第32話 勇猛果敢

「それは許可できない」「ダメに決まってるだろっ!」


 ヴァルデマーとエリクの強い反対を受けたベアトリクスは不服そうに王を見た。


「二人はわたくしには任せられないとおっしゃっていますが、クリストファお父様はいかがお考えでしょうか?これは好機ですのよ」

「そうさな…」


 ベアトリクスが案の定危険なことを提案したことと、契約婚の期限を早めるようなことを暗示したのでますます王子の沸点が低くなった。眉間の皺の深さが半端ない。

 クリストファは怒りで赤くなった息子ヴァルデマーをちらりと見てから、


「誰かそういったことが得意な者がスタツホルメン公国にいないのかのう?いとこ殿がたくさんいると聞いたが…」と暗に反対の空気を醸し出して聞いた。

 しかし、『いないなら…』ともとれる為にベアトリクスがますます前のめりになった。


「皆ルーシの言葉がわかりませぬ。しかしわたくしはルーシと交易があった部族出身の母より言語を習っておりますので適任です。公主にも公国の貴族代表で参りたいと打診しておりますれば」

「ふうむ…」


 実際は公主に大反対されたベアトリクスだが、それを隠した。クリストファがゴーを出したらば、同盟国と言えども傘下にある公国は何も言えないと踏んでいる。


「俺はベアに任せられないとは言ってない。危険な場所には行って欲しくないだけだ。どうしてもベアが行くなら俺も行く」


 きっぱりと言い放ったヴァルデマーに、ベアトリクスは顔色を変えた。


「殿下こそいけません、まだお世継ぎもいないのに…!そうですわ、わたくし一押しのマルグレーテ嬢はいかがですか?」

「ほほほ…そなた、まだ王子の為に女性を見繕っているのか?」


 クリストファ王はここぞとばかりに話題転換させたベアトリクスに笑って質問した。

 彼女が盛んに城で有力貴族の娘を呼んではお茶会などを催しているのは花嫁探しの一環だ。


「そうなのです。実はクローディアス様の妹君なのですが、愛らしくてお家柄も良くて品があって頭もよく、なにより健康なのです!」

「ぶふっ!健康って…っと、申し訳ありません」


 エリクは笑いが止められず噴いたので、ヴァルデマーがキッとにらんだ。二人は年が近く立場が似ているせいもあって仲が深まっていた。

 公国に気になる女性がいるエリクはヴァルデマーを応援しているのだが、たまに意地悪な心が出てくるのを抑えきれない。なんせベアトリクスはエリクが恋していた公国のアイドルなのだ。


「エリク、笑うな」

「ふう…すまん。くくくっ…」


 何が可笑しいかわからないベアトリクスは、


「エリク、これは重大事なのです。殿下がルーシに行くとなれば御子を2、3人はもらってからでないと…もちろんエリクもダメですわよ?そうですわ、エリクが例のお目当ての女性に振られたらわたくしが選んで差し上げましょう」と朗らかに言った。


「そうだな、それはいい考えだ。ベア、俺はいいのでエリクによい女性を紹介してやってくれ。とにかく、ベアがルーシに行くなら俺もだ」


 ベアトリクスがプウと頬を膨らませて「ダメですってば」と言うと、ヴァルデマーは険しい顔を崩して深い緑の瞳で優しく笑い、彼女の頭をポンポンと撫でた。その王子の柔らかい表情を見るたびにクリストファ王は以前とのあまりの違いに驚く。

 王子は女嫌いで有名で、このように女性に笑いかけるところなど一度として見たことがない。それは母親が早くに亡くなったことと、あまりに美形なので小さな頃から周りの女性がべたべたしてくるのに嫌悪したからだった。ベッドに潜り込まれたことも一度や二度ではないと聞く。

 王は監督不行き届きな親として責任を感じている。


(ふう、この様子ならば女嫌いも治ったのであろう。しかし、契約婚の期間が終わってベアがいなくなったらまさか女嫌いの氷の王子に逆戻り、ってことはないであろうな…いや、まさかな…いやいや…)


