第34話 外道(後編)
「よーしっ! 完了ぉー!」
両手をあげて、満面の笑顔で子供のように少女が叫ぶ。
土に汚れた彼女の前には綺麗に手入れのされた花壇があった。長い間放置され荒れていたところを一からやり直したもの。園芸部の活動の結果である。
同じように汚れた姿をしている潮山千次が呆れ気味にぼやく。
「よくもまあ、そんなに元気があるな」
土に肥料に水。仕事は山積みで必要な物も重かった。園芸部の活動は彼女の言う通りに、そして千次の想像以上に重労働だった。
千次は元々花壇なんて好きではなかったし、園芸部にも興味はなかった。
なのにこんな事をしたのはただの交換条件。「不良っぽい見た目に反した花を愛でる男子」という不本意な噂を流されたくなかっただけである。
結果としてその通りの状況になってしまったのだが。
巻き込んだ張本人である彼女は自身も疲れているはずなのに、楽しそうににやついていた。
「おやあ、もうバテた? 潮山君は見た目だけで大したことない男だったのかな?」
「お前がさんざん仕事押し付けたせいだろうが」
「失礼だな。あたしもちゃんとやってただろう? そりゃあ女の子に出来ない力仕事は、簡単に出来そうな男の子に任せたけども。それとも、やっぱりバテたのか?」
「いや、簡単だったよ畜生」
「ははっ。悪い悪い。意地悪だったな……でも、おまえは最後までやったんだ。理由はあったと言っても、こっちの方を選んでな」
単なるふざけ合いの調子から一転。今度は腕組みし、神妙な顔で含みのある内容を語った。
そして彼女は問いかけてくる。
「どうだ? 潮山。自分で作った花壇の感想は」
言われ、千次は花壇を改めて見た。すると自然にそれを作った過程が思い出される。
ただ疲れるだけではなかった。心地いい時間があった。
花を愛でる趣味はないが、手をかけた愛着はある。文句を言っていても、彼女との作業は賑やかで退屈しないものだったのだ。揉め事も八つ当たりもほとんどなくなるぐらいに。
だから千次はぶっきらぼうに、しかし穏やかな笑みを浮かべて言った。
「……ま、悪くはねえんじゃねえか」
「そっか。なら充分だ」
返答を聞いた彼女は微笑みを見せた。
感情を無理に覆い隠して形だけ整えたような、そんな切なくて儚い微笑みを。
果たして――
この時の彼女は、本当にこんな悲しげな顔をしていただろうか。
「だああっ!」
「ぜああっ!」
両者共に引けをとらない気迫の乗った雄叫びが、生まれ続ける金属音を上書きしていく。
片や手数に勝る二振りのナイフ。片や一撃が重い鉈。縦横無尽に刃物が煌めく。
凶器と凶器がぶつかり、音と火花がばらまかれる。刃をこぼれさせ、皮膚を切り裂く。
しかも衝突するのはナイフだけではない。
拳、脚、肘、膝。あらゆる部位による殴打もまた、手傷を与える為に、あるいは隙を作る為の攻撃手段として飛び交っていた。
凄惨な暴力の激しい応酬。
潮山千次と枯村軍毅は、互いに獣の形相で殺し合いを繰り広げていた。
初めは押されていた千次だが、今やほぼ互角だ。相手の方にも多くの傷が刻まれている。
戦闘技術や精神面。負けていたそれらが、あの宣言以降では見違えるように補強されていた。煮えたぎる殺意によって。
彼女の思いを捨て、自らを外道だと認めたが故の結果だった。
二人共痛みや疲労で鈍る様子は無い。決着まで、どちらかが死ぬまで、殺意は衰えなさそうであった。
ただ、彼らについていけず先に音をあげてしまう物があった。
敵の刃をナイフで受けた千次は、その直後に驚愕を顔に浮かべていた。
「なっ!」
千次のナイフが真っ二つに折れたのだ。ずっと受け続けたせいか、限界だったらしい。
動揺し、短い時間だが体が強張る。
その隙に柄で手首を叩かれ、残る得物も落としてしまう。更にそれを蹴り飛ばされ、もう一本のナイフは遥か遠くまで飛んでいった。
千次の手に、武器はもうない。
「勝負あったかァ……?」
笑みを深めて迫る軍毅。
