第35話 追求者(前編)

 その夜、とある一軒のコンビニは異様な空気に包まれていた。

 深い暗闇のように重苦しく寒々しい。そもそも二十四時間営業のはずが、まるで店として機能していない。一ヶ所に固まる四人の店員と客は、皆何かに怯えるように強ばった顔。無言で何もせず、ただ居心地が悪そうに立ち尽くすばかりだ。

 そして誰もが、室内の一点から不自然に目を逸らしている。そこにある存在こそが、まさにこの異変の原因であった。


「いやぁ、どうも皆さん」


 無限に続くかのようだった静寂の中。突如自動ドアが開き、空気を払うように声が響く。

 重苦しい淀みに新たな風を運んできた発言は、飄々とした壮年男性のものだった。


「エンカウント課の羽生はぶと申します。通報をされたのはこちらで間違いないでしょうか?」


 くたびれた服装の彼が取り出して見せたそれは、警察手帳。羽生の部下らしき、制服を着た者数人もあとから入ってくる。


 警察。彼らは店内の人間が待ちわびていた救いの手であった。

 四人を代表し、コンビニ店員の制服を着た若い女性が羽生の前に進み出る。


「はい……通報したのは私です。それで、店長は……」

「ああ、無理はなさらず。あとはこちらの仕事ですから」


 うつ向き加減でいかにも苦しげに話す店員に配慮してか、羽生は確認だけを済ませた。

 それから手早く仕事に入る。部下達に目配せすると、店内にいた者達が目を逸らしていた場所へと赴く。そして手を合わせた。


 そこには冷たくなった男性の体――遺体があった。

 彼ら警察の人間は、エンカウントにより人が亡くなったとの通報を受けてここに来たのである。




「間違いありません。エンカウントによる被害です」

「分かった。あとは頼む」


 死因は異様に綺麗な遺体の状態から判断された。

 亡くなった男性の体には外傷どころか何の異変も無く、まるで魂だけが抜けてしまったのよう。最初の魔王の通達から考えれば、事実そういう事になる。奇妙な遺体は記憶以外何も残さないエンカウントの、唯一の証明でもあった。


 遺体に関する残りの処置を部下に任せた羽生は、集まった四人の方に歩み寄り緊張を和らげるような調子で語りかける。


「さて、皆さんには詳しいお話を聞かせてもらいましょうか」


 しかし彼の気遣いは伝わらなかったらしい。その話を耳にした途端、若い男の客が慌てたように声を荒らげた。


「え? ちょっと待って下さい。話ってなんですか? あの店長さんはエンカウントで魔物に殺されたんですよ? 僕達は無関係じゃないですか!?」

「そうよ、もしかして私達を疑っているの!?」

「そんなっ……確かに力不足でしたけど……」

「……そ、そういえば、さっきもわざわざ店長の状態を確認してましたよね!?」


 男性客に続いて他の三人、中年の女性客と店員の男女二人も抗議した。

 軽い恐慌状態。そこには疑いへの不満と、それ以上の不安が表れていた。非常に強いストレスを受け続けていたのだ。無理もないだろう。


「ああ、落ち着いて下さい。皆さんが疑わしいという事ではありませんよ」


 感情をぶつけられる的になった羽生だが、一斉に詰め寄られる勢いにも動じなかった。柔和な笑いを浮かべ、安心感のある落ち着いた声を通す。

 老練な涼やかさでもって対応していた。


「私の部署は、正式には魔物災害対策課というんです。堅苦しいんでエンカウント課の方が馴染んでますがね。その仕事は主に、戦闘の情報を集めて公開し、今後同様の被害者が出ないように注意を喚起する事。……まあ、交通事故や火災の原因を調査するのと同じようなものです」


 通称エンカウント課。

 魔界や魔物。非現実的なそれらは今、真剣に取り組むべき問題として公的に認められていた。となれば、それを司る組織の必要性が生じるのだ。

 世界が変化した当初から重要性は説かれていたが、法整備などで創設が遅れたのでまだまだ認知度は低い。

 こうしてちょっとしたトラブルが起こる度に説明するのは、むしろ一般への認識を推進するのに一役買っていた。


「ま、そういう訳なんで……ご協力お願いしますよ。皆さん」


 再び羽生に請われ、四人は顔を見合わせる。未だ正常とは言い難い顔色ではあったが、毒気は抜け、ひとまずパニックは収まったようだった。




「魔物は大きなカブトムシみたいなモノでした」


 関係者の抗議をなだめた後。事情聴取は一人ずつ、通報してきた女性店員から始まった。

 年齢は二十歳でバイトの大学生。縁の太い眼鏡をかけており、化粧は薄く飾り気がない。

 彼女は悲痛な面持ちをしながらも、責任を果たそうとするようにハキハキと語っていく。見た目を含め、真面目な性格であるとの印象があった。


 その内容によると、彼女は弓矢、男性店員はナイフ、男性客は槍、女性客は薙刀、そして被害者の店長は盾と戦鎚を持っていたらしい。

 重装備である店長を中心にし、隙を突く為に遊撃の三人を別方向に散らし、飛び道具使いを後方に残す。

 基本に忠実で、それ故に誰と組んでも効果的に機能しうる戦法だった。

 そして実際に有効だったのだ。最後まで続きはしなかったが。


「途中まで……あと少しで倒せそうというところまでは順調だったんです。店長が体を張って攻撃を防いでくれてて。でも、角で持ち上げられて、遠くまで投げ飛ばされてしまって……」


