第4話 適応者

「いいか、皆。落ち着いて聞いてくれ」


 高校の教室。日常を象徴する空間であるはずのそこが今、非日常的な静けさに支配されていた。

 席にはちらほらと空きがある。席に着く生徒は全員が無言、かつ不安げな面持ちで視線をさまよわせていた。若者らしい快活さは誰にも見られない。


 原因はこの日に起きた、ある出来事。朝家を出る際には誰もが大事になると思っていなかった、ある「夢」を発端とした出来事だった。

 それについて説明をする為、まだ若い担任教師は固い表情で話の続きを語る。


「今日、この世の中に大変な『異変』が起きた。既に体験した人もいるかもしれないし、未経験でも話は聞いていると思う」


 その言葉に、生徒の数人が反応した。

 顔を青ざめさせたり、口を押さえたり。どれも良いリアクションではない。

 彼らの経験がいかに凄惨だったかを窺わせた。

 勿論教師も理解し、彼らを労るように目を細める。しかし直後にそれを隠し、あえてハッキリと、力強い声で説明を続行した。


「改めて言わせてもらう。魔界の王と名乗った声が言った話は全て本当だ。今こうしている間にも世界中から体験談や被害例が報告され、情報が集まってきている。今後の対応は国の決定次第だろう。だがひとまずは、国が纏めた情報を今から説明していく」


 教師の話す情報は既に極めて非現実的で、真面目な雰囲気に似つかわしくないもの。

 しかしこれは今後の人生を、そして生死を左右する、極めて重要な授業であった。


「まず一つ。普通に生活していると、ある時突然気味の悪い場所……『魔界』に移動させられる。そして、そこにいる生物……『魔物』を倒せば、元の場所元の時間に戻ってこられる。が、逆に負けてしまった場合は……そのまま、帰ってこられない」


 教師は言葉を選び、直接的な表現を避けていた。

 それでも生徒達は否応にも理解する。

 死。不吉なその単語が、物語の中でもなくニュースで流れる情報でもなく、現実のすぐ近くに存在している事を。


「一つ。魔界に移動すると、王の話にあったように『戦士の姿』になっている。ゲームみたいに武器や防具を身に付けた姿だ。基本的に現実の体よりも強く丈夫で、元々怪我や病気があってもこの姿に影響は無く身軽に動けるらしい。ちなみに、武装は人それぞれ違う。その違いがどうして出てくるかについては、まだ解っていないらしい」


 戦士の姿。ゲームのような武器と防具。

 そんな話に興味をそそられたのか。経験者に話が振られ、彼らの見た装備の例が発表される。

 それに対し、他の生徒が茶化したり冗談を飛ばしたり。おかげで少しだけ教室の雰囲気が明るくなった。空元気なのは誰が見ても明らかなのだが。


「一つ、魔界への移動の際、近くにいた人間は全員同じ場所に移動させられ、同じ条件で戦う事になる。その内の誰かが倒せば、全員で戻れる。何も活躍出来なかった人間も一緒にだ」


 なんだ、だったら楽だ。おい逃げる気かよ。

 幾つかの軽口が生まれ、それらをたしなめる声もまた堅苦しさのないものだった。

 室内の雰囲気は更に暗さから遠くなった。


「一つ。巻き込まれた人数が多ければ多い程、強い魔物が現れる可能性が高くなる。……といっても、これはまだ件数が足りてないから確実な事は言えない。あくまで可能性が高くなるかもしれない、程度の話だそうだ」


