「でもさー」


 楽しそうだったコウの顔が曇る。その顔が、最後に話した日のヒカリの顔に重なる。胸がちくりと痛んだ。目が合うと、彼は笑った。作り笑いだった。あの時と同じ。

 私の親友を悪く言うんじゃないって、あいつらに言ってやりたかった。だけど言えなかった。コウという男を受け入れられない私にはそんな資格はなかった。だけど、彼の傷ついた顔は見たくなくて——。

 そんな時、夕菜の隣に座っていた明凛が急に立ち上がった。そのままコウの隣に行き、彼に自分の上着を被せて、腕の中に隠すようにして上着ごと抱き寄せ、噂をしていた男子達の方を睨みながら叫ぶ。


「見せもんじゃねぇんだよこの子は! じろじろ見んじゃねぇよクソどもが!」


 すると、会場がシーンと静まり返り、何事? とざわつき始める。


「……明凛。良いよ別に。ああやって言われることは想定してた」


「あんたが良くてもあたしが良くないんだよ馬鹿。何が勿体無いだ。コウの気持ちも知らないで」


 そう言ってから彼女はハッとして「あたしも、人のこと言えないか」と自戒するように呟いた。そんなことはない。明凛は彼を受け入れている。怒る資格はある。この中で彼らに何も言えないのはきっと、私だけだ。


「……そんなことないよ。明凛は俺のことを知ろうとしてくれた。俺を傷付けないように、細心の注意を払いながら。何も知らずに馬鹿にしてくる奴らとは違う」


「……ヒカリ——あ……ごめん。今はコウだったね」


「どっちでも良いってば。何度も言うけど、俺は別に捨てたつもりはないんだ。ヒカリという名前も、女だった過去も。俺の過去には、苦しいこともたくさんあった。けど、それ以上にみんなとの大切な思い出が詰まってるんだ」


「ヒカリ……」


 静かになっていた会場に誰かの声が響く。「何? 二人ってそういう関係なの?」と。そして「あぁ、だから男になったんだ」「でも夜明さん、中学生の頃、鈴木くんのことが好きだって言ってなかった?」「カモフラージュだろ」と続く。

「やめなよ」という制止の声も微かに聞こえたが、それでも嘲笑の声は止まない。

 私は知っている。心の性別と恋愛対象は関係ないということを。女性が好きであることは、自分の心が男性である証明にならないということを。私はそれを、身を持って知っている。だけどそのことは、誰も知らない。誰にも話してこなかった。自分の中に秘めて生きてきた。


『俺、決めたんだよ。FtMとして生まれて可哀想なんて誰にも言わせねぇって。……他人にはもちろん、自分自身にもな』


 コウの言葉が蘇る。だったら叫べよ。今。俺は俺で何が悪いんだって。堂々としてみせろよ。そんな覚悟で生きるくらいなら、ヒカリを返してくれよ。私の大好きな女の子を返してよ。

 私の醜い心が彼に罵声を浴びせる。この声が彼に届かなくて良かったと思った。

 私はあの日、大好きな彼女を傷つけた。そして今度は、彼女の心を引き継いで生きる彼を傷つけようとしている。

 ここで声を上げられなかったら、私はきっと彼の眩しさに心を焼かれ続けるままだ。私の心は、醜いままだ。コウがヒカリを殺したと、憎しみ続けることになる。嫌だ。嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。コウのことを受け入れたい。これ以上彼を傷つけたくない。彼を笑うあんな奴らと一緒にされたくない。ヒカリの顔を、記憶を、思い出を、思いを——全てを引き継いで生きる覚悟を決めた彼を、受け入れたい。許したい。


「っ……!」


 机を思い切り叩く。会場のざわつきが止まる。震える声で、言葉を紡ぐ。


「私はこの通り、女です。そのことに違和感を覚えたことは一度もない。だから、ヒカリの——コウの気持ちは分からない。理解出来ない」


 私の大好きな彼女を奪った彼を、今はまだ受け入れられない。だけど、受け入れたい。これ以上傷つけたくない。あの時傷つけたお詫びがしたい。そのために私が出来ることは、一つだけ。


