第6話:再会したあの子は

 それから二年が経ち、成人の日がやってきた。家を出て明凛と合流すると、明凛は私に「さっき光から連絡来た」とスマホ画面を見せてくれた。私はまだブロックされているのかと落ち込みかけたが、少し遅れて、私と夕菜のところにも「今日の二次会で全て話すから。待たせてごめん」とメッセージが。


「やっと光ちゃんと話せるんだね」


「長かったわー……けど、とりあえず生きてることは分かってよかった」


「……」


「月華ちゃん?」


「……なんでもない」


 ようやく、彼女と会える。それは嬉しくもあり、不安でもあった。会いたいような会いたくないような複雑な気持ちだった。

 彼女はどこをどう整形したのだろう。別人になるほど変わってしまったのだろうか。




 成人式はあっという間に終わった。

 同窓会までの時間を潰すために一旦帰り、私服に着替えて明凛達とカフェに向かった。

 中に入ると、男性四人組が目についた。その中の一人と目が合う。その顔には見覚えがあった。光の好きだった鈴木湊だ。明凛と夕菜も彼に気づき、近くの席に座る。

 鈴木と一緒にいたのは従兄の安藤あんどう和希かずき、二人と仲が良かったたき蓮太れんたそしてもう一人。その人は、光によく似ていた。


「そっちのイケメンくんは? 別の学校の子?」


 明凛が、光似の男性の方を見て問う。男性はイケメンと言われたのが嬉しかったのか一瞬、少し嬉しそうに目を輝かせたが、すぐに俯いてしまう。そして、心を落ち着かせるようにふーと息を吐いた。胸騒ぎがした。

 男性が顔を上げ、名乗る。


だよ。


 彼女によく似た男性は、彼女の名前を名乗った。一瞬、理解出来なかった。沈黙が流れる。

 顔は確かに彼女だ。だけど……身体は男性そのものだ。ふくよかだった胸は平らになっており、喉にはうっすらと喉仏があるように見える。声も違う。身体つきもどことなく筋肉質で、柔らかそうじゃない。

 彼女の名を語る得体の知れない男は「まぁ、そうなるよな」と苦笑いしながら頭を掻いた。その表情が彼女に重なって、嫌な汗が出る。嘘だと、言ってほしかった。悪い冗談だと。


「夜明……ヒカリ? えっ?」


「ヒカリ……ちゃん……?」


「いやいや、嘘でしょ。だって、どう見ても……」


 だって、どう見ても男だ。ひかりは女の子だ。誰なんだこの男は。私のひかりはどこへ行ったんだ。


「……あー。でも確かに顔はヒカリだなー……」


 明凛が言う。

 違う。違う。違う。光じゃない。

 するとひかりに似た男は、彼女によく似た笑顔で言う。


「聞きたいことあるなら聞いて良いよ。答えたくないことは答えないだけだから。遠慮なく聞いて」


「じゃあ……あんたが夜明よあけひかりだって証拠は?」


 私がそう言うと彼は少し困ったように笑った。その顔が、最後に会った日のひかりの表情と重なる。

 明凛と夕菜と滝が、その言い方はどうなんだと言うような、責めるような視線を私に向ける。だけどひかり似の男は私を責めなかった。それから鈴木と安藤も。


「昔の写真とかスマホに入ってたりしないの?」


鈴木が男に声をかける。すると彼は「あぁ、あるよ。みんなとの写真」と言って私にスマホを渡した。そこには、私が好きだったひかりが居た。セーラー服を着て、スカートを履いた彼女が。夜明よあけひかりという女の子が。目の前にいる男と改めて見比べる。やはり、顔は変わっていない。だけど身体つきも声も、もう女性のそれではない。


「それから、これも持ってる」


 彼がもう一つ証拠としてカバンから出したのは、紐が切れたペンギンのストラップだった。私たち四人の、思い出の品。


「昔、四人で水族館に行った時にお揃いで買ったストラップ。……これじゃ証拠として弱い?」


「……あんた、それ、ずっと持ってたの?」


「……うん。お守り代わりにしてた。みんなとの思い出だから」


「……そう」


「あたしも取ってあるよ。家のどっかに」


「どっかって……明凛ちゃん、それ絶対無くしてるでしょ」


「はははっ。明凛らしいわ」


「あ、今の笑い方ヒカリそっくり」


 明凛が言う。もうやめてと言いたかったが、ヒカリと名乗る男性は、ひかりと同じ笑い方をしながら追い討ちをかける。


「だからヒカリだって言ってんだろ。名前も見た目も声も、それから性別も変わった。けど、夜明ヒカリとして生きた過去は捨ててないつもりだよ。みんなのことは、今でも親友だと思ってる。……なんて、今まで連絡しなかった人間に言われても信用出来ないかな」