焦りを見せつつも千次は後退し、柄だけになったナイフを投げた。やはりと言うべきか、それは容易く弾かれる。
そんな敵に背は見せられない。警戒し、後ろ向きに走った。
逃げの一手ではあるが、殺意よりも生存本能が上位になった訳ではなかった。
千次はキョロキョロと辺りを見渡していた。木でも岩でも、何か武器になる物を求めて。
彼はまるで諦めていなかった。未だ強い殺意に支配されていたのだ。文字通り血眼になって探す。
そして、見つけた。
この場所に馴染む色合いをした巨体を。身動きが取れない熊型の魔物だった。低い呻きには哀愁すら漂う。
その痛々しい姿が、彼女の姿と重なった。
自らの苦しみを隠して、千次を労るように、あるいは無言で説得するように微笑んでいる。そんな彼女が目の前に浮かんだ。
それが呼び水となって当時の体験が思い起こされる。
弱々しい声と姿。聞けなかった最期の言葉。殺人者へ抱いた憎悪。間違った誓い。そして、冷たくなった体。
結果として、ある衝動が強く湧きあがる。千次の意識が、決意が明確に定まった。
――まだ、死ねない。
軍毅に背を向け、急いで倒れた魔物に駆け寄り手をかける。
「んん? 今更逃げようってのかァ……?」
怪訝な顔をしつつも追ってきた軍毅へ、切断された魔物の腕を拾って投げる。
重さを考慮してか、彼は防がずに体を捻って避けた。充分な時間稼ぎだ。
その間に千次は魔物の肉体を踏んで押さえ、両手でそれぞれ別の部分を掴み全力で引く。
みちみち、ブチン。
生々しい音を立てて、もう一本の切断された腕から二本の爪が離れた。魔物の爪を千切りとったのだ。
そして軍毅へ向き直る。
両手に構えるは即席の武器。示すのは最後の最後まで殺し合いを継続する意思だった。
――向こうで奴の死を確認しない限りは……死んでも死にきれない。
痛々しい魔物に重なっていた彼女が、悲痛な顔になった――気がした。
言外の殺意を感じ取ったか、殺人鬼は高らかに笑う。
「いいぜェ、いいぜェ! そおっ、こなくちゃなあッ!」
楽しそうに吠えた軍毅と、再度衝突。
飛び込みながら互いに一撃。刃物と爪が激しく打ち合う。状況にそぐわぬ澄んだ音色が耳を打った。
やはり魔物の一部は頑丈。武器としても問題はないようだ。
二人の外道は、再び切り結ぶ。
千次は真上からの降り下ろしを左で防ぎ、右は脇腹を狙う。
それは手首を掴まれ阻止された。そのまま引っ張られ、腹に膝を入れられる。ただし千次も左の爪を肩に刺していた。
それを傷を広がるように引き抜き、一度距離をとる。手首は掴まれたままだ。
その部分めがけて鉈が降り下ろされた。あの魔物と同じように切断するつもりだ。
左の得物がギリギリで割り込む。右手の消失は免れたものの、力に押され自らの得物で腕が強烈に圧迫される。それこそへし折れそうな程に。
ただ、それ以上の危険があった。
「っ!」
足に痛みが生じた。踏まれたのだ。逃がさない為に。
そして放たれる、首を刈る一閃。
避けるにはしゃがむしかない。が、その先には膝蹴りが待っているはずだ。
だから千次は、食い縛った歯の隙間から獣めいた雄叫びを響かせた。
「うああっ!」
しゃがみながら仰け反らせていた体を、その反動で勢いをつけぶつける。
膝蹴りを、頭突きでもって迎撃したのだ。
「ぐうっ!?」
額が割れた。だか向こうの膝頭も割った。そして片足立ちだった軍毅はバランスを崩していた。
思った通り、この体なら無理が通る。
ズキズキする額と歪む景色。足腰もしっかりしない。
そんな中でも絶好の機会。千次は畳み掛ける。
両手を広げ、低くタックル。軍毅を押し倒し、マウントポジションをとった。
そして胸部めがけ、右手で魔物の爪を突き刺す。
手応えあり。肉体を壊す感触が手を覆う。暗い感情が殺意に充足感を与える。
だが、足りない。この体は無理が通るのだ。
この状況で、狂人は尚も笑っていた。
鈍るどころか鋭さの増した動きで、刃が振り抜かれる。
