第28話 何度だって

 リタは部屋の隅で泣いていた。

 窓の外では月が浮かんでいる。

 ひとりぼっちの夜は久しぶりで、話し相手のいない夜は寂しくて――。

 心の四方よもから、じわじわと孤独が這い上がる。

 這い上がった孤独は、リタの瞳から涙の雫をこぼさせる。


「……うぅ……うぅ……っ」


 怖かった。

 自分が死ぬのが怖かった。

 たくさんの人たちが繋いでくれた命を失うのが怖かった。


 これから帝国はどうなるのだろうか?

 オフェーリアが新皇帝になったなら、帝国はどのような方向へと舵を切るのか。

 とてもでないが、オフェーリアが政治に興味があるようには見えない。

 面白そうなことをいつも探してて、時には自分に不都合が及ぶ不可解なこともする。

 きっと彼女にとっては、この国そのものが巨大な玩具箱おもちゃばこ

 帝国の民たちをこまにして、戦争を始めたりなんかするかもしれない。

 きっと最初の相手は、隣国であるクレティカ王国だ。


「……エイトール」


 王国の第五王子である、友人の顔を頭に浮かべる。

 ……いや、嘘をついた。

 エイトールの顔など、ずっとずっと頭の中で浮かんでいる。

 彼の声は、ただのひと時すらも止まずに耳に響いている。

 彼の笑顔は、冷え切った心にほんの僅かな温かみずっとずっと投げてくれていた。

 そうでもしなければ、リタはとっくに自ら命をっていただろう。


「……エイトール……お前に会いたいです……」


 ぽろぽろと涙を零しながら、叶わない想いを懇願する。

 エイトールはリタにとって、本当の王子様だ。

 あの林の中で命を救ってもらった時から、リタの心はエイトールに奪われていた。


 会いたい。

 もう一度だけ会いたい。

 会って、その声を聞きたい。

 もう一度だけ私の名前を呼んで欲しい。

 その笑顔を私だけに向けて欲しい。

 ああ、エイトール、エイトール……!


「……たすけて、エイトール……!」


 冷たい夜の、孤独の牢獄で。

 囚われの皇女が呟いた、たったひとつの儚い願い。

 夜の空気に溶けて、消えるはずだったその声は――。


「ああ、何度だって助けてやるさ」

「………………え?」


 届いた。

 リタは顔を上げる。

 月明かりが差し込んでいた小さな窓。

 その鉄格子てつごうしの向こう側に、確かに彼はいた。


「…………エイトール?」

「おう、昨日ぶりなのに何かすげー久しぶりな気がするな!」


 いつも通りの能天気な声。

 まるで教室で挨拶を交わすかのようないつも通りの明るさだ。

 リタは自分の目を疑った。

 己のみじめな願望が描いた、幻想ではないかと疑った。

 ふらりと、立つ。

 立って、窓に近づいて、鉄格子てつごうしの間から手を差し出す。


「ほ、本当にエイトールなのですか……?」

「他に誰に見えるよ?」


 ペタペタと、頬に触る。

 温かい人間の肌だった。

 よく見ると、エイトールは傷だらけだった。

 顔にも身体にも出血しており、服は破けているところも多い。

 疲れているのか、息もどこか荒い。

 どうやら塔の壁を素手で登ってきたらしく、鉄格子てつごうしを掴む手が震えている。

 握力も限界なのだろう。


 つまり、エイトールはボロボロだった。

 ボロボロになって、この場所にまで駆けつけてくれた。

 なんのために?