 この教室に集まっている人数は三十人近い。

 危険な状態では、とどよめいていたが、最後の情報により安堵の顔が広がった。

 人間は未知を恐れる。

 知識を得た結果、初めにあった不安はほぼ解消されたと言っていいだろう。既に緊張感は緩みきっている。


 そこを、突如居心地の悪い感覚が襲う。


 噂をすればなんとやら。

 担任教師が正に説明しているこの時間に、「それ」が発生してしまったのだ。






 毒々しく汚い色の地面。所々に生えるいびつに捻れた草木。空を覆う不気味な黒雲。

 あらゆるものが不快さと陰気さを演出しているその場所は、まさしく魔界であった。


 教室にいた生徒と教師は全員揃っており、それぞれが個性的な装備を身に付けている。ファンタジーの物語に出てくる、戦いを生業とする者のような勇ましい姿だ。

 ただ、勇ましい格好ではあるが、表情の方には勇ましさの欠片もない。言葉を無くし、絶望に暮れていた。


 暗い魔界を更に暗くする影があったからだ。

 その正体は魔物。人間の三倍はありそうな体長を誇る、一つ目の巨人が眼下の小さな人間達を見下ろしていた。

 腕も脚も大樹のように太く、遥か上にある風貌は泣く子も黙る程恐ろしい。

 しかしなにより恐ろしいのは、この巨人を倒さなければいけないという現実。


 そんな事が出来るのか。


 少年少女は怯え、震える。武器を落とし、すすり泣く。

 これが初経験の者も、既に戦いを経験した者も無関係。あまりに絶望的な戦力に、皆等しく戦意を挫かれていた。無理に作ったハリボテの明るさは、もう壊れてしまっていた。


 そんな中、真っ先に行動を起こしたのは一番の年長者。肩と胸だけに金属鎧を装備し、戦斧を携えた姿となっている教師だった。

 初めは彼もまた怯え、萎縮していた。恐怖に呑まれ、情けない姿を晒していた。

 だが、辺りの惨状を見回すと、その醜態が変わる。

 守るべき対象がいるのだ。導くべき子供がいるのだ。

 見本とならないでどうする。


 目を閉じ、深呼吸。それから一声発し、気合いを入れる。凛々しくなった顔つきは、覚悟が決まった人間のそれ。


 そうして彼は巨大な魔物に向かって駆け出した。

 が、それだけでは教師としては不適切。

 担任教師は戦いへ意識を向けつつ、背後の教え子に言葉をぶつける。


「さあ、皆! 今こそ、このクラスの力を合わせる時だ!」


 突然の号令に、生徒は皆ポカンとしている。あまりに呆気にとられ、不安と恐怖が塗り潰される程だ。

 空気が読めていない発言だと、呆れた態度すらあった。


 生徒のそんな反応を、本人は気にしない。

 迎撃しようとした巨人が岩塊めいた拳を降らせてきても、それだけには集中しない。


 担任の教師――学校でも名物となっている熱血教師は、尚も声を張り続ける。


「体育祭に、文化祭。これまで皆は協力して結果を出してきただろう。思い出せ! 君達ならなんだって出来る!」


 何を言っているんだ?

 多くの生徒の顔にはそう書いてある。

 ただ、中には顔を上げ、耳を傾ける者もいた。


 教師は踏み潰そうとしてくる脚と格闘しながら、大声を出し続ける。

 実際のところ彼の顔に余裕は微塵も無かったが、それを子供達に悟られないよう、背中では堂々と語る。


「そう、皆で力を合わせるんだ! 体育祭だと運動部が活躍しただろう。文化祭なら文化部が活躍しただろう。それと同じだ! 皆それぞれ、得意な分野で勝負するんだ! 残念だが先生だけじゃあれに勝てない! だから力を貸してくれ! 皆であの教室に帰るんだ!」


