第29話 終わりの足音

 轟音ごうおんが連続した。

 屋敷に響く戦いの音に、グリスはすぐに戦況の把握に努める。

 司令室代わりのクロッカス公爵の私室に、どんどんとノックの音が響いた。


「入れ」

「はっ! 自分はプルーム侯爵騎士団所属のレズマン・アルトであります!」

「報告を」

「はっ! 敵はひとり! 噂のクレティカの王族と思われます! 現在、リムスフィア殿下を連れ去り屋敷の中を逃走中であります!」

「な、なんだとぉ!?」


 声を上げたのは、グリスと共にいたクロッカスだ。

 伝えられたその報告内容に、目を見開いて驚愕する。


「エイトール君が戻ってくる可能性は警戒していた! だから正門の警備は三倍にしていたというのに突破されたのか!?」

「いえ、敵は正門を突破せず、別のルートでリムスフィア殿下の元に!」

「別のルート?」

「おそらく、屋敷の裏側にある崖を登ったのではと!」

「ば、馬鹿なことを言うな!?」


 にわかには信じ難い報告。

 しかし、グリスはそれこそが真実だろうと認めていた。

 直接対峙たいじしたグリスだからこそ、エイトールの規格外さは知っている。

 だから重要なのは、次。

 これからの対応だ。


「敵はいまどこに?」

「東の別館の方へと。現在、プルーム公爵騎士団での総攻撃をかけていますが……」

「どうした?」

「その、騎士団はほぼ壊滅かいめつ状態であります……」

「なっ!?」


 言葉を失ったのは、クロッカスだ。


「て、敵は少年ひとりだろ!? 騎士団が負けるというのか!?」

「相手は素早く、弓も剣も当たりません! ときおりの反撃ではまるで人が紙屑かみくずかのように吹き飛びます! あ、あれは本当に人間なのでありますか!?」


 もはや報告というていすら崩れかけている。

 クロッカスの顔は青かった。

 もしエイトールが健在であれば、騙した自分にどんな仕打ちが待っているかわからない。


「グ、グラス団長! どうすれば!?」

「オレが出る。獣牙じゅうが騎士団に伝令だ。総動員で敵を殲滅せんめつせよ」

「はっ!」


 伝令の騎士はすぐさま部屋を出る。

 扉の向こう側から、駆け足が聞こえた。

 グリスも大剣を手に部屋を出る。

 きっとこれが最後の戦いになるだろう、と。

 長かった帝位争いの幕引きを予感しながら――。


 ***


 エイトールは限界に近かった。

 崖登り、壁登りで体力を多く消費していた。

 戦いの連続で怪我も数え切れないほど負った。

 それでも、まだ戦い続けられているのにはいくつかの要因があった。


「エイトール! 右から別の集団が!」

「突っ込む! しがみついとけ!」

「はいっ!」


 宣言通り、エイトールは騎士の集団に突っ込んだ。

 騎士たちの反応は遅い。

 動揺を隠せていない。

 その隙に、エイトールの蹴りが敵をまとめて吹き飛ばした。


「どけぇえええ!」


 指揮系統が混乱していた。

 これはエイトールの存在が規格外だったことで起きた現象だ。


 敵はひとり。

 背後の崖から登ってきた。

 皇女を抱えて騎士団と戦っている。

 たったひとりで。

 騎士団はほぼ壊滅状態。


 屋敷中を駆け回る報告は、まともな騎士ほどその内容に首を傾げる。

 どれもが本当でありながら、しかしにわかには信じ難い。

 何を信じればいいのかわからず、ならば行動にも迷いが出る。

 その動揺こそが、エイトールの付け狙う隙だった。


「エイトール! 上から弓が!」

「くっ!」


 屋敷の屋根から、弓の斉射せいしゃ

 迫り来る矢の雨を見て、エイトールは咄嗟にそれを発動した。


 皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラ


 世界の流れが遅くなり、矢が水の中を動くかのようにゆったりと進む。

 エイトールは咄嗟に跳躍して、矢の斉射せいしゃから逃れた。


「うっ……!」

「大丈夫か、リタ!?」


 戦いの中で皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラについてわかったことがある。