 決まっている。


 リタ・プルームを--。

 私を、助けるために。


「……うぇ……ひぐっぁ……エ、エイっ、エイトール……っ!」

「な、なんで泣くんだよ!? どっか怪我でもしてるのか!?」

「ち、違います。嬉しくて……お前がきてくれたことが、嬉しくて……!」


 冷たかったはずの心が、熱くて仕方がなかった。

 こんな素敵な友達が、世界のどこにいるというのだろうか。

 孤独の牢屋にありながら、リタは思った。

 自分は世界で一番の幸せ者だと。

 エイトールと出会えた。

 エイトールと友達になれた。

 ただそれだけで、この世界の誰よりも幸せである自信が持てた。


「リタ、ちょっとだけ離れてくれ」

「は、はい……」


 言われた通り、リタが離れるとエイトールは勢いをつけて塔の壁を蹴る。

 破壊音と共に壁に穴が開き、エイトールはそこから塔に入った。


「エイトール!」

「お、おう!?」


 すぐにリタはエイトールに抱きついた。

 冷えた身体を、その温もりで温めるかのように。

 瞳から溢れる涙が、破れかけのエイトールの服に吸われていく。

 再開を喜ぶ皇女と王子――。

 物語の一場面かのような光景が、そこにはあった。


「おい、なんだ今の音は!?」


 しかし現実は、いつまでも物語に浸らせてはくれなかった。

 塔の下側から、騒がしい音が近づいてくる。

 エイトールが壁を蹴破った音を聞かれたのだろう。

 その気配に、ふたりは身体を離して、互いの顔を見た。

 リタの涙はもう止まっていた。


「なあ、リタ。お前はまだ皇帝になることを諦めてないよな?」

「はい。お前がそばにいてくれるなら、私は絶対に諦めません」

「なら、俺を信じてくれるか?」

「勿論です。信じましょう。お前のことを、この世界の誰よりも」


 ニカっと笑ったエイトールに、リタは微笑で応える。

 最上階に騎士たちが現れた。

 壁に開いた穴、そしてエイトールの姿に驚愕の顔を作る。


「だ、誰だ、お前は!」

「新皇帝様のお友達だ」


 ただそれだけを返し、エイトールはリタを抱き上げた。

 膝を抱き抱えた、お姫様抱っこだ。

 瞬間、リタの心が甘くうずく。

 こんな時でもトキめいてしまう、己の乙女細胞が少しだけ恥ずかしかった。


「最初からこうすればよかったんだよな」


 そう言い残し、エイトールは壁に開いた穴から外に出た。

 改めての確認だが、ここは塔の最上階。

 その外は遥か上空だ。

 リタは下を覗き、その高さに一瞬だけ息を呑むが――。

 恐怖よりも、エイトールへの信頼の方が勝った。


「リタ、俺にしがみついとけよ!」

「はいっ!」


 ぎゅっ、とリタはエイトールの首の後ろに手を回す。

 後ろから、騎士たちの動揺の声が聞こえた。

 まさか自殺か――?

 心中しんじゅうか――?

 違う。

 エイトールは塔の壁を水平に駆け降りていた。


「ははははっ! これが覚えたての壁走りだ!」

「お、おおお、お前は相変わらずムチャクチャですっ!?」


 ガガガガッ! と、壁を踏み抜きながらエイトールは走る。

 驚きながらも、リタは微笑みを浮かべていた。

 このデタラメな感じこそがエイトールだと実感できたから。


 そうして地面に辿り着く。

 着地と同時に、エイトールが苦しい顔をしたのをリタは見逃さなかった。


「エイトール、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、これくらい問題ないぜ!」


 無理をしているとすぐにわかった。

 血の線が、足を伝って地面に溢れている。

 物凄い量の出血だ。

 並の人間であれば致死量であろう。

 リタの顔に心配の色合いが浮かぶ。


「安心しろ。俺は負けねぇよ」

「根拠はなんですか?」

「お姫様を抱えた王子様は、物語だと最強なんだぜ?」

「ここは現実ですよ」

「でも、俺とお前の物語だ」


 屋敷のあちこちから騎士たちが現れて、エイトールたちを狙う。

 剣を持った騎士、高所から弓兵。

 感覚をぎ澄ましたエイトールは気合を入れた。


 身体は傷だらけ。

 疲労は困憊こんぱい

 出血は多く、頭がクラクラする。

 腕はリタを抱えるので塞がれている。

 負ける要素は数多あまたにあり、プラスの要素はどこにもない。

 だから、笑った。


「はっ! 逆境がなんだってんだ!」


 リタがいる。

 この腕の中に、守らなければいけないお姫様がいる。

 大切な友達がいる。

 ただそれだけが、エイトールが負けられない理由だった。


「もう誰にも頼らねぇ! 俺がリタを皇帝にする!」


 今度こそ間違えない決意を叫び、エイトールは駆け出した。

 無数に迫る騎士たちの包囲網ほういもうを、たったひとりで切り抜けるため。

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