 熱く、強く、激しく叫ぶ。

 大声は辺りに、そして生徒の頭と心に響く。

 教師はあえて日常的な言葉を使う事で、不安と恐怖を和らげようとしていた。そして帰還への思いを掻き立てようとしていたのだ。

 要するに彼が伝えたいのは、実に単純な内容。諦めずに戦い、そして勝って帰ろうという事だけだった。


 だんだんと生徒の顔に理解の色が生じ、やがてそれは希望の明るさへと変化する。

 誰かが言った。

 俺も行く、と。

 それに多くの異なる声が重なっていく。彼らは重い鎖を振り払い、一歩を踏み出したのである。


 ここから始まるのだ。

 高校生の一クラスと、一つ目の巨人との戦いが。


 まずは重装備の者が前に出た。元々体格が良かったり真面目な生徒が大半を占める。

 比較的軽い装備の者は遊撃の役割を担った。元々は身軽だったり人付き合いの良い生徒がほとんど。

 弓矢など飛び道具を持つ者は距離をとって戦った。元々は手先の器用な生徒や気の弱い生徒が多い。

 彼らは個性に合った仕事をこなしていく。

 担任が指示した通り、協力し合って動く。


 巨大な腕。巨大な脚。

 それらの猛攻はまさしく脅威。

 繰り出される度、生徒は怯えた顔で慌てて避ける。もしくは、装備で受けて軽々と飛ばされ、地面に倒れる。

 その度に他の生徒がフォローに入った。一旦離れた場所まで運び、休ませる。

 そして攻撃の隙間を見つけては、少しずつ反撃。

 誰一人脱落させない事を最優先にした戦法。

 遅く、鈍く、ぎこちない。武器の扱いもデタラメで、矢は外れてばかり。しっかり機能しているとは言えなかった。


 ただ、時間の経過に従い、生徒達も戦闘へ徐々に慣れていく。

 相手に攻撃ができる回数が増え、余計な動きが少なくなる。外れる矢も随分減った。

 それから仲が良い者同士は息の合った連携を見せ始める。教師の言葉通り、今までの共同生活の成果か。


 巨大な魔物の腕や脚には、いつの間にか幾多の切り傷と幾多の矢があった。コツコツと積み重ねてきた証だ。

 一方、小さな戦士も傷だらけ。だが諦める様子はない。懸命に戦い続けている。


 中でも、一番働いているのは担任教師だった。

 常に危険な最前線に留まり、力強く斧を振る。そして自身が必死に駆け回りながらも、生徒達を鼓舞していた。


「そう、その調子だ! 皆声をかけ合うんだ! 力を合わせれば絶対に勝てる!」


 何度も何度も。絶え間なく繰り返された激励。

 特別な内容でもないこの声に、一体どれだけの価値があるのだろうか。

 生徒達にとって、意味のあるものだっただろうか。


 それは、熱い炎の宿る数十の瞳が示していた。

 信頼と希望の眼差し。

 不安と絶望はもう、そこには見当たらなかった。


「さあ! もう一踏ん張り、ラストスパートだ! でも最後まで気を抜くなよ!」


 教師が最終局面を宣言し、注意を促す。魔物の傷の具合から決着は近いと判断したのだ。


 そして魔物の方も、それを分かっていた。

 巨人は両手を組んで大きく振り上げ、豪快に叩きつけてきた。全力を込めたような一撃。

 ビリビリと凄まじい衝撃が一帯を走る。何人もが当たっていないのに転び、体を激しく打った。幸いにして誰も直撃を受けてはいないが、ダメージは大きい。

 しかも、それで終わりではなかった。

 魔物は地に着けた腕を、そのまま横に滑らせる。転んだ生徒に分厚い壁が迫っていく。

 このままでは潰されてしまう。彼らの顔に恐怖が浮かんだ。


「うっ、おおおぉっ!」


 その窮地を救ったのは、大きな背中。

 魔物との間に割り込んだ教師が戦斧を地面につきたて、踏ん張った。彼だけでは抑え切れなかったが、力自慢の生徒も加わり、遂には巨大な壁の進行を止める。


「さあ! 皆で反撃だ!」


 魔物のバランスが崩れている今は、確かに攻める好機だった。

 足首へ。膝の裏へ。ジャンプして背中へ。拳を支える者以外の小さな戦士達が巨体へ次々と攻撃を当てていった。

 彼らの与えた傷は小さく浅い。されど――塵も積もれば山となる。

 重なったダメージのせいか巨体が傾き、無理な体勢が崩れてそのまま大地へ倒れ込んだ。

 巨体が地面に落下したインパクトは大きかったが、それに怯んでいる暇は無い。

 拳の支えから解放された者達も含めた全員が、すかさずそれぞれの武器を叩き込む。一人一人が、気合いの入った全力の攻撃を続けていく。


 その手が、不意にピタリと止まった。

 魔物が奇怪でおぞましい叫びを響かせたからだ。

 この世のものではない大音声。とても立っていられないような震動が発生。あちこちで人が転び、悲鳴があがった。

 そのパニックが落ち着いた頃、ちらほらと気づく者が現れる。

 一つ目の巨人は、もう動きを止めているのだと。


 この事から導き出される結論は一つ。

 それをいち早く理解した若い熱血教師が、声高らかに告げる。


「皆喜べ! この勝負……我らが二年三組の、大勝利だっ!」


 その瞬間。三十人近い高校生の勝ちどきが、暗く淀んだ魔界の空気を賑やかに震わせた。

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