 嫌な予感に首を小さく振っているクリストファ王の心配通り、ヴァルデマーはベアトリクス以外の女性を今まで通り毛嫌いしている。

 ベアトリクスが舞踏会で何人かの女性と踊らせようとしたのだが、まったくうまくいかない。腕を他の女性につかまれただけで眉間の皺が深くなり相手を睨みつける。その上ベアトリクスだけと踊り、頬や頭に触れては甘い表情を見せるので令嬢たちは諦めて引いてしまっている。


「殿下に寄ってくるような勇猛果敢な女性はこの国にはもういないと思いますがね…くくく」とまだ笑っているエリクが言った。




「殿下がそのような事を皆の前で言うものですから女性が寄って参りません!いくら苦手だからってわたくしを使って女性を遠ざけるのは止めて下さいませ。その調子ではわたくしがいなくなってからどうなさるのですか?」


 王の部屋から出たベアトリクスは、プンスカと鼻息荒く文句を言った。彼女の言う『女性』には、王子の妹分兼用心棒と自認するベアトリクスは入っていない口ぶりだ。


「まぁ、そう言うな。俺にもちゃんと考えがある」

「まあ⁉殿下にお考えが…そうなのですね、存じませんでした!しかし次の舞踏会ではマルグレーテ嬢と必ず踊って頂きます。これは約束ですわよ」

「…そういえば、クロードに呼ばれていたのを忘れていたな」

「まあ!逃げるのですか?殿下っ!」


 ヴァルデマーが笑顔をスンとしたいつもの顔に戻して足早にさっさとどこかに消えたのを見、ベアトリクスは渋い顔で「強敵ですわ…」と大きなため息をついた。

 ヴァルデマーは機嫌を損ねると眉間に皺をよせるが、最近はベアトリクスにもその癖がうつってしまっている。


 ヴァルデマーへの恋心に封をして彼に素敵な婚約者をと決心したベアトリクスは、エリクが驚くほどぶれずにデーン王国に最適の女性を探しては紹介してきた。

 その数5人、すべて撃沈だ。

 6人目の本命であるマルグレーテ嬢こそは沈めるわけにはいかないと意気込むベアトリクスの気持ち、エリクにはわからないでもない。しかしだ。


「ベア…ちょっとはヴァルの気持ちとか考えてやれよ」


 やはり好きな女性に将来の伴侶を次々とおすすめされるヴァルデマーが気の毒で仕方がない。これは王子が頑なにベアトリクスに相応しくなるまでは告白しないと決めているのにも問題がある。


(うーん、殿下はあと半年しかないのわかってんのか?大体こうと決めたベアトリクスがヴァルデマーへの恋心を自分から認めるわけない。両想いだってのに、馬鹿だなぁ…)


 二人を側で2年半見ていたエリクはわかる。

 始めは王の言いなりで見た目がいいだけの王子だと思っていたが、何かあるごとに現れる王の資質を目にするにつけ考えを改めてきた。現在は王の補佐の一人となって国の運営に参加しており、信用される国のトップとなるべく勉強している。ベアトリクスも同じように王子が目に見えて頼もしくなったと感じているようだ。

 彼らにはお互いに足りない部分を補い合いつつも似たところもある。深く理解し合えるいいコンビなのだ。

 しかし2年半でベアトリクスのなかの二人の関係は守り守られるべき対象から友達、ついには姉と弟のようになってしまっている。


「もちろん殿下のお気持ちも大事ですが…わたくしはもうすぐこの国を去るのですよ?同盟国の王妃は重要人物となります、のんびりなどしていられましょうか!次の舞踏会で必ずモノのしてみせます!」


 やる気満々のベアトリクスを前にしてエリクもため息をついた。


(考えがあるって言ってたけど、殿下ってばどーすんだよ…こいつにめられてにされちまうぞ)


「こうなったらクローディアス様とマルグレーテ嬢をお茶会にお誘いして悪だくみ致しましょう!エリクも手伝って下さいますわよね?」


 喉元にナイフを当てられたような圧迫を感じたエリクは、愛らしく微笑むベアトリクスに何度も大きく首を縦に振った。

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