「けど、一つだけ身をもって理解出来ることがある。心が男だからといって恋愛対象が女だとは限らないってこと。だって私は……私は……」


 私はレズビアンだ。ずっと隠して生きてきた。ずっと嘘をついて生きてきた。傷つけられて生きてきた。だけどきっと、ヒカリは——コウは、私以上に傷ついてきただろう。私も彼を傷つけた一人だ。だからせめて、言ってやりたい。私のような人間が居ると伝えることで、彼の恋が偽物ではなかったと証明したい。

 だけど、上手く言葉にならない。喉につっかえて、出てこない。すると、鈴木が私を見て微笑んだ。「雨夜さん。大丈夫だよ」と。

 私は彼が嫌いだ。私の好きな人の秘密を、唯一共有した人だから。それほどまでに信頼された彼に嫉妬していた。だけどそれ以上に、私は私が嫌いだ。コウを受け入れられない私が。ヒカリを返せと思ってしまう私が。女性にしか惹かれない私が。大嫌いだ。

 だから私は叫ぶ。大嫌いな私と、大好きな彼女に対する恋心と決別するために。私の大好きな人の意思を引き継いで生きることを決めた彼を受け入れるために。そして、同性しか愛せない自分を受け入れるために。もう二度と大切な人を傷つけないために。叫ぶ。


「私は! 身も心も女だけど! 男を好きになったことなんて一度もなかった! 普通になりたくて、何度か男と付き合った。女に惹かれる自分が大嫌いだった。おかしいって思ってた。普通になりたかった」


 だけど……だけど、もう良い。私はもう、良い。普通になんてならない。


『俺、決めたんだよ。FtMとして生まれて可哀想なんて誰にも言わせねぇって。……他人にはもちろん、自分自身にもな』


 そう。私はレズビアンだ。それの何が悪いんだ。私は私だ。


「あんたらみたいな、人の尊厳を傷つけて笑って居られる最低な奴らが普通だと言うなら、私は普通じゃなくていい! 大好きな親友を傷つけるあんた達と一緒にされるくらいなら、今ここで宣言してやる! 私は! 私は、身も心も女だけど! 恋愛対象は女です!!」


 言えた。言い切った。

 静まり返った会場に「なに急に」と誰かの乾いた笑い声が響いた。その冷たい声が心を突き刺す。だけど、大丈夫。鈴木が大丈夫だと、言ってくれた。ヒカリに自分らしく生きる勇気を与えたあの人が大丈夫だと言ってくれた。

 鈴木の方を見る。彼はにっと笑って、親指を立てた。いい演説だったよと言うように。


「あの」


 その時、静寂に再び、誰かの声が響いた。声の出どころを探すと、ここですとアピールするように腕が真っ直ぐ伸びていた。手を挙げていた一人の男子が立ち上がり、震える声で一言。「実は俺、バイです。身も心も男だけど、男も女も恋愛対象です」と。そして慌てて「かと言って誰でもいいわけじゃないから! そこは勘違いしないでほしい!」と付け足した。

 その後も、次々と「実は自分も」とセクシャリティをカミングアウトする人達が現れ、場の空気が変わっていく。


「……なんか、意外と居るんだね。みんな、言えなかっただけなんだ」


 夕菜が呟く。


「……月華の演説のおかげだな。ありがとう。月華」


 コウが明凛の上着の中から出てきて、私にお礼を言う。今日初めて、ちゃんと目があった気がする。やっぱり彼はヒカリだ。私の好きだった彼女だ。彼に対する憎しみが消えていく。


「……ううん。こちらこそありがとう。……明凛、夕菜、それから……コウ。ずっと黙っててごめん。これからも友達で居てくれる?」


 私の言葉に三人は迷わず「当たり前でしょ」と笑った。分かっていた。そう言ってくれることは。だけどやはり、涙が堪えらなかった。

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