 この魔法剣はリタの魔力を使って発動している。

 皇族の魔力にのみ反応するという理屈が正しいのだろう。

 魔力とは生命力を元にしており、使い過ぎれば命に関わる。

 だからエイトールは皇帝ノ魔法剣インペリアル・ユティーラを乱発できない。


「大丈夫ですよ。エイトールの怪我に比べればこれくらいへっちゃらです」

「そうか。強くなったな、リタ!」

「お前のおかげですよ、エイトール!」


 そして、エイトールが戦えている最大の理由。

 かかえたリタの存在だ。

 不思議だった。

 守るべき対象を抱えるなんて、動きの邪魔でしかないのに。

 リタを抱えていると、エイトールは自分の中に無限の力が湧いてくるのを感じていた。


 疲れている。

 傷だらけだ。

 頭もクラクラしている。

 だから、なんだというのだ?

 リタを抱えているのに、自分が負けるわけにはいかない。

 それがエイトールの戦い続ける理由だった。


「がぁあああああああああっ!!」


 獣のようにえながら、エイトールは騎士の集団に特攻した。

 動揺が、驚愕が、屋敷中を駆け回っていた。

 なんなのだ、あいつは!?

 化け物だ! 化け物が襲ってきている!

 騎士の多くは規格外の奮戦ふんせんをするエイトールに恐怖を覚えていた。

 その混乱こそが唯一の勝機――!

 エイトールは屋敷の正門に向かって駆け出す。

 しかし――。


「逃さないぞ、クレティカの王子」

「――っ!?」


 これまでとは明らかに質の違う殺意に、エイトールは飛び退く。

 振り下ろされた大剣が、地面を盛大にぜさせた。

 舞い散った細かい土砂からリタを庇いながら、エイトールは現れた大柄な騎士を睨む。


「お前は……なんとか騎士団のなんとかって団長!」

「……獣牙じゅうが騎士団のグリスだ。覚えておけ」


 大剣を構え直したグリスが、少しだけ目を細めて言う。

 名前も覚えられていないとは思わなかったのだろう。


「エイトール……と、呼ばれていたな。お前に敬意を表そう。よくぞひとりでリムスフィア殿下をここまでお連れした。ひとりの騎士として称賛しよう」

「……上から目線は気にいらねぇな! 言葉じゃなくて態度で称賛してくれ! 具体的には俺たちを見逃してくれるとか!」

「それはできない。オフェーリア様を皇帝にするために」


 静かな剣気が、グリスの身体から発せられる。

 ビリビリと空気が震えた。

 強い!

 エイトールは確信する。

 もはやグリスの強さに疑いはなかった。


「なんでお前みたいな凄いやつが悪い皇女様に仕えてるんだ?」

「オフェーリア様を侮辱するな。オレがあの方に仕える理由はただひとつ。――昔、えて死にかけていた時にパンを恵んでもらった」

「……それだけ?」

「それだけだ。他に理由がいるか?」

「いらねぇな!」


 言いながら、エイトールは蹴りを繰り出す。

 誰かが誰かを守りたい理由なんて様々だ。

 エイトールだって、リタを守りたいのは友達だからだ。

 命をかけるには馬鹿げているとリタには何度も言われた。

 でも、エイトールにとっては大事な理由。

 命をかけるに値する当たり前の理由だった。


「ふんっ!」


 見た目に似合わず、素早い動きでグリスが剣を構える。

 ガンっ! と。

 エイトールの靴裏と肉厚の剣身がぶつかり合った。

 拮抗。

 これまでほとんどの騎士を吹き飛ばしてきたエイトールの蹴りが止められた。


「はっ! やっぱりお前は強いなっ!」

「お互い様だ。リムスフィア殿下を抱えたままでこの動き……帝国騎士最強と呼ばれた自負が揺らぐ」


 振り払った大剣の勢いで、エイトールも飛び退く。

 その衝撃でリタが「きゃっ」と小さく悲鳴を漏らした。

 僅かな距離を挟み、ふたりの怪物が睨み合う。

 音が消えた。

 空気が震えた。

 雲間から差した月明かりが、その戦いを照らしていた。


 長い帝位争いの幕引きは、もうすぐそこにまで迫っていた。

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