第32話 鉄の歌

 陽はとっくに沈み切っていた。

 月明かりと、屋敷に吊るされたランタンがほんのりと戦場を照らす。

 帝国最強の騎士と異国の王子の戦い。

 次代の皇帝を決める戦い。

 イスカ帝国の未来を決める戦いが、今、始まった――。


「行くぜっ!」


 地面を蹴ったエイトール。

 その手に持つ皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラが煌めく。

 出し惜しみはなしだ。

 世界の時間が緩慢かんまんへと変わる。

 己の中の感覚のみが世界の認識を置き去りにする。


(――いける!)


 見える光景の全てが遅い。

 もどかしいまでに時間が凝縮された世界。

 エイトールはグリスの目の前まで一息に跳び、魔法剣を構える。


(――勝った!)


 と、そう思った。

 グリスはまだ大剣を構えたまま。

 エイトールの動きについてこれていない。

 この距離、その姿勢では。

 回避、迎撃、反撃、その全てが間に合わない。

 よって容赦無く、エイトールは魔法剣を突き出し――。


 ――斬られた。


「……はっ?」


 グリスの大剣がエイトールの右の脇腹に割り込んだ。

 咄嗟に筋肉を絞めることで切断はさせない。

 しかし、脇腹をえぐる鉄の感触が冷たく肋骨を撫でる。

 吹き飛ばされた。


「ぐがかあぁああっ!?」


 悲鳴と共に、緩やかだった時間の流れが戻る。

 傷口から吐き出された盛大な血潮が星空の下で弧を描いた。

 これ以上の出血はマズイ!

 エイトールの咄嗟の本能が筋肉を絞めて傷口を塞ぐ。

 それ以上の出血を防ぐ。

 地面を転がりながら、すぐにエイトールは立ち上がった。

 吹き飛びそうな意識を気合いと根性で繋ぎ止める。

 目の前の、大剣を振り抜いたまま静止した騎士団長をにらんだ。


「……人を斬ったとは思えない感触だ。鉄の塊を殴った気分だぞ」

「はっ、毎日牛乳飲んでるからな! 俺の骨は鋼よりも硬いぜ!」


 と、強がってはみるが冷や汗が止まらなかった。

 何が起きたのかわからなかった。

 速さでは圧倒していた。

 そのはずだ。

 しかし、皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラを突き出した時――。

 次の瞬間、気づけば自分が斬られていた。

 どういうことだ?


「オレの魔剣の能力だ」


 頭の中に跳ねる疑問符の、その答えを教えてくれたのはグリスだった。

 魔剣……?

 言われて、エイトールは気づく。

 グリスの持つ大剣が、うっすらと緑色の光を放っていることに。


「魔剣『聖道たる決闘剣クリス・ブレイダー』。不純なき決闘を愛した戦神レトナシンテが使っていたとされる決闘剣だ。この剣の持ち主であるオレとの戦いでは武術と剣術のみの戦いを強要される」


 グリスは口にする。

 まるでその説明までもが不純なき血糖の条件だと言うかのように。


「もし魔法やその他の小細工……例えば、毒とかだな。そのような力を相手が用いた場合、聖道たる剣闘クリス・ブレイダーは一時的にオレに力を与える。それが今、お前を斬ったオレの力の正体だ」

「……わざわざ説明どうも」


 つまり、エイトールが皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラの能力を使ったことが、聖道たる剣闘クリス・ブレイダーに禁忌の認定を受けたらしい。

 正直な話、納得できる説明ではなかったがせざるを得なかった。

 目の前の光景が、吹き飛ばされたという事実が。

 グリスの言葉が嘘ではない何よりの証拠であった。


「つまり、正々堂々お前をぶっ飛ばせば俺の勝ちってことだろ?」

「そういうことだな」

「はっ、わかりやすくていいなっ!」


 叫びと共に、駆けた。

 今度は皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラの能力を使わない。

 構えた大剣に、エイトールの魔法剣が交わる。

 高く、重い、剣戟けんげきの音。

 夜の暗さを晴らすかのような盛大な火花が散る。


「がぁあああああああああっ!」

「むぅっ!」


 獣のように吠えたエイトールが魔法剣を押し込む。

 それを受けたグリスは低く唸りながら、その押し込みを受け止めていた。

 異様な光景だ。

 体格も武器もグリスの方が重く、丈夫だ、

 エイトールも小柄というわけではないが、体格は一般的な男子のものと同じ。

 その圧倒的な体格差を思えば、正面からのぶつかり合いでグリスが負けるわけがない。

 しかし――。


「負けねぇ! 俺は負けられねぇんだ!」

「ぐぅうっ!?」


 言葉と共に、エイトールが魔法剣を押し込んでいく。

 ナイフのような小さな剣で、グリスの大剣を押し込んでいく。

 物理的な体格差を逆転させるその異様な光景に、周囲の騎士たちは動揺していた。

 ……なんだんだ、あの少年は!?

