第31話 脅威

 ベアトリクスがデーンに輿入れして2年半の月日が流れた。


 その間に彼女は出来ることに精を出し、王からの信頼を確かなものにした。もちろんデーンの為の貢献だが、食堂・学校建設などは自国に応用できる経験でもあるし、離縁する際に有利な立場に立てる計算もある。


 ベアトリクスは城の外に食堂と学校を一年かけて作りあげた。そのノウハウを活用してヒウィル司教の協力の元で給食のある無料の学校を全国に作り、国民の義務として6歳から12歳までは午前に通わなければいけないという法律の草案を作った。また、識字率を上げるために12歳以上であっても無料で文字を教える夕方の部も作った。


 これはハリス教の本部からの強い反対を受けたが、聖典を自分で読んで理解を深める宗教活動の一環だとごり押しして開校にこぎつけた。

 本部の対応を目の当たりにするにつけ、ハリス教は民が文盲のままでいることを望んでいるのだと確信した。


 ベアトリクスの目論見としては国民が自分で本を読むことで自分で考えるようになり、ハリス教に盲目的に従うことがないようにしたかった。これで一部の狂信的指導者に一方的に洗脳されてしまう国民が減り、心の拠り所となるような穏やかな個人的宗教になればいいと思うのだ。それはヴァルデマー王子を襲った過激な一派を嫌悪するヒウィル司教も同じ気持ちだった。

 また、戦争で親を失った孤児を集めて教会の元で集団生活をし、ハリス教の指導者を育てる施設も建設中だ。

 これはハリス教本部から寄こされる人物が教会を牛耳って献金を本部に送るシステムを収束させ、デーン王国に別組織のハリス教団を作る計画の一環である。

 それにはデーン王国とスタツホルメン公国ががっちりタッグを組んで強国とならねばならない。

 王国からつまみ出されたハリス教本部が、腹いせに大陸の国たちを扇動して連合軍となり攻め込んでくる可能性があるからだ。

 無駄な宗教戦争を避けるためにも、両国の国力増強が目下の目標である。


 食堂と学校はすでに司教と国によって運営されており、ベアトリクスの手を離れている。材料を納品する者や仕事する者は夫を亡くした女性や生活困窮者が中心になるようベアトリクスの心配りがされていた。

 ベアトリクスがふらりと城外のフクロウ亭を覗きに行くと、食堂の亭主と妻、大きくなったヨアンとヘレ、相変わらず元気な母親のインゲビョルグたちは手を止めてベアトリクスの周りを取り囲み、それまでにあったことをこまごまと教えてくれる。

 5人は一見家族かと見まごうほど上手くやっており、ヨアンはフクロウ亭の料理人になると嬉しそうに彼女に報告してくれた。ヨアンたちを可愛がっている亭主がそれを聞いて誇らしげに笑う。

 ベアトリクスは彼らに店を任せるにあたって皇太子妃であることを告白した日を懐かしく思い出した。



「だまして申し訳ありません、実はわたくしは皇太子妃なのです」


 呆れ顔のインゲは、申し訳なさそうなベアトリクスの頬を優しくひっぱった。


「…ベア、今更だけどここいらのみんなはとっくに気がついてるから。この国であんたくらい強い女は皇太子妃くらいだもの。誰でも知ってるけど言わないだけさ。あのエリクは隣国の次期公主だろ?」


「えぇっ…!インゲってばなぜ言ってくれなかったのですか?隠すのが大変だったのですよ」


 てっきり皆に驚かれるか怒られると思っていたベアトリクスは肩透かしを食らった。そんなベアトリクスに兄妹は追い打ちをかけた。


「だって、ベア姉ちゃんがくると広場があちこち兵士だらけになるんだもん!あれって見張りでしょ?」


「違うよ、ヘレ。あれは護衛だ」


「あら、ベアに護衛なんて必要ないから、やっぱ見張りじゃないかい?」


「そうだよねぇ、あれだけ強いんだからさあ」


「この店にだけは怖くて誰も悪さをしないよ、ははは」 


 5人が好き勝手言うのを呆然と聞いていたベアトリクスは、


「皆様知っていたのですね…わたくしショックですわ」


と天然ぶりを見せつけた。隠していたベアトリクスの方が拗ねて口を尖らせると、フクロウ亭の皆が笑った。


 あまりに彼らが変わらないのでベアトリクスも気楽でついつい王子に怒られながらも一人でふらりと寄ってしまう。

 ちなみに王子が町娘の服装をしているベアトリクスを殊更気に入っていることはエリクしか知らない。



 そして季節は秋だ。

 樹々が冬支度の為に葉の色を変える頃、相変わらず隙のない黒ずくめの衣装に身を包んだヴァルデマーは、午前の講義を受け終わった二人を見つけて声をかけた。

 その声音は以前とは全く違って柔らかいものになっていたが、表情は以前の氷の王子のままだ。


「ベア、エリク。陛下が相談があるそうだ。俺も同席するので昼は共に食事をとろう」


「わかりましたわ。エリク、参りましょう」とベアトリクスが答えると、


「あの件だろうな」


とエリクが聞き、彼女は軽く頷いた。



「重い鎧や騎馬隊など必要ない時代が来ます。東方のキタイ伝来の『火薬』を使った武器があれば大陸で流行っているハリス騎士道など道端の石よりも役に立たなくなるでしょう」


 ベアトリクスはスタツホルメン公国の隣国であるルーシに移住した商人たちを通じ、極秘で東方の火薬大国・キタイの最新情報を手に入れていた。近年のルーシにはキタイと友好関係を築いている一派がいるようだ。

 資料では彼らは硫黄とヒ素と硝石という材料を用途に応じて調合して火薬を作っているとあるが、それがどういったモノで、どのような場所で採れるのかは極秘情報で探れなかったとある。しかしわからないなりに調べ研究するしかない。


「現物が欲しいですわね」


「そうだな、まずはこの目で見ないと…」


 ベアトリクスとエリクが話していると、


「ふーむ、それはどのように使うのかの?」


とクリストファ王は、興味津々でベアトリクスに質問した。王の隣には険しい表情で黙りこくるヴァルデマーが座っている。


「今のところは陶磁器に『火薬』なるものを詰めて敵陣で爆発させているようです。すさまじい音と光で敵の戦意を消失させるだけですが、これからは改良されて殺傷能力が強くなるでしょうし、毒であるヒ素を混ぜて毒の煙を発生させる種類の武器も開発されているようです。脅威ですが、首尾よく手に入れて生産できたならデーンとスタツホルメン連合国は大陸の国などものともしない小さな強国となります!」


 目を輝かせベアトリクスが答えると、エリクも大きく頷いた。大陸と離れた山深い半島にあり、人口も少ないスタツホルメン公国だけでは他国に圧倒される。公国はデーンと組むのが良策だっだ。


「反対に大陸の大国が先に手に入れたら危険だな。もっと情報が欲しい」


とヴァルデマー王子が言うと、待ってましたとばかりにベアトリクスが答えた。


「わたくし年が明けましたらルーシに参ろうと思っております。これは極秘ですが数か月前よりルーシが内乱状態に陥っておりまして、両陣営からなんとかおさめて欲しいと公国代表である父に依頼がございました。その名代として…」


 ベアトリクスが話し終わらないうちに、王子とエリクが同時に声を上げた。

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