 店長は高く遠く宙を舞い、彼女から見て右の方に落ちたのだという。遠目に見ても苦しげで、立ち上がる様子はなかった。

 強固な前衛を失い、一度戦線は崩壊した。皆バラバラで、魔物にいいようにやられる有り様。

 だが男性店員による、「俺が支えるから前を向け」との気合いの激励で平静を取り戻す。戦闘スタイルを変えた彼を中心に組み直し、魔物を撃破したのだ。

 その間全員が魔物に集中しており、店長が亡くなっていると気づいたのは戻ってきた後らしい。


「なるほど、よく分かりました。それでは、なにか……敗北に繋がるミスなどはありませんでしたか? 店長さん以外の方でも」

「……いえ、特には……」

「ミスとは言えない些細な事、それからちょっとした不調でも構いませんよ」

「……そう、ですね。強いて言うなら……男のお客様が弱腰で……もっと積極的に攻撃してくれていたら、戦いも早く終わっていたかも……とは思います」




 次に話を聞いたのは男性店員だ。

 年は二十代後半といったところ。スポーツをしているのか、体つきは良い。頼もしい雰囲気があった。

 羽生は彼にも女性店員と同様、戦闘の経緯を話してもらい、最後に気になる事がなかったかを尋ねた。

 すると返ってきたのは、過去を悔いるような弱々しく震えた声音だった。


「あの、投げ飛ばされた時。心配した俺らに、店長は『大丈夫だ!』と言ってくれたんです。それで安心してたんですけど……今思えばあれは、動揺させまいと無理してたんですかね……」

「その時点で致命傷だった。という事ですね」

「ええ。そうだと思います。それにあの時点で気づけていればよかったんですが……」




 三番目は女性客。

 年頃は三十から四十代で、体型はややふくよか。心労が窺えるものの、丸い顔には優しげな印象を与えられる。子供好きの主婦といった見た目だった。

 やはり羽生は彼女にも戦闘の経緯について確認を取り、それに加えて最後に質問をする。


「戦闘以外ではなにか気になる事はありませんでしたか?」

「戦闘以外……ですか?」

「本当にちっちゃな、細かい事でもいいんです。人のメンタルってのは、何がきっかけで分かりませんからね」

「……そういえば。エンカウントが始まる前に、ちょっと男の店員さんと揉めていました」

「それは、何が原因で?」

「原因は分かりません。でも女性の店員さんが仲裁してくれたのですぐにおさまったんです」




 最後は男性客。

 四人の中で一番若く、高校生程。髪を目が隠れる程に伸ばしており、他者との間に壁を作っているよう。物静かで根暗そうなイメージである。


 だが四人の中で一番動揺し、ショックを受け、荒れていたのがこの人物だ。

 そして今も。

 羽生が戦闘の経緯を確認するより先に、彼は物騒な疑惑を切り出したのだった。


「あの、刑事さん? もしかしたら……あの人が投げられて皆が慌ててた時、誰も見てない間に、あの女の店員さんが弓矢で射ったんでしょうか?」

「何故そう思われたので?」

「だっておかしいでしょ! 落ちた時は苦しそうでしたけど、まだ生きてましたよ! その後トドメになる攻撃があったはずです! あなたもそう疑ってるからこうして話を聞いてるんでしょう!?」


 その叫びは、爆発したように不安と恐怖を心中から飛散させていた。一旦抑えたそれらの感情は、時間と共により大きく膨らんでいたのだ。

 一方で話には筋が通っている。彼は理性的で人間的で、だからこそ否定してもらいたかったのだろう。


「不安にさせてしまい、申し訳ありませんでした」


 羽生は真剣な鋭い眼差しになると、正面から不審を訴える視線を受け止めた。それから表情に反するような柔らかい声と共に、深々と頭を下げる。


「ですが、あくまで確認と今後へ注意喚起が目的です。どうか、私共の仕事にご協力願います」






「皆さん、ご協力ありがとうございました」


 ひとまずの仕事を終え、柔和な笑顔で丁寧に挨拶をしてコンビニを出た羽生と警官達。

 停めていたパトカーに乗り込むと、羽生は人当たりのいい表情のまま隣の部下へ話しかける。情熱を潜めた、低い声音で。


「どうにも、妙にきな臭い人がいたねえ……なあ、お前さんはどう思う?」

「まずクロでしょうね」


 確信しているように淡々と応えたのは部下の青年だった。人より頭一つ分は高い大柄な彼は、険しい顔で憎々しげに続ける。


「あれは俺と同じ……外道の目です」

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