 そう言って、ひかりの名を語る男性は私を見た。信じたくなかった。だけど、あのストラップを見せられてしまっては信じざるを得なかった。


「……整形って、そういうことだったんだ」


「……うん。そう。そういうこと」


「……名前、変わったって言ったよね」


「うん。今はヒカリじゃなくて、コウって名前なんだ。けど、今まで通り呼びたかったらそれでも構わないから」


 コウ。その名前には聞き覚えがあった。鈴木が彼女のことをそう呼んでいた。ある日突然、そう呼び始めた。光はコウとも読めるからという、訳の分からない理由で。


「コウ? コウって……確か、鈴木がつけたあだ名?」


「もしかして鈴木くんは昔から知ってたの?」


 夕菜の疑問に、コウと名乗った男性は頷く。


「うん。湊だけには打ち明けてた。他は、両親以外誰にも言ってない。……君達にも話せなかった。本当に、悪い」


「……ううん。こっちこそ、全然気づかんかった。ごめん」


「そりゃ気づかんよ。心なんて誰にも見えないんだから」


 心なんて誰にも見えない。その通りだ。そのことで私は散々傷ついた。だけど今は、見えなくて良かったと思った。ヒカリの名前を語るこの男に対する憎悪や嫌悪、そんな感情を抱いてしまう自分に対する自己嫌悪を悟られずに済むから。


「……鈴木のこと好きだって勝手に決めつけてごめん」


 明凛が言う。するとコウは言った。「それは間違いじゃないよ」と。思わず鈴木の方を見る。


「で、でも、そのヒカリちゃ——コウくんは……」


「男だよ。戸籍も男になってる」


「……つまり? 身体は女で? 心は……ゲイ?」


「バイなのかゲイなのかそれ以外なのかは、まだよく分からん。けど、湊に対する感情は恋だったよ」


「……あんた、よく本人の前でサラッと言えるね……」


 驚いたが、考えてみれば私もレズビアンだ。身も心も女性だが、恋愛対象は女性。性別に対する違和感と恋愛対象は別であることは私のヒカリに対する恋愛感情が証明していた。

 そして同時に、コウというヒカリと同じ顔した男に対する嫌悪感や憎悪が、私はヒカリが女性だから恋したのだということを証明していた。コウという男には、一切ときめかなかった。私が好きだったのはという人ではなく、という女性だったのだ。中身は変わっていないはずなのに、本当は男性だったと知った途端、恋心は行き場を無くし、彷徨う。


「えっと……付き合ってるの?」


「いや。残念ながら彼女居るって」


「それなのに堂々と……」


「別に、奪う気はないよ。俺は湊が幸せならそれで良いから」


「僕も、コウくんには幸せになってほしい」


 サラッと言えてしまう鈴木の純粋さが羨ましかった。やはり私はこの男が嫌いだと思った。綺麗過ぎて、自分の醜さが際立つから。


「今でも充分幸せだよ。俺のことを受け入れてくれる人達がいて、親にも好きに生きろって言ってもらえて、俺は凄く恵まれてる。前世の俺、めちゃくちゃ徳積んでたのかも。まぁ、生まれてくる性別は間違えちゃったけど……女性の身体を経験するっていう超貴重な体験を出来たと思えばいっかなぁって」


 そう言ってコウは笑い飛ばす。ヒカリだった頃でも見たことないくらい、明るい笑顔だった。


「うっわ。すげぇポジティブ……」


「俺、決めたんだよ。FtMとして生まれて可哀想なんて誰にも言わせねぇって。……他人にはもちろん、自分自身にもな」


 その時、最後に会った日のヒカリの言葉が蘇る。


『必要なんだよ。私には。私が私らしく生きるためには』


あれはそういうことだったのかと、ようやく理解した。だけど複雑だった。私が愛した夜明ヒカリという女性を否定されたみたいで。

 ヒカリは殺された。コウという、彼女と同じ顔をした男に。

 いいや、違う。生きている。彼の中で。分かっている。分かっていても、すぐには認められなかった。

 みんなが彼をあっさり受け入れる中、私は一人、コウという男性に対する憎しみを燻らせていた。だけど同時に、素直にカッコいいと思ってしまった。レズビアンであることを隠して生き続けてきた私には、過去を捨てずに受け入れて前を向いて生きようと決意した彼の姿は眩しくて仕方なかった。

 そのまま彼の眩しさに焼き尽くされて、この世から跡形もなく消えてなくなってしまいたかった。


 

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