「ぐがああっ!」
千次は今までにない、強い悲鳴をあげた。右手が切断され、手首と離れ離れになったのだ。
それほどの負傷であっても、いつまでも喚いていられない。
追撃がくる。
刃物を切り返した軍毅の腕を、上から地面に叩きつけた。左手で右側を押さえるという、無理な姿勢で押さえ込む。
千次は現状を正しく認識した。
自分はあくまで優勢なだけ。逆転は起こりうるのだと。
だから彼は、先のない右腕で敵の胸に刺さった爪を抉る。傷がより深く、より大きく、より酷くなるように。早く死を与えられるように。
当然相手も大人しくしていない
腕を抑えられた軍毅だが、手首のスナップだけで左手を刺してきた。扱いが上手く、それだけでも効果的な攻撃となっている。
既に左の手首も酷い有り様だが、意地でも離さない。根性の勝負だと言い聞かせ、先のない腕も胸を抉り続ける。
「……っ!?」
しかし、次の一手により苦悶の表情を浮かべた。
自由な腕での、喉への手刀。
痛みよりも強烈な圧迫感がし、呼吸が止まる。一瞬力が抜け、そのせいで左手を払われた。
そして軍毅の刃は千次の首筋へ向かう。
致命的な一撃は何物にも邪魔されず首に当たり、皮が裂ける。
が、
「は……?」
それ以上は進まず、真下にポトンと落ちた。
不思議そうに千次は呟く。それは相手も同様だった。
不可解だと言いたげな顔の軍毅は視線を巡らせ、千次もそれを辿る。
力なくピクピクと動くだけの、指が開ききった手。ズタズタの傷だらけになった胸。
それらを確認すると、軍毅は納得したように呟く。
「ああ、なぁんだ。もう終わりか……」
敗北を認める発言。
だが、そこには何故か悔しさや無念さの類はなかった。
代わりに彼は口を裂けたかのように深く大きく広げ、そして激しく笑うのだ。
「わはハはぁハハっははハははッ……ばははッあァぁ!!」
それは常軌を逸した、魔物の鳴き声よりも奇怪で奇妙で、おぞましい呵呵大笑だった。しかし決して負の感情からではなく、満足げで楽しげな笑い方だった。
死を目前にしても行いを悔いるどころか、最期まで生き方を貫いている。あるいは最期だからこそ、自分という存在を解き放ったのか。
ひとしきり笑った軍毅は、ずっと静観していた勝者に顔を向ける。ニンマリと口を歪めた、瞳を魔界の空のように濁らせた狂気的な笑顔を。
そして殺人鬼は言った。
「先行ってるぜ……同類」
その濁った瞳には、同じように瞳を濁らせ狂気的な笑みを浮かべる若者が写っていた。
軍毅の次に魔物へトドメをさした千次の前には、廃屋と冷たい肉体があった。二人で移動した魔界から、単独で帰還したのだ。
念の為に横たわる体の脈をとり、心臓に耳を近付ける。
結果は望んでいた結末そのものだった。
「…………」
間違いなく狂人は息を引き取っている。
なのにその顔は、悔いの無い人生を生きたと言わんばかりに笑っていた。当初の目的を果たした千次の方が浮かない顔をしていた。
軍毅の死を確認した千次は「人が死んでいる」と匿名で警察への通報を済ませると、何処へともなく歩き始めた。
目立つはずの長身が小さく見える。
あれほど激しかった感情が抜け落ちたその様はまるで別人のよう。それどころか幽鬼のように人間味がない。
フラフラと歩き続け、そしてたまたま見つけたゴミ捨て場で立ち止まる。少し躊躇った後に、不必要になった荷物を捨てた。
その場所には似つかわしくない、未開封のお菓子と鮮やかな花。敵討ちを成し遂げた上で彼女の墓に供えるつもりだった品だ。
だが、そんな事が今の千次に出来る訳もない。
自らが背負うべき罪を彼女になすりつけようとした彼に――
彼女が残した最期の思いを踏みにじった彼に――
最後に差しのべられた手さえも振り払った彼に――
外道である仇と同類になった彼に――
彼女と顔を合わせる資格など、無いのだから。
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