 ……まさか団長が負けるのか?

 ……お、オレたちも援護した方が。

 そんな呟きが聞こえ始めた。


「頑張って! 負けないで、エイトール!」


 そんな呟きの中で、リタの声援が飛ぶ。

 この想い届けと、喉を張り裂けんとばかりに叫ぶ。

 エイトールには聞こえていた。

 驚異的な聴力は関係ない。

 リタの声ならばどこにいようとも届く。

 どんな雑踏ざっとうの中だろうと間違えたりなんかしない。

 そしてその声は、エイトールの疲れ切った身体に活力を与える。


「このまま決めるぜぇえええええええっ!」

「くっ、ぐぅうううっ!?」


 ぎりぎりっ、と。

 エイトールの魔法剣が更に押し込まれ、グリスの顔の目前にまで。

 このままいけば、その剣先が緩やかにグリスに届く。

 いくら強靭な身体を持っていようとも、顔を斬られれば無事ではいられまい。

 今度こそ、勝利は目前だった。

 しかし――。


「ねぇ、グリス」

「――!」


 声が、した。

 甘く、蠱惑的こわくてきで、妖艶ようえんな。

 まるで音そのものに粘性があるかのような、べったりとした声が。

 それが聞こえた瞬間に、グリスの目が大きく見開かれる。

 周囲の騎士たちも一斉にざわめきを止める。

 エイトールを除く、そこにいた全ての者が彼女を見た。

 声の主――第三皇女オフェーリアの言葉を待った。


「あなた、わたくしを退屈させる気?」

「――っ!」


 変化は劇的だった。

 グリスの丸太のような腕が、ミシリと唸る。

 地面を踏み込み、大剣を持つ手を大きく振り抜いた。


「うおっ!?」


 今度はエイトールが驚きで唸る番だった。

 大剣の振り抜きに押され、後方に大きく跳ぶ。

 ぶおんっ、と風が掻き混ぜられた。

 大剣を振り抜いた状態のグリスは深く息を吐きながら言う。


「負けられない理由があるのが、お前だけだとでも?」

「……そうだよな。そう簡単にいくわけねぇよな」


 エイトールも大きく息を吸い、集中をし直した。

 この戦い、そしてその勝敗が意味することはあまりにも大きい。

 帝国の未来、ひいては多くの人の運命を左右する。

 だというのに、だ。

 当の決闘者たるふたりに、その事実は頭に入っていなかった。


 ――リタを皇帝にしてみせる!

 ――オフェーリア様を次代の皇帝に。


 ただ、それだけだった。


「いくぞ!」

「来い、クレティカの王子よ!」


 叫びを、想いを、力に変えてふたりは衝突する。

 金属音。

 すれ違う。

 身をひるがえす。

 再び、突撃。

 火花。


 幾億いくおくの剣戟が、響く。

 鉄と鉄の絡み合う音が、重く、高く、響く。

 譲れない未来を賭けた戦士たちの戦いを、多くの騎士たちが見守っていた。


「負けないで、エイトール!」

「ふふっ、グリス。もっと楽しませてねぇ?」


 相反する皇女たちの声も、その剣戟に火種を加える。

 込めた想いは力に、燃えたぎる願いは速さに。

 絶え間なく弾ける火花に混ざり、戦士たちの身体からは血潮が飛ぶ。


「がぁあああああああっ!!」

「はぁあああああああっ!!」


 己の声すらも、前へと進む力に変えてふたりの戦士がぶつかり合う。

 少しでも速く、少しでも重い一撃を与えるために身を投げ出す。

 剣の交わる、鉄の歌が星空に響く。

 続けて、二度、三度。

 余力など考えない、全力のぶつかり合いだ。


 つまり、この戦いは――そう長